第23話 軛からの解放
シルヴィアがオリヴィアの体に入ってから三度目の交合となる。何度も夫を受け入れて開発された肉体で、しかも体を間借りしているだけとしか認識していなかった、先の二度の交合とは全く違う。
初めて使う寝所、処女である未開発の肉体。そして、その体を自分のものと認識した上での交合は、シルヴィアにとってまさしく初体験であった。
同じ場所を同じように触れられているのに、全く感覚が違う。アルフレードの手や唇が肌に触れる度に息が弾む。
今までのような身体の奥底から突き上がるような強烈な快感ではない。それでも心地よいと感じる。
足の合間に指先で触れられ、その時シルヴィアは初めて濡れていることに気づいた。そこが、未開発でも感じる部分であることは、当然ながら知っている。
丹念な愛撫を受けて高まりつつあったが、それでも普通ならここまで潤うはずもない。
「先ほどの薬…酒は……んっ……やはり媚薬…のようなもの……なので…すか?」
両手を夫の首に回してしがみつき、刹那的な快楽に耐えながら途切れ途切れに問うと、アルフレードは苦笑した。
「媚薬というほど大層なものではないよ。筋肉を弛緩させる作用はあるが、そこまで強い効果がある訳でもない。媚薬のように発情することもないし、感覚が鋭敏になることもない。ただ、濡れやすくはなるようだ……だから、初夜の花嫁のために使われる」
「あっ……!」
そう濡れた指先で責め立てられて、シルヴィアは達する。先の二度の交合で経験したような、濁流のような強い快楽とは比ぶべくもない。
それでもシルヴィアが、“自分の身”で初めて経験する絶頂だった。
「……もっと……もっと、わたくしを
快感に身を震わせながら、更に強くしがみついて
新妻のお強請りを喜んだ夫の濃密な愛撫がしばらく続き、次第にシルヴィアの身体に力が入らなくなっていく。
愛撫による快楽の故なのか、薬酒の効果なのか。完全に力が抜けて十分に潤い、いつしか受け入れる準備は整っていた。
「もう良さそうだ……。薬酒では、実際に痛みが無くなるわけではない。すまないが、こればかりは、私にもどうすることもできない……」
「……大丈夫です……。今の“わたくし”が、貴方に初めてを捧げられるのが、とても嬉しいので……その証なのですから、どんなに痛くても……平気です……」
そう笑みを浮かべるシルヴィアの顔を覗き込み、アルフレードは互いの手を重ねてしっかりと握り込み、優しい口付けを一つ落とす。
「自分でも信じられないくらい、今の私は君を本当に愛おしいと思っている。ルヴィ……これから私たちは、身も心も本当の夫婦になる……。二人で一緒に生きていこう」
「……はい、アルフレード様……」
そうしてシルヴィアは、夫であるアルフレードを痛みと共に身の内に受け入れた。その瞬間、その引き裂かれるような
聖女として生を受けたシルヴィアは、こうして一人の女性として生まれ変わったのだった──
『……これはまた……かなり、あからさまと言いますか……』
翌朝、新床へ双方の専属侍女が起こしに来て、それぞれの私室へと朝の準備のために引き上げた後、シルヴィアは入浴を済ませて大きな姿見の前に立っていた。
昨日と同じように全裸で、鏡に映る己が姿を見つめる。そこには、真っ白な肌に赤い花びらのように散らされた、数えきれないほどの数の“所有印”が映っていた。
あの時の言葉通り、本当に愛おしんでくれているのだと思い知らされる。首筋、胸元、みぞおち、腰、下腹、内腿──
アルフレードが口付けた場所を目で辿って、シルヴィアは頬を赤らめた。
『あの方が愛おしいと思って下さるようになったのは、間違いなく入れ替わりの後からですよね……。“オリヴィア”ではなく、“わたくし”を愛おしんで下さっている……』
そう思えて嬉しい。気づくと鏡には、蕩けそうに緩んだ、いかにも幸せそうな女の顔が映っていた。
それに気づいて、ようやくシルヴィアは、その顔と体が自分のものとして馴染みつつあるのを実感する。
夫を受け入れた痛みはまだ治まっていない。動く度に、ずきりと痛みが走る。だが、その痛みにさえも幸せを感じてしまうのだから不思議だった。
自然と、ますます顔が緩む。
「──本日は、襟の詰まったお召し物に致しましょう」
バスローブを着せかけながら、侍女の一人が微かに頬を赤らめつつ、微笑ましげに言った。
初夜の翌日は慌ただしかった。皇太子と共に朝食を摂った後は、皇后宮に出向いて皇后と共に結婚披露の宴の打ち合わせ。午後にも予定は詰まっているが、昼食はそのまま皇后と共にした。
皇太子も招いたらしいが、昨日の予定を前倒しして丸一日出掛けた煽りで忙しく、そんな時間は全く取れないらしい。
「大変ねぇ、あの子も。出来が良いものだから、ついつい陛下も、あれもこれもと仕事を押し付けてしまうのよね」
皇后は、困ったものだと言わんばかりに溜め息を吐く。
「新婚なのだから、もう少し楽をさせてあげれば良いのに。貴女も寂しいでしょう?」
「皇太子というお立場なのですから、仕方ありません。わたくしも、お手伝いできると良いのですけれど」
「そうね。披露目が済んだら、貴女にも公務が割り当てられると思うから、それまではゆっくりしていると良いわ。まぁ、そうは言っても、これからは披露目の準備で忙しくなるでしょうけど」
「準備自体は周りがしてくれますので、わたくしがすることと言えば、お作法などの淑女教育のおさらいや、ドレスの試着くらいですけれど」
食後のお茶を口にしながら、シルヴィアは苦笑する。
