第19話 新たな関係
シルヴィアが侍女たちとの関係修復に勤しんでいる頃、皇太子は執務室で補佐官であるロベルトの報告を受けていた。
「国境砦へ随伴した医師長と医師の調書です。医師長の陳述と、若い医師の方は拘束して厳しく尋問を行い、洗いざらい供述させております」
「ふむ……認めたか」
「末端ではありますが、もともと公爵派閥に属する家の出身です。加えて、筆頭侍女長の部下である若い侍女と恋仲だったこともあり、圧力をかけやすかったんでしょうね」
「体調を崩す程度の弱いものとはいえ、毒は毒だ。同情の余地はないな。どんな事情があろうと、医師として許されることではない」
ロベルトが厳しい顔で頷く。皇太子は手にしていた調書を机に投げ出し、椅子の背に寄りかかって目を閉じた。
「筆頭侍女長を呼べ」
ややしばらくして、筆頭侍女長がやってきた。皇太子が相手でも、口調こそ丁重ではあるものの高慢な態度で慇懃無礼な挨拶をし、執務机の前に立って不快そうに見下ろしている。
「お勤めを終えて帰宅するところでございました。殿下がお呼びと伺ったので仕方なく参りましたが、特にお急ぎのご用件でないのであれば、明日にして頂けませんでしょうか。この後、大事な予定がございますので」
「急ぎの用件だ。其方の都合など聞いてやる気はない」
そう冷ややかに返した皇太子は、補佐官から封筒を受け取り、封じた蠟をペーパーナイフで外す。取り出した書類を一瞥し、そのまま筆頭侍女長の方へと突き出した。
怪訝な顔で、筆頭侍女長は机に置かれた紙に手を伸ばす。
その手を皇太子はじっと見ていた。紙にかけられた皺だらけの指の爪は、どれも執拗にやすりで研いだように鋭く尖っている。
皇太子は眉を強く顰め、その目に怒りの色を湛えて、手にしていたペーパーナイフを長い爪に向けて勢いよく突き立てた。
「ひっ!?」
人差し指の長い爪が折れ、筆頭侍女長の顔が驚愕に歪む。
「なっ、何を……」
「其方が妃にしたこと、言ったこと、全て妃本人から聞き出した。医師長に毒を盛らせたことも含めて、其方を拘禁し尋問を行う。その書類は正式な逮捕状だ」
「たっ、逮捕……!?」
「皇族となった妃に対する不敬罪、それだけでも十分な理由ではあるが、更に挙げるとすれば、我々の婚姻は両国の和睦のためのものだ。悪意を持って、その婚姻に不和を齎そうとしたならば、講和を無に帰する所業である。つまり、其方は国賊ということだ。まともな扱いを受けられると思うな」
補佐官の指示で数名の近衛騎士が入室してきた。有無を言わさず筆頭侍女長を取り押さえ、力づくで引きずり出して行く。
皇太子は無表情のまま、冷たい目で見送った。
「──まぁ、聖女様から癒しを頂かれたのですね。それで、このようにお健やかなご様子に」
「お顔もふっくらとされて、お体もお輿入れの頃のように戻られておりましたので、何ごとがあったのかと驚いておりましたけれど……ようございました」
「それでは、これからはお食事なども普通に召されて問題ないと言うことでしょうか」
「ええ、ここに戻る前、殿下と街のフェスタに寄ってきたの。そこで、いろいろと口にしてみましたが、何ともありませんでした。とても美味しくて、楽しかったです」
「まぁ……」
主人の変貌ぶりに対してなのか、流動食に近い食事しか受け付けなかったのが屋台の粗野なものを喜んで食べたことについてなのか、皇太子とのデートを楽しんできたことになのか。
お忍びデートの一端を楽しげに話すシルヴィアに、侍女たちはずいぶんと驚いている。どれも正解なのかもしれない。
「それで、ね……言っておかないといけないことがあるのです……」
「何でございましょう?」
「実は、聖女様の癒しで、その……わたくし、乙女に戻ってしまったのです」
「は……?」
「それは、どういう……」
「もしや……初夜の前のお体に戻られたと言うことでしょうか?」
はっとしたマルティナが、言いにくそうに尋ねる。シルヴィアが小さく頷くや、侍女たちは口を抑えて赤らめた顔を見合わせた。
「貴女たちには言っておかないと……その……驚くといけないと思って」
「……それは、確かに」
「月の障りと思ってしまって、医師を呼ぶ騒ぎになりますね……あまりにも間が短いですから」
しばらく沈黙が続いた後、侍女の一人がぽつりと言った。
「それで……一からやり直しということなのですね」
他の侍女たちが堰を切ったように、口々に言い出す。
「そういうことでしたか……なるほど、やっと皇后陛下のご指示の意味が分かりました」
「きっと、殿下がお母君にお願いされたのですね」
