第7話 情報収集―皇太子2


 「ガーネット、そんなところで寝てないで、いい加減出て来い」

『あら……まさか、気づいてましたの?』


 ソファの下へ、手が差し込まれる。ガーネットは皇太子にずいぶんと懐いているらしい。シルヴィアが思案する間もなく一声鳴いて、その手に頭を擦りつけた。

 それを合図とするように、皇太子はソファ下から子猫を引っ張り出して抱き上げる。


「いつの間に……」

「かなり前だな。侍従が出て行く時に入ってきた。珍しく寄って来ないと思っていたが……物陰の床で寝るくらいなら、ソファの上で寝れば良いものを。猫の気まぐれは良く分からないな」


 目を丸くしている補佐官に答え、皇太子は冷徹な雰囲気を一変させた。


「ほう……その猫ですか。殿下が散々吟味されて、妃殿下に贈られたというのは」

「国境を超える際、何もかも取り上げたからな。敵国に身一つで頼る者もないのでは、あまりにも不憫だろう? できるだけ人懐っこいのを選んだんだが、周りになかなか馴染めない中で、こいつのことは気に入ってくれたようで良かったよ」


 それまで黙って控えていた騎士団長が、感心したように言い、それに答えながら、皇太子はとても優しい顔で子猫に微笑みかける。


『これ……は……わたくし、生身でなくて良かったです。絶対、心臓に良くなさそう……』


 稀有な美形の屈託のない笑み──それを間近で向けられる破壊力は半端ない。自分に向けられているわけではないにも関わらず、シルヴィアはどぎまぎさせられた。


 皇太子はそのままソファに腰を降ろす。膝に乗せた子猫をひとしきり撫でた後で、ようやくにして顔を上げる。それを待っていたように、少将が困惑した顔で尋ねた。


「あの……何もかも取り上げたというのは、どういうことで?」

「収容所にいた君は知るはずもないが、和睦の条件の一つとして王国は最初、第二王女と私との結婚を申し入れてきたんだ」

「え!? 第二王女ですか? あんな幼い王女を?」

「君の王国に残る同志とやらが、婚姻による和睦を王室に促す手筈だったはずだが……こちらもまさか、七歳の王女を結婚相手に出してくるとは思わなかったんでね、さすがに呆れたよ。これには父帝が激怒されてね、我が帝国を舐めているのかと。王国の使節として来たノルデン伯爵を、私でさえ背筋が凍るような剣幕で一喝されたんだ」

「ああ、あれは凄まじかったですね……普段は温厚な陛下ですが、もともとは帝国屈指の武人ですから。あれほどの威圧は久々に見ました。あの伯爵などは、真っ青になって腰を抜かしてましたしね」


 皇太子と騎士団長の話に、少将は呆気に取られて呟く。


「ノルデン伯は側妃の兄で、派閥の長である父侯爵の懐刀と言われ、父親譲りの尊大さ冷酷さ、奸計に長けたタチの悪い人物と評判でしたが……」

「そうなのか? 近くにいた騎士の話では、どうも失禁していたそうだが」


 騎士団長の暴露に少将はぷっと吹き出し、肩を揺らして笑いを堪えている。


「当初の予定通り、父帝は第一王女であれば考慮すると突っぱねた。あちらも相当肝を冷やしたようで、以後はこちらで付けた条件を丸呑みするようになった。側妃は最後まで反対していたらしいがね」

「まさか、オリヴィア王女に危害を?」

「さすがに、和睦の条件である花嫁を王国内で害するわけにはいかないだろう? 何かするとすれば国境を超えた後だろうから、我が帝国の慣習と偽って、ありとあらゆるものを取り上げ、王国人は全員追い返した」

「なんと……」

「国境の砦には、侍女百人と一個連隊を護衛として向かわせた。その迎えを見た上では、あちらも何も言えなかったようだ。取り上げた物品は入念に調べさせた。夥しい数の呪物や、様々な種類の毒を含んだ日用品が確認されたよ。使用人が持ち込むはずだった荷物には、凶器も発見されている」

「……予想はしていましたが、もの凄い執念ですな」


 侍女たちが話していた内容ではあったが、嫁入りまでの裏話と詳細な事実に、シルヴィアはぞっとした。


『なんて恐ろしい……皇太子が、この少将の直訴を受け入れていなかったら、オリヴィア妃は今頃はもう、生きてはいなかったのではないでしょうか』


 子猫を抱えたまま、皇太子は執務机へと戻る。椅子の背に片手をかけて、ちらりと少将に向けた顔は、また感情の見えない冷たい表情に戻っていた。


「この後、君たち捕虜は全員、王国へ送還となる。君の手並み……いや、大公の采配をじっくりと拝見させて頂くとしよう。さすがに隣国の騒乱が長引くのは、帝国としても困る。国境は戦時体制をしばらく続行する予定だ。難民は誰一人受け入れるつもりはない。もちろん助力嘆願、亡命もしかり、だ」

「大公の思惑はともかく、私としては、オリヴィア王女を保護して頂けるだけで十分でした。だが、殿下は妃として受け入れて下さった。後はもう、王女が幸せになって下されば、それで」

