第14話 聖女と妃

 身を縮めてさめざめと泣きながら、ひたすら謝り続けるオリヴィアに、シルヴィアはただただ怒りを感じていた。

 あの見た目通りに底意地の悪い老女が余計なことをしなければ──と、つくづく思う。


 そうでなければ今頃、オリヴィアは故国を出る時に抱いた決意通り、皇太子と良い関係を築き、皇宮での己の立場をしっかりと固めていたことだろう。

 だが、まだ遅くはない。オリヴィアのトラウマは深いだろうが、まだまだやり直せると思えた。あの皇太子となら、きっと──


 そう思った途端、胸の奥がちくりと痛んだ。シルヴィアは慌てて首を振り、負の感情を追い出した。

 二人がやり直すためにと、心を込めて言葉を尽くし始める。


「泣くのはもうやめて」

「で、でも……」

「話したいことがたくさんあるのです……貴女が落ち着いてくれないと、話せないでしょう?」


 オリヴィアは顔を蒼褪めさせながらも涙を拭い、唇を真一文字に引き結んで強く目を瞑る。そうして眉を顰めたまま、必死な様子で目を見開く。

 その瞳は揺れていたが、聞く体勢には入れたようだとほっとする。


「わたくしは、貴女の話を遮ることなく最後まで聞きました。ですから、貴女も口を挟まずに、わたくしの話を最後まで聞いて欲しいのです。それが済んでから、話し合いを致しましょう」


 硬い表情のまま、オリヴィアがこくんと頷く。それを見届けて、シルヴィアは話し始めた。


「まずは、わたくしの力について話しましょう。生まれ持った、神から与えられた聖女としての力の全ては、その身体に付与されたもののようです。ですから、今のわたくしが使える力は、貴女が使えていた神官程度の癒しと浄化だけなのですが、実はわたくしにはもう一つ、誰にも知らせていない力があるのです」


 そう言ってにっこりと笑うと、オリヴィアは固い表情のまま息を呑む。


「幼い頃に精霊たちの力を借りながら、試行錯誤して生み出したもので、感覚を他の動物や植物に同調させることができるの。例えば、子猫に同調して必要なところへ行ってもらい、そこでの様子を見聞きしたり……とかね。この力だけは、体が違っても使うことが出来ました」


 驚いたように目を瞠っているオリヴィアだが、約束通り口を挟んではこない。シルヴィアは自分のこれまでの人生を語った。

 赤子の頃に連れて来られて以来、大神殿から一度も出たことがなかったこと。五歳の時に外の世界を知り、意識が開け、知識欲が芽生えたこと。同調の力を得て以来、ありとあらゆることを見聞きできるようになり、どこの誰よりも情報通となったことを。


「だから、市井で噂されている程度のことだけど、貴女の故国での境遇も知っていました。それと……あまり大きな声では言えないのだけど、わたくし、閨事に関してはかなりの情報を持っているの。だから……あの状態でいきなり入れ替えられて、確かに驚きはしたけれど、さほどショックは受けなかったのです」


 唖然としているオリヴィアを気にすることもなく、シルヴィアは面白おかしく続けた。


「まぁ、驚く間もなかった……というのが正解ですけどね。入れ替わった瞬間にはもう十分に高まってしまっていて、えっと思った時にはもうね……いきなり、イっちゃってましたから。まぁ……凄かったです。話には聞いていましたが、女性が絶頂を迎えるというのが、あんなに気持ちいいものだなんて……」


 思わずうっとりと呟いてしまい、慌てて空咳をして誤魔化し、引き攣った笑みを浮かべる。


「とにかくですね……あの時は何も考えることすらできずに、初めて知る快楽に流されてしまいまして。だって、イったばかりなのに激しくされて、立て続けにまたイってしまって、最後には失神してしまったんですもの。気づいたら、あの方の腕の中で抱き込まれていて……その時ようやく、何でこんなことになっているのかしらと思ったけど……まぁ、神の気まぐれなのだろうから、ひと眠りすれば元に戻っているだろうと悠長に構えていたんですよね」


 なんでもないことのようにあっけらかんと言うシルヴィアに、オリヴィアは目を白黒させて、口をパクパクと開いたり閉じたりを繰り返している。


「朝、目覚めてもまだ戻っていなかった時には、さすがに困惑しましたけど。いつ戻れるか分からないので、とにかく情報収集しなくてはと思ったのです。それで、唯一使えた同調する力を使って、皇太子妃に関わる人たちの本音をこっそり見聞きして回ったの。専属の侍女たち、皇太子、皇后、筆頭侍女長、貴女は知らないだろうけど、貴女のことで色々画策していた人たち……」


