第13話 オリヴィアの述懐

 謁見の間、紗のカーテンの奥の扉からシルヴィアは“聖女”と共に、奥の間へと入った。“聖女”の命で、世話係をしている高位の女性神官たちが退出していく。

 扉が閉まるや、“聖女”が駆け寄るようにシルヴィアの足元にひれ伏した。


「申し──」


 言いかけた“聖女”の口を指先で急いで封じ、シルヴィアはその耳元で素早く囁いた。


「駄目、ここは外から見えるの」


 そうしてから少し慌てたように大きめの声で言った。


「聖女様、大丈夫でございますか? お怪我はありませんか?」


 いかにも転んでしまった“聖女”を助け起こすような素振りで立たせ、シルヴィアは再度小声で囁いた。


「神が呼んでいるとでも言って、わたくしを奥の泉へ連れて行って。あの場には精霊の結界があるの。誰も中を覗くことはできないし、精霊が認めた者しか入れない」


 小さく頷いた“聖女”は、たどたどしいながらも、それらしいことを口にした。


「……少し気持ち…が疎かになっていたようです……怪我はありません。神が……貴女を呼ばれています。わたくし…と共に……いらして下さい」


 おずおずと導かれて奥の泉へと向かう。その身を縮めるような後姿を見やりながら、シルヴィアは内心で溜め息を吐いた。


『本当に、姿勢が良くありませんね。修道院に居た頃から……?』


 多分違う。おそらくは、あの筆頭侍女長に辱められ脅されて、完全に委縮してしまったのだろう。

 修道院時代からずっとこのような姿勢であったなら、身体がそのように固まってしまっているはずで、シルヴィアがいつものように背筋を伸ばすのは支障があったはずだ。


 奥の泉。それを取り囲む結界に足を踏み入れた途端、大精霊たちが現れて歓喜し、纏わりついてきた。


──シルヴィア! やっと戻ってきたのね、良かった……

──どこへ行っていたんだ! 何故そんな姿でいる?

──貴女の体には別の魂が入っているし、貴女の魂が見つからなくて、どんなに心配したか……

──神はずっと沈黙しているし、一体何があったの?


 纏わりつきながら、口々に責めるように問い質され、シルヴィアは思わす苦笑した。


「いきなり神が、わたくしとその方の魂を入れ替えられたの。わたくしも何がなんだか……」


 そう答えるや、“聖女”が再びシルヴィアの足元にひれ伏し、泣きながら叫んだ。


「申し訳ありませんっ! わたくしのせいなのです、本当に聖女様には申し訳ないことを……あんな……あんな状態のわたくしの体に魂を入れ替えられるなんて……清らかな御心にどんなにか、酷いご負担を──」


 そう号泣する。普通に考えれば、過酷な体験なのだろう。身も心も清廉なはずの聖女が突然、男に抱かれている最中の女と入れ替わり、いきなり絶頂を迎えてしまったのだから。


 身も世もなく泣きまくる姿に、勢い込んでいた大精霊たちは顔を見合わせ、何も言えずにいる。

 シルヴィアは深々と溜め息を吐いて、とりあえず二人だけで話したいからと、大精霊たちにこの場から離れるよう頼んだ。


「そんな風に泣いていたら、何も話ができないでしょう? 少し落ち着いて、ね?」

 

 二人だけになって、その背を摩りながら、シルヴィアはあやすように言う。


「貴女は、皇太子妃のオリヴィアですね?」

「……はい」


 やっと顔を上げたオリヴィアは、泣き濡れた顔で頷く。


「貴女を責める気はありません。ただ……何故こんなことになったのか、貴女の事情を教えてほしいの」


 何とか身を起こしたオリヴィアに、神官程度でしかない癒しをかける。とりあえずは目元の腫れと、枯れた喉は治癒できたらしい。

 沈み込んだ様子ながらも、死を賭した願いを神に訴えるまでの経緯を話してくれた。


 ──物心ついた頃には王妃であった母は亡く、兄を喪い、日に日に側妃の嫌がらせはエスカレートしていった。

 母の頃からいた侍女たちは次々と辞めさせられ、病や事故で命を落とす者が増え、最後は乳母しか残っていなかった。


 代わりに付けられた侍女たちは幼い王女を冷遇し、父王が病がちになってからは、幼いながらにも身の危険を感じるほどとなり、王宮では毎日毎日恐怖と戦いながら暮らしていた。


 そんな折、乳母と数名の騎士たちにより王宮から密かに連れ出され、王国で最大の修道院に身を預けられた。

 そこで保護を約束され、年嵩の修道女たちから優しくされ、神の懐に迎え入れられたことを実感して、やっと安心して眠れるようになった。


 だから、十歳になって自分の道を決めることが許された時、迷いなく神の僕となることを願い出た。

 そうして七年、オリヴィアは心安らかに平穏な日々を送っていた。敬愛していた高齢の修道院長が亡くなり、後任が来てそれまでとは院内の雰囲気が少し変わったりもしたが、神の試練と割り切って一層信心を深めていった。