「君は、亡き王妃の乳兄妹だそうだな」

「……殿下のもとには、ありとあらゆる情報が集まるようですな。これでは、退廃した王国などが勝てる道理もない……大公は慧眼だ。あの方がもう少し若くさえあれば……」


 皇太子は鼻で笑って、騎士団長に軽く手を振る。そうして王国の捕虜は戦火に身を投じるべく、故国へ帰るために連行されていった。


「私が、オリヴィアを妃として迎えたのは、都合が良かったからなんだがな……」

「皇族の結婚は、それが当たり前です。自国の都合のため、利益のため。帝国にとっては、大公によるクーデター後の王国は都合が良い。弱みを握った上での同盟ですからね、十分にマウントを取れて理想的ですらある。もっとも……殿下の仰る都合は、そういう意味だけではないでしょうが」

「まぁな」


 皇太子は自嘲するように笑みを浮かべて、子猫を撫でる。


「殿下は幼い頃の初恋に囚われて、ずっと婚約者を決めずにきてしまわれましたからね。皇太子妃などにできる女性ではなかったと言うのに」

「仕方ないだろう? 簡単には思い切れなかったんだから……そのうち、彼女以上に惹かれる女性に出会えれば忘れられると思っていたんだ」

「さすがに帝国の皇嗣となられるお方が、成人となっても伴侶を決められないというのは、周りに責められても仕方ありません。殿下に固執するサルヴァトーレ公爵令嬢が、家門の力を頼んでごり押ししてきたのも当然の結果ではありました。公爵家の威光で他家の令嬢は候補に名乗り出ることもできず、強引に押し切られそうなところでヴァイツ少将の申し出があり、殿下は即行でそちらに決められた。事実上の敗戦国とはいえ、大国の王女相手では公爵家も太刀打ちできない。そんなに、あのご令嬢が苦手でしたか?」

「私は人付き合いという点で、ある程度どんな相手でも合わせられる自信があった。だが、どうしてもそりが合わない相手と言うのが存在することを、彼女によって思い知らされた……会話が成立しない、価値観が合わない、一かけらも好意が持てない。そんな相手が妃になって閨を共にするなんて、悍ましいとしか思えなかった……多分、どう頑張っても勃たないと思う」

「……そこまで仰いますか。お若いながらも人格者として知られる殿下が、それほど嫌悪されるというのは相当ですね……まぁ、分からないでもないですが」


 補佐官が僅かに顔を引き攣らせ、困ったように笑う。皇太子の腕に抱かれた子猫の中で、シルヴィアは思わず端正な顔を見上げていた。


『サルヴァトーレ公爵令嬢……一体どんな方なのでしょう? ミラーノ公爵家の令嬢は可愛い方だったけど。同じ公爵令嬢でも、ずいぶんと人格的に問題がありそうですね……この皇太子なら、国に益のある政略結婚であれば、仕方なくでも受け入れそうなのに。ここまで毛嫌いするなんて……』


 サルヴァトーレ公爵家については名前くらいしか知らないが、ミラーノ公爵家の方は良く知っている。大神殿の近くに広大な屋敷を構えていて、幼い令嬢と、まだ幼児や乳児である弟妹たちがいる。

 令嬢も弟妹たちもとても可愛らしく、シルヴィアは小動物や鳥に意識を載せ、こっそりお邪魔してはでていた。


 その令嬢が十歳になった頃、皇太子にまみえる機会があって、あまりの凛々しさに幼いながらも恋をしてしまったらしい。

 以後、令嬢は初恋を叶えるため、皇太子に相応しいレディになろうと、それはもう涙ぐましいまでに必死に努力をしていた。


『礼儀作法にダンス、芸術や文学などの教養を深め、国の歴史や政治に関することまでお勉強して……皇太子の結婚が発表された時、もの凄くショックを受けて、お部屋に閉じこもってずっと泣いていましたっけ』


 健気な幼い令嬢のことを思うと胸が痛い。あの令嬢が、もう少し年齢が上だったならば、皇太子妃になる機会があったのかもしれない。これも巡り合わせなのだから、仕方ないのだろうが。


「殿下、そろそろ皇后陛下とお約束された昼食の時間です。皇后宮へ向かわれませんと」

「もう、そんな時間か。ガーネットをどうしようか」

「廊下に出しておけば、勝手に好きなところへ行くでしょうが、皇后陛下もガーネットを可愛がっておられますし、連れて行かれても宜しいのでは?」

「そうだな。オリヴィアが心配するといけないから、私が連れていることを向こうに伝えておいてくれ」

「畏まりました」


 そんなやり取りの後、皇太子は子猫を抱えたまま執務室を後にした。


『皇后のところ……皇帝が国益を考えて決めた婚姻でも、皇后が歓迎しているかは分からないものね。オリヴィア妃をどう思っているか、本音が気になるところです。なんといっても皇宮の女主ですもの、影響力は一番ですし』


 すっかりオリヴィア妃の側に立って、いろいろと考えてしまっているシルヴィアだった。

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