 オリヴィアの顔が強張る。蒼褪め、体が震え出しているのを見て、どれだけの不安と恐怖に苛まれてきたのかを実感する。

 シルヴィアは心の底から気の毒に思いながら、オリヴィアが元に戻って、今度こそ幸せに平穏に暮らしていけるよう、言葉を尽くさなければと改めて奮起した。


「よく聞いてほしいの。貴女の輿入れにはいろいろな思惑が絡んではいたけど、発端は暗殺の危険から貴女を護るためでした──」

「え……?」

「──ジークハルト・ヴァイツ少将を知っているかしら。貴女の母君の乳兄妹で、陰ながら貴女をずっと守ってきた人です。これは教団の手落ちでもあるのだけど、修道院の新院長が側妃の手の者で、貴女の身が危険に晒されるようになってしまった。それで彼は、腐敗した王国を正そうとしている大公と手を組んだのです。前線に送られた彼は、わざと帝国の捕虜になり、皇太子に貴女の保護を願い出ました。そこから皇太子と貴女との結婚が和睦の条件となり、敗戦寸前だった王国は受け入れるしかなかった……側妃は最後まで反対していたそうだけど。輿入れの時に国境で、貴女が持参した物は全て取り上げられたでしょう? 連れて来た侍女や侍従も全て追い返された。あれは、貴女の暗殺を防ぐため……実際、衣服や小物からは毒や呪物が大量に見つかったそうよ」

「……!」

「皇太子が貴女との結婚を決めた理由は、実はもう一つあって……異常に恋着されて、家の力を使って強引に皇太子妃になろうとしていたサルヴァトーレ公爵令嬢から逃げるためもあったの。皇太子は、その令嬢が大嫌いだったみたいで……国益にもなるし、嫌いな令嬢を遠ざけることもできる。そう思って決めた政略結婚だけど、それでも皇太子は、縁あって結ばれたのだから慈しみたいと、貴女を大切にしようとしていたわ」

「そんなっ……だって……」


 オリヴィアの戸惑いは良く分かる。こうまでお互いの気持ちが掛け違ってしまったのは、偏にあの老女と公爵親子のせいだった。


「貴女に酷いことをして、いろいろと根も葉もないことを吹き込んだ筆頭侍女長はね、サルヴァトーレ公爵の手駒なの。狙いは……さすがに想像がつくでしょう? 皇太子と貴女を不仲にして、いずれは廃妃か、お飾りの妃にした上で自分の娘を皇太子に娶せるのが目的……酷い人たちですよね」

「……そんな……」


 放心したように項垂れるオリヴィアを、シルヴィアはそっと抱き締める。皇太子が昨夜してくれたように、その背を優しく摩りながら、大切な言葉を伝えた。


「わたくし、貴女が筆頭侍女長に言われた内容をそのまま皇太子に伝えて、だから閨事が怖かったって貴女の代わりに言ったの……その時の彼の言葉を伝えますね」


 あの時、皇太子が口にした言葉をできる限り正確に再現して、オリヴィアの耳元で囁いた。

 オリヴィアの瞳から涙が零れ落ちる。次から次へと涙が溢れ、終いには泣きじゃくり始め、シルヴィアは安堵しながら抱き締める腕に力を篭めた。


『心の棘は抜けたみたい……良かったです』


 ようやく落ち着いたのを見澄まして、シルヴィアは再びオリヴィアに癒しをかけた。目元の腫れが引いた顔を覗き込むと、その表情は幾分明るい。

 ほっとして、後は元に戻るだけだと居住まいを正す。


「その体なら、神と直接交信ができるはずだけど……神とは何かお話ししました?」

「入れ替わった直後に、お言葉を賜りました」

「なんて仰ってたの?」

「その……其方はシルヴィアの代わりに聖女になる気はあるか、と。そのお言葉で、わたくしは……聖女様と器を入れ替えられたことに気づきました。自分は何てことをしたのかと……我が身可愛さに聖女様を犠牲にしてしまったと、目の前が真っ暗になって……何としても聖女様にお会いして、お詫びをしなければと、そればかりを考えていました……」

「そう……では、神にはまだ、お返事はしていないのですね?」


 神がそこまでのつもりでいたとは全く思っていなかった。もっと気軽なお試しとか、一日体験とか、そんなつもりだとばかり思っていた。

 意外ではあったが、まずは神の真意を糺さなくてはならない。少々の怒りも覚えながら、シルヴィアはすっくと立ち上がる。


 拳を握り締めて鼻息荒く、衣装が濡れるのも構わずに、ずかずかと泉へと分け入っていく。

 泉の向こう──広大な森を背にする大神殿の、最奥に鎮座する巨大な水晶塊。それが神の依り代、いわば御神体であった。


 泉の水に腰から下が漬かったまま、屈強な騎士の背よりも大きな水晶に両手を押し当て、シルヴィアは語り掛ける。


「神よ、引きこもっていらっしゃらずに、さっさと出てきて下さいませ」

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