第4話 情報収集―侍女

 「あなたの名前、何ていうのかしら……」


 首の飾りやリボンを確認してみたが、子猫の名前は入っていない。侍女に聞くのもどうだろうと思っていると、ふいに頭に声が響いた。


──ガーネット

「え……?」


 子猫が応えた──シルヴィアは、はっとして子猫を抱き上げ、その目を覗き込む。


「ガーネット?」

「ナァ~」


 名を呼ばれて、返事をするように鳴く。


「もしかして……!」


 神から与えられた、生まれた時から持っていた聖女の力ではなく、自分で編み出して習得し、後から使えるようになった力ならば、今でも使えるのではないか。

 そう思い至ってシルヴィアは、ガーネットに感覚を同調させてみた。


 ふいに二つの視界が重なる。自分が見ている視界と、ガーネットの視界──二重になった視界を遮るために、シルヴィアは目を閉じた。

 脳裏にガーネットの視界だけが浮かぶ。目を閉じたオリヴィアの、美しいがやつれた顔が映る。


「良かった……こっちの力は使えますね。これなら、何とかなりそう」


 そうして自分の意志と感覚を載せたガーネットを、まずは侍女たちの方へ向かわせてみた。

 ガラスをカリカリと掻く子猫に気づいて、侍女の一人が扉を少し開けてくれた。そこから滑り込んで中へ入ると、別の侍女に抱き上げられた。


「まぁ、珍しい。いつもは、お散歩から帰ると、ずっと妃殿下のお傍にいるのに」

「お腹が空いているのかもしれないわ」

「そうね、ミルクを持ってくるわ」


 そう言って一人が部屋から出て行く。侍女に抱き上げられたまま、部屋の中に残る侍女たちの会話に耳を澄ませた。


「それにしても、妃殿下、少し明るくなられたようで良かったわ」

「ええ、ようやく殿下とお心が通じられたのではないかしら?」

「そうかもしれないわ。今朝は殿下は夜明けまでいらして、今まで拝見したことがないくらい、とてもご機嫌がよろしかったし」

「そうなの?」


 勢い込んで尋ねる同僚たちに、朝方、寝台でシルヴィアを起こした侍女が、安堵の色を載せた明るい顔で頷く。


「ええ。妃殿下はお輿入れからずっと、殿下に壁を作られていたご様子だったでしょう? 多分だけど、その壁がようやく無くなったのではないかしら」

「まぁ……それは、殿下もお喜びでしょう。殿下はずっと、和睦の証とはいえ、還俗までさせてお妃にされたことを、とても気に病んでおいででしたもの」

「ええ、物心付いたかどうかの幼い時分から神の僕として過ごして来られた方が、ご自分を蔑ろにしてきた国の都合で世俗に戻されて、無理やり敵国に嫁がされるなんて……こんな理不尽なことはないでしょうから」


 侍女たちは沈痛な顔で頷き合っている。そこへ、ミルクを取りに行った侍女が戻ってきた。

 ミルク入りの皿が床に置かれると、ガーネットを抱えていた侍女がそこへ降ろした。ミルクを舐め始めるのを囲んで見下ろしながら、侍女の一人が戻ったばかりの侍女に問うた。


「そういえば、あなた、国境の砦へのお迎えに行っていたわよね? 妃殿下は、どんなご様子だったの?」

「お引き渡しの時のこと? ずっと押し黙っておられて、何もかも諦められたような、絶望されたような……そんなご様子だったわ。ほら、あちらの国で、側妃の派閥は最後まで反発していたという話があったでしょ?」

「ええ、国境を越えた後に暗殺の危険があるんじゃないかって、陛下や殿下がご心配されて、王国の者をお傍に置かないようにするために、わが国の慣習だと偽らせられたのよね? 王国の人間や物を一切合切、帝国に入れさせないようにするために」

「そうそう。妃殿下が触れられる物にも、毒や呪物を潜ませてくる懸念があったとかで。御身の安全のためとはいえ、砦の一室で見知らぬ帝国の侍女たちが寄ってたかって、一糸まとわぬ姿におさせして検分したのだもの。まだ十七歳でいらっしゃる妃殿下にしてみれば、とてもお辛かったと思うわ」


 皇太子妃付きの侍女たちは、オリヴィアからすれば、母親くらいの年齢以上の者ばかりである。だからなのか、年若い女主人をどこか庇護対象のように見ているフシがある。

 侍女たちは皆、沈痛な顔で溜め息を吐いていた。


「修道院では王女ではなく、ただの修道女として清貧な暮らしを十数年も続けて来られた方だから、身支度などに他人の手を借りることも慣れておられなくて……」

「それはそうでしょうね。一か月経った今でも、まだ慣れては頂けていないくらいだし。砦でのお清めなどは、とても嫌がられたのでは……?」

「ええ、最初は自分一人で出来るから、触らないでと頑なに仰っていたのだけれど、筆頭侍女長に一喝されて……ずっと身を縮めて震えていらして、泣きそうなお顔で唇を噛んで俯いていらしたわ」