「ええ、殿下もこのひと月のことはお気に病んでおられましたもの」
「一番やり直しをご希望されているのは、殿下でいらっしゃるのかも知れませんね」
「……?」
侍女たちが納得顔で言い合っている話が、シルヴィアには全く理解できない。きょとんとしていると、いきなり急かされた。
「他にお話がなければ、そろそろご用意を始めませんと」
「そうですわね、そう言うことであれば入念なご準備が必要ですもの」
「妃殿下、お話はもう宜しいですか?」
「え、ええ……とりあえずは」
何の準備かと尋ねる間も与えられず、侍女たちに急かされて正装を解かれ、浴室へと連れて行かれた。
初夜のやり直しのためかとも思ったが、時間的にまだ早すぎる。意味が分からず戸惑っているうちに、侍女たちは嬉々として仕事を始めた。
身を浄めた後は、手早く全身と顔のマッサージをされ、浴室から出るや専属侍女の総がかりで“準備”が始められる。
何が何やら分からない内に、シルヴィアは“準備”を整えられていった。
「え……これって……」
馬車に乗ったり、街中を歩いたり、フェスタを堪能したりと、楽しくはあったものの、さすがに慣れない経験ばかりをしたことで、かなり疲れてしまっていたらしい。
“準備”の途中からうつらうつらし始め、半分うたた寝をしてしまっていたシルヴィアは、最後に姿見の前に立たされて目を丸くした。
どこからどう見ても花嫁衣裳である。しかも、一か月前に本物のオリヴィアが着ていた衣装とは全く違う。
あれは、今シルヴィアが着ているものよりやたらと豪奢で、言わば派手なドレスだった。帝国が用意したもので、他国や大衆に見せつけるためのものだったのだから当然かもしれない。
「こちらは、皇后陛下がお輿入れされた際のお衣装でございます。陛下が、婚姻式の時のものより、こちらの方が妃殿下には似合うだろうと仰せられまして。せっかくだから是非にと」
確かにオリヴィアの容姿なら、派手なものより上品な意匠の方が良く似合う。自分のように幸せな結婚となってほしいとの願いを込めて、母の婚礼衣装を娘に贈る風習があるが、それに倣う意図もあるのかもしれない。
だが、それはそれとして、何故このような衣装を着せられているのか。疑問は尽きないが、既にオリヴィアは婚姻式を終えており、花嫁衣裳を着る機会が自分にあるとは全く思っていなかっただけに、シルヴィアとしてはやはり嬉しい。
浮き立つ気分で姿見の前でくるりと回って、己が姿を確かめた。最上質の上品な花嫁衣裳が良く似合う、健康を取り戻した輝くような美しい容姿。
これが、これからの自分なのだと、改めて己が目に焼き付ける。
「最後に、こちらを──」
侍女長のマルティナが手にしたヴェールを差し出して言った。結い上げられた艶やかな色合いの髪に、真っ白なヴェールがかけられる。
その時、着付けが完璧に仕上がるタイミングを見計らったように、白い正装に身を包んだ皇太子が迎えに現れた。
姿見の前で振り返ったシルヴィアを見て目を瞠り、次いで眩しそうに目を細める。
「……良く似合っている。とても綺麗だ」
近づいてきた皇太子は、手を差し出しながら素直な賞賛を口にした。こういうところは、やはり理想の“王子様”らしい。
シルヴィアは笑みを返して、その手を取った。
「本当は、ここまでする予定では無かったんだが……」
「……? 予定というのは、どういう──」
皇太子は皇太子妃専属の侍女全てに付いてくるよう命じて、シルヴィアの手を引き歩き出す。
「今日を私たちの始まりの日にしようと言っただろう?」
「はい」
「だから、礼拝堂で簡略で良いから誓いの儀式をしたいと、皇宮詰めの神官に依頼するよう補佐官に伝えたんだが──」
皇太子は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「──何故か母上の耳に入って、こういうことに」
こういうこと──簡略とはいえ婚姻の儀式をやり直すならば、婚礼衣装くらいは着て行えということなのだろうか。
シルヴィアは、そう解釈した。どういう経緯であれ、思いもよらず花嫁衣裳を着るという経験をさせてもらえたことに、心の底から感謝したい。
『ありがとうございます、皇后様』
シルヴィアは母を知らない。義母ということになる皇后と、これから本当の母娘のように親密な関係を築いていけたらと、今初めて思った。
聖女として一人で一生を終えるはずだった自分が、夫を得て、更に義理とはいえ家族を得るのだと思うと感慨深い。
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