「そのおさらいが大変だとは思っていたのだけど……昨日も言ったように、所作やマナーは全く問題はないようね。それにしても、本当によくこの短期間で身に付けられたものだわ」
「わたくしも七歳までは王宮におりましたし……王妃である母を間近で見ておりましたから、基礎はできていたと思うのです。長らく遠ざかってはおりましたが、一から学ぶよりは身に付きやすかったのではないかと」
自分が得ている情報を絡めて、もっともらしい言い訳を口にすると、皇后は頷いて言った。
「まぁ、そうよね。置かれていた境遇はどうあれ、大国の王女ですものね。それに……確かに、クロイツェンの亡くなられた王妃は素晴らしい方だったわ」
「……母と面識がおありなのですか?」
「ええ。わたくしの故国の先王、つまりは祖父の葬儀の時にね。はるばる参列頂いたのだけど、わたくしもまだ皇太子だった陛下と里帰りが許されたの。その時に、年が近いこともあって親しくお話しさせて頂いたのよ」
「そうでしたか……」
クロイツェンの王妃は、オリヴィアが四歳の頃に亡くなっている。それから二年経って、兄王子が夭逝した。
王子については毒殺の噂がまことしやかに囁かれていたらしいが、もしかしたら王妃の死もその可能性があるのかもしれない。
“オリヴィア”がそんなおどろおどろしい宮廷と縁を切り、帝国に嫁することで保護されたことに心底安堵する。
『一応故国と言うことにはなるのでしょうけど、今後一切、そんな国とは関わり合いになりたくないです。帝国がヴァイツ将軍の要請を受け入れてくれて、本当に良かったわ……。ああ、表向きでしたね、そう言えば。実際は、老大公の思惑なのでしたっけ……』
皇太子と捕虜との密談を思い出し、シルヴィアは眉を寄せた。何となく引っかかる。老大公は何故、オリヴィアの婚姻を促したのだろう。
将軍と同じように亡き王妃に義理でもあるのか、それとも不遇の王女を気の毒に思ってのことなのか。
『あの時の話からすると、これからクロイツェンにクーデターが起きるのですよね? そんなことを画策している人が、忘れられていた王女を同情だけで助けたりするかしら……?』
ふいに背筋に悪寒が走った。なんだか、望んでいた一女性の人生とは縁遠いような──
「殿下、お顔が緩んでおられますよ」
皇太子の執務室で補佐官のロベルトが、苦笑しながら書類を差し出す。受け取ったアルフレードは、珍しくも気恥ずかしげに目を僅かに逸らした。
それにロベルトは驚いたらしい。目を丸くしてじっと主君の顔を凝視している。
「……自覚はある」
ぼそりと呟く青年の頬は微かに赤い。ロベルトは小さく息を吐いて笑みを浮かべた。
「お幸せそうで何よりです。昨日、久しぶりに妃殿下を拝見致しましたが、本当に別人のようでございました。明るいお顔をなされていて幸せそうなご様子で、何より殿下をとても信頼されておられるようにお見受け致しました」
「そうか……」
「ええ。知らぬ者が見れば、政略結婚だなどと間違っても思わないでしょう。私ですら、まるで相思相愛の恋人同士が式を挙げているようにしか見えなかったくらいですから」
アルフレードは嬉しそうに柔らかい笑みを浮かべる。
「筆頭侍女長のことで謝罪した私に、やっと心を開いてくれて、このひと月の間、どんな思いで過ごしてきたのかも包み隠さず全て話してくれたが……あれから、彼女は
「さようでございますか」
「感情を素直に表すようになったし、何でも遠慮せずに言ってくれるようになった。本来は、あんなにも天真爛漫な女性だったことを思うと、本当にあの者たちのことは腹立たしい。どれだけ傷つけ、委縮させたのか……八つ裂きにでもしてやりたい気分だ」
緩んでいた顔を一変させ、アルフレードは凍るような目で、冷え冷えとした気を迸らせる。
補佐官としては当然ながら、冷酷な為政者でもある主君の顔には慣れているのだろう。ロベルトもまた真顔になって頷いた。
「筆頭侍女長の取り調べは順調です。まだ公爵の名こそ出してはおりませんが、何者かに命を受けて画策したことは吐いています。それにしても、五十年以上も昔のこととはいえ、両者の関係をこちらが把握していないと思い込んでいるのが愚かですね」
「全くだな。三十年ほど前に嫁いできた母上でさえ知っているのに」
「それは……まぁ、皇后陛下ですから」
言葉を濁して引き攣った笑みを浮かべる補佐官を一瞥し、アルフレードは手にした書類に目を落とす。
「……そして、この状況でノルデン伯爵が公爵に接近したか」
「利害の一致なのでしょうが……失礼ながら、公爵も令嬢も馬鹿なのかと思うくらいに、公然と妃殿下を中傷していますからね。伯爵が目を付けるのは当然でしょう」
「今度の宴を好機と見ているのだろうが……まぁ、こちらにとっても同じだ。この機会に、懸念は一掃しておきたい」
「もちろんです。しかし……公爵親子の無分別は今に始まったことではありませんが、王国の側妃一派は何故こうも、妃殿下を害することに執着するのか……王国での調査結果待ちとはいえ、もどかしいですね」
「ああ……」
そう頷いた直後、扉がノックされ、警固の騎士が伝令の到着を告げた。ロベルトが伝令の手から文書を受け取り、主へと差し出す。
「噂をすれば……ですね」
アルフレードは素早く目を通し、整った顔を引き攣らせた。文書ごと手を机に叩きつけて唸る。
「くそっ、そういうことか……老大公め!」
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