第6話 情報収集―妃の故国
ややしばらくして数名の騎士に伴われて、後ろ手に手枷を嵌められた体格の良い男が連れて来られた。
「騎士団長だけ残って、他は下がるように」
皇太子の命に不安げな騎士たちは、騎士団長らしき年配の騎士が頷いたのを見て、ぞろぞろと退室していった。
「ジークハルト・ヴァイツ少将、我が帝国の捕虜収容所の居心地はどうだ?」
執務机を挟んで向き合う捕虜を見据えて、皇太子アルフレードが問う。ヴァイツ少将は軽く肩を竦めて笑みを浮かべた。
「牢獄どころか王国軍の士官寮と比べても、まるで天国ですよ。食事は美味いし、清潔だし、捕虜に対する虐待もない。私が将軍だからと、特別扱いされている訳でもないようですしね」
「君の肩書に敬意は表するが、将軍だからと待遇について優遇するつもりは確かにないな」
「ええ、同時に捕虜になった一般兵も私と同じ待遇と聞いて、逆に安心しました。王国ですと、そうはいきませんから」
皇太子は補佐官と渋い顔を見合わせて、軽く首を振る。
「“和睦”に幾つか付けた条件の一つによって、我が国の捕虜は全員取り戻している。彼らから聴取した、王国の収容所での待遇については報告書を読んだよ。身代金を高く取れる貴族や地位の高い者は優遇されていたようだが、平の騎士や一般兵などは不衛生で狭い牢に押し込められ、食事も粗末なものを最低限。過酷な拷問や虐待を受けた者も多い」
「……そうでしょうね。捕虜に死者はいなかったのですか?」
「死者は無かったが、拷問や虐待で障害を負った者が多かった。本来なら、彼らの職務への復帰は絶望的だったろうな」
「本来なら?」
皇太子の言葉尻を捉えて、少将は小首を傾げながら問い返す。それを咎めるでもなく、皇太子は口角を僅かに上げて言った。
「わが帝国には、神の御子である聖女がおられる。あの方の治癒力は凄まじいからね」
「治癒……ですか? しかし、障害というからには……」
「あの方は、四肢の欠損すら回復させる力をお持ちだ。さらに言うと、魂がその場に残ってさえいれば、死後の蘇生すら可能なのだ」
「なんと……大神殿の奥深くに聖女様がおられることは知っていましたが、それほどの力をお持ちだとは……」
少将は心底驚愕したように顔を引き攣らせている。まさか、すぐ間近のソファの下から、当の本人が聞き耳を立てているなど、思いも及ぶまい。
シルヴィアは内心で、思わず苦笑していた。
確かに、戦争中に帝国軍の人的被害が極端に少なかったのは、聖女であるシルヴィアの力によるところが大きい。
出陣の際には、大神殿へ祈願に訪れた防衛師団に対して一斉加護を与え、前線から引き揚げて来た負傷兵はまとめて治癒している。
通常は、いくら大神殿が帝国内にあるとは言っても、国同士の戦争に対して、教団が一方に肩入れすることはない。
だが、今回は金鉱奪取という独善的な目的での、王国による一方的な侵略戦争だった。だからこそ、防衛に限定した範囲でのみ、加護を与えることを神が赦したのである。
『十日ほど前に大神殿へ運ばれてきた重傷者たちは、捕虜にされた方々でしたのね。終戦から随分と時間が経っていたから、どんな遠くの激戦地から引き揚げて来たのかと思ってましたが……』
つまりは、前線の戦場で負傷したのではなく、後方の捕虜収容所で負傷させられたということである。
さすがに、王国に対して怒りが込み上げた。ほぼ全員が、身体のどこかに欠損があったのだから──
「本当に……我が故国ながら、反吐が出ます。あの側室一族が権力を手にしてからというもの、王国は蛮族の地に成り果てた。追従する者を優遇し、批判的な者を閑職に追いやる。それでも反発する者は文官であれば冤罪で投獄、武官であれば最前線に送られる」
「君のように?」
にっと笑う皇太子に、少将もにやりとした笑みを浮かべて応える。
「それで私は、英明なるアルフレード皇太子殿下の類まれなる軍略により包囲され、捕虜となった次第ですが……まぁ、お陰で貴方様に直訴する機会を頂けたのだから、皮肉なものです」
「軍略も何も、最初から投降するつもりで、自ら包囲網に入り込んできた奴が何を言う」
「見解の相違ですな」
小さく溜め息を吐き、皇太子は机に両肘を突いて手を組み、表情を切り替えた。
「さて……そんな命がけでの陳情の裏を取って様々な面から検討し、父帝や高官たちを説得し、深刻な身の危険に晒されていた第一王女を、私は娶ることで保護したわけだが──」
修道女となって教団の庇護を受けていたはずの王女に、まさか身の危険が及んでいたとは──聖女として、いわば教団の頂点に立つ位置にいるシルヴィアは驚かされた。