「お可哀想に……筆頭侍女長も、もう少し気を使って差し上げても良いでしょうに」

「あの方は、異常なほど頑迷な方だから……未通の確認もとても酷だったわ。もしかしたら、そのせいなのかも……妃殿下がずっと、閨ごとを厭わしく思われているご様子だったっていうのは」

「え!?」


 その場を見て来た侍女が、腹立たしげに訴えるのを聞いていた他の侍女たちは、皆一様に驚きを露わにする。


「どういうことなの? 初夜から、ここ一か月ほどの間の妃殿下の痛ましいご様子は、筆頭侍女長が原因だと言うの?」

「そのことでは、殿下だってずっとお悩みになっていらしたのよ?」

「あの方、妃殿下に一体何をしたの!?」


 同僚に責めるように詰め寄られた侍女は、声を潜めて話し出した。


「確かに必要なことではあるけれど……いくらなんでも言い方とかやり方ってものがあると思うのよ。清めの後、本当に小さくなって身を抱えていらっしゃる妃殿下に、仁王立ちになって『万が一にも他のたねが仕込まれていては敵いませんからね。穢れた行いをしていないか、この場で確認致します』って……」


 聞いていた侍女たちが絶句する。更に回想は続いた。


「確認の方法を告げられた後、妃殿下は愕然とされて嫌だと拒否されたの。それを筆頭侍女長は、疚しいことがあるのではと責め立て始めて……」

「そんなわけないでしょうに!」

「それで……青くなって尻込みされている妃殿下を、直属の侍女たちに命じて力づくで抑え込ませたの」

「なんてこと……」

「妃殿下は泣きながら逃れようとされたんだけど……乙女だとしても、暴れると傷物になるでしょうにって大声で叱り飛ばして、両手両足を抑えつけさせて無理やり足を開かせたのよ。わたくしたちは、とても見ていられなくて、みんな顔を背けていたわ。その間ずっと、妃殿下は泣き叫んでいらして……」

「なんて惨い……」

「お労しいこと……」


 口々に嘆き、最後に全員で溜め息を吐く。


「どんなにか、恐ろしい思いをされたことでしょう……確かにそれでは、閨事に恐怖を抱かれてもおかしくはないわね」

「そうね。あまりにも妃殿下が怯えていらっしゃるから、殿下は最初の夜からずっと、事の後は長く留まらないようにされてきたのよね?」

「ええ、最初から最後まで身を固くされていて、事が済んだ後も背を向けて身を縮めて震えておられたら、さすがに殿下も留まられづらいでしょうし」

「殿下はお優しい方ですもの。ご自分が一緒では、妃殿下が安心して眠れないだろうと気を使われていらしたんだと思うわ」

「でも──」


 また沈鬱な雰囲気になりかけたのを、考え込んでいた一人が口を挟む。


「──今朝は違ったんでしょう? お輿入れから初めてじゃない? 殿下が朝まで残られていらしたのは」

「そうよね。今朝の殿下はとても明るいお顔をされていらして」

「ええ。何より、妃殿下も今までとは違ったご様子だったもの」

「良くお眠りになられたようだったわね」

「そうね……いつも眠りが浅いご様子で、あんな風にお起こししたのは初めてだったわ」


 ガーネットに同調して侍女の話を聞いていたシルヴィアは、おやと思った。


『えっと……オリヴィア妃がやつれていたのは、皇太子が毎夜、激しく求めていたからではないのでしょうか……? この人たちの話だと、今まで、致した後は早々に引き上げていたみたいですけど……』


 皇太子としては、怯えて閨事を疎んじている相手を可哀想に思っていたとしても、抱かないわけにはいかない。国同士の結びつきのための婚姻は、個人の婚姻とはわけが違う。少なくとも子ができるまでは、交合は義務である。


 侍女たちの話からすると、昨夜のような激しい交合は初めてだったのではないだろうか。だから、皇太子はあんなに喜んでいたのかもしれない。


『わたくしが感じてしまって、声を上げたり、その……乱れたりした……から?』


 しかも、そのさなか、無意識のうちに皇太子にしがみついてしまっていた。それを皇太子は、頑なに自分を拒絶していた妃が、やっと心から受け入れてくれたと思ったということなのだろうか。


『どうしましょう……これ、とっても不味まずいのでは……? 元に戻った時に、夫婦仲がおかしなことになってしまうんじゃ……』


 不可抗力ではあるが、気づかぬうちにやらかしてしまったようだ──あまりにも、オリヴィア妃に申しわけない。皇太子にも、ぬか喜びをさせたことになってしまう。

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