 そうして三か月ほど前、唐突に平穏は破られた。保護を約束され、外部との接触を絶たれていたはずなのに、新院長の采配で次々と面会者に引き合わされる。

 ある者は脅し、ある者は泣いて罪悪感を煽り、どんどんと追い詰められて逃げ場を失っていった。


 海千山千の大貴族たちの手管に、外界から途絶されて清らかに生きてきた少女が対抗できるはずもない。

 疲れ果てて気力を失ったところに付け込まれ、気づけば還俗させられて、離宮へと監禁されていた。そこで、突貫で王女としての最低限の教養を詰め込まれ、帝国へと送り出されたのである。


 神の僕として清貧に生きていくことを望んだ自分が、帝国の皇太子の下へ嫁がねばならない。

 それでも、そうすることで無辜むこの民の命と生活が守られるのだからと、これも神の試練なのだと自分に言い聞かせて故国を出た。


 帝国には、聖地である大神殿がある。そこには聖女もいる。自分はもう神の僕ではなくなるが、皇太子妃となるならば、聖地を護り、聖女や教団を外から支えていくことができるかもしれない。

 そう思うことが大きな救いだった。


 そのためには、夫となる皇太子とも良い関係を築き、いずれ子を生した時には愛情深く育てて、次代や更に次の代でも人々が平和に暮らせる国にできるよう、神を敬い民を思う為政者となるよう祈っていこう。そう気持ちを切り替えた。なのに──


「筆頭侍女長という人に言われたのです……わたくしは、嬲られるためだけに嫁がされたのだと。誰も……わたくしを妃などと思ってはいないと……わたくしは人質で、単なる戦利品で、ただの慰み者でしかないのです……」


 とりあえずは全て吐き出させようと、シルヴィアは口を挟まずに、ただ先を促し続けた。


 砦で筆頭侍女長に惨い経験をさせられた後での初夜は、何をされるのかも分からず恐怖でしかなかった。

 あれ以上に酷いことをされるのではと、ひたすら身を縮めて痛みや悍ましさに耐え、ただただ時間が過ぎるのを待った。


 毎夜、皇太子が寝所を訪ねてくる。その度、いつ豹変するのか、いつ酷いことをされるのかと戦々恐々としていた。

 皇太子がいると怖くて寝付けない。向こうも行為が済めば関心が無くなるのか、長く留まる様子がないのだけが幸いだった。


 ずっと酷いことをされる様子がないのを不思議に思っていたが、初夜から十日ほど経って、急に皇太子の様子が変わった。

 それまでは、どこか淡々と作業のように触れ、義務のように体を繋いで吐精するだけだったのに。


 愛撫に時間をかけ、触れ方が執拗になった。肌を探るように手を這わされ、反応を見せたところを入念に触れてくる。

 必死に堪えていたが、触れられる度に体が敏感になっていく。それが堪らなく嫌だった。


 嬲るために手に入れた女に、何故こんなことをするのかが分からない。身を穢すだけでは飽き足らず、心をも穢そうとしているのかと、悍ましくて堪らなかった。

 身の奥に熱が溜まっていき、声を上げて反応してしまいそうになるのを、唇を噛み、敷布を強く握り締めて必死に堪え続けた。


 閨事が疎ましく、夜を迎えるのが恐怖になっていく。解放されるには、子を孕む以外にないと思い、必死で祈ったが叶わなかった。

 月のものが訪れた時の絶望は、筆頭侍女長に帝国の思惑を聞かされた時以上だった。


 また、毎夜あの恐怖に耐えなければならない。死にたい、死んでしまいたい。神に申し訳ないと思いつつも、そんなことばかりが頭を過るようになっていった。

 そして、あの夜──ますます敏感になった体を抑えることができず、まるで爆発しそうな感覚までになった時に、心が耐えられなくなって神を脅していた。


──神よ……もう、こんな世界にいるのは耐えられません……どうか、わたくしをお救い下さい……それが叶わぬのなら、このまま死なせて下さい。貴方の手で殺して下さい。お願いです──


 そうして、気づいた時には泉の中に佇んでいた。最初は、神に救われたのだと心の底から喜んだ。

 だが、すぐにここが大神殿で、自分が体ごと転移してきたのではなく、聖女の体に入れ替えられたのだと神の言葉で知らされる。


 オリヴィアは、更なる絶望に襲われた。自分が救われたいばかりに、この世で最も尊く清らかであらねばならない女性を身代わりにし、犠牲にしてしまったのだと。

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