確かに、各国内に多数存在する修道院は、教団の統率下にはあるものの、院内の規律は決して均一ではない。院長の人となりに左右される部分が大きいとは聞いた覚えがある。
『そういえば……王女がいた修道院って、半年くらい前に前院長が亡くなられて、新しい院長に代わった所じゃなかったでしょうか……。もしかして、その後任が側室派だとか?』
俗世を絶ったはずの聖職者が、そのような陰謀に関わるとは思いたくはない。だが、そうでもなければ、修道女である王女に身の危険が及ぶ事態など考えられなかった。
「──引き換えに、君は王国の国内情勢や軍備など詳細な情報を提供してくれた。お陰でさしたる損害もなく、圧倒的優位で終戦に持ち込むことができた。こちらにとっては防衛戦に過ぎなかったが、肥沃な土地を接収し国土を拡大できたことは喜ばしい。また、我が帝国が事実上の戦勝国であることだけでなく、この私が王女の夫であるという事実をもって、王国の内政に口を挟む口実ができたことにもなる」
整った顔に冷酷な支配者然とした感情の見えない表情を浮かべ、淡々と告げる。少将は威圧を跳ね返すように、余裕に満ちた顔で言った。
「今の王国にとっては、私の所業は売国奴のそれに間違いないでしょうな。だが、王国を今現在の状況に貶めた輩こそが、真の売国奴だ。気高く慈悲深く、万民の母と慕われていた亡き王妃の御子を、奸臣から護るためなら何と謗られようとかまわない」
「なるほど──」
一言呟いて、少将の目をじっと見据えていた皇太子は、ふいに酷薄な笑みを浮かべた。
「──忠義の臣の悲壮な覚悟は良く分かった。で?」
「……?」
「絵図を描いているのは誰だ?」
「何を……」
「君は駒の一つに過ぎない。全体を身通し、綿密な計画を立てた者がいる。現状では実権を持たないものの、議会や閣議に発言権があるか、もしくは手の者を送り込める立場にあり、ある程度流れを誘導できる者……少将ごときでは不可能だ。傍系王族、もしくはそれに近い高位貴族……先王の弟、老大公辺りか」
「……!」
息を呑む気配がした。
『あらあら……それでは確かに、少将ごときと言われても仕方ないですよ。動揺しているのが、ダダ洩れじゃないですか。それにしても……皇太子は武勇だけでなく政にも秀でていると評判ですが、噂どころではありませんね。これで二十一歳……末恐ろしいです』
閨で最後に見た優しい顔や、年相応の寝顔からはかけ離れた、全く別の為政者としての冷徹な顔。その奥深さに、シルヴィアは強く興味を惹かれた。
『この国をどう導いていくのか、傍で見ていられたら愉しそうですけど……わたくしの役目ではないのが、ちょっと残念です』
引き攣った顔を隠すこともできずにいる少将に、皇太子は吐き捨てるように続ける。
「そのように腹芸もできないのであれば、駒としても力不足だな。身柄が返還された後は、クーデターの首謀者として担ぎ上げられる予定なのだろう?」
「……そこまで、お見通しとは……」
絶句した後、ややしばらくして絞り出すように呟いた少将は、おもむろに膝を突いた。
「お見それしました……。どうぞ煮るなと焼くなと、お好きなように」
「今更だな。私は既に、その茶番に乗ってやっている。正直に話せ。大公の最終的な狙いは何だ? 大公の息子は病死していたはずだな。ああ……もしや、それも側妃一派の仕業か?」
「おそらくは……十数年前のことですが、王妃所生の亡くなられた第一王子と同じ病状でした」
「息子には忘れ形見がいたはずだ。己の血筋を王に据えたいのか、それとも復讐か?」
少将は深く頭を下げて応える。
「第一は復讐かと。大公は息子を溺愛しておりましたから……私を引き込んだのは、その息子と親しかったからです。士官学校の同期でした」
「なるほど。第二は?」
「己の血筋にはこだわっていないように、私には見受けられました。王家の血を引く者として、国の現状を憂いているのではないかと。息子の忘れ形見は十八で、聡明な者ですので、旗頭には十分だと思われますが……あまり矢面には立たせたくない様子でした」
「旗頭になり得る王女を帝国へ嫁がせておいて、か?」
「あのままでは、王女は暗殺されていたでしょう。ですが、今はもうその心配はない。その上で、子を身籠られれば……その子を旗印にすることは可能かと」
「ずいぶんと悠長で不確実な話だな」
呆れたように言い捨て、皇太子はおもむろに立ち上がった。跪いたままの少将には目もくれずに、ソファの方へ足を進めた。
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