終
さてこまが
「龍海様、
廊下に点々と置かれた
中から、「入りな」と深く重い声が返ってくる。すらりと開いた障子の向こうには、
「おお来たか。どれ、緊張してるな。え?」
早速無遠慮に揶揄われ、指をついて頭を下げたこまは、そのまま頷くしか出来なかった。
ちろりと顔を上げて龍海を見る。遠くからお
「もっとこっちへ寄んな。なに、すぐにはしねぇさ。それともさっさと終わらせちまいたいか」
その問いにも、彼はうんともすんとも答えられず視線を彷徨わせた。
だがその目がある一点、龍海の脇腹から覗く
「おッ、気になるかい」
彼がにたりと笑って背中を向ける。その瞬間、こまは息を呑んだ。彼のしなやかな筋肉の凹凸の上、斜めに落ちた着物の衿から、水墨の雲間を昇る見事な龍が顔を覗かせている。
龍海の広い背には、隆起する筋肉の
こまは吸い寄せられるようにその背中に触れた。熱い肌はしっとりと汗で濡れていた。龍海はまじまじと刺青を見つめるこまを、面白そうに眺める。
「……きれい……もっと見たい、」
「ほう? 芸に
そう言って彼がもう片方の袖も落とすと、とうとう立派な龍が姿を現した。だが惜しくも尾が帯の下に潜り込んでいる。こまはするりと龍海の帯を解いた。龍海が褌も全て脱ぎ去ると、肩から硬い尻たぶの下にかけて、ため息が出るほど立派な龍が、長い髭を
こまは抜き取った帯を握り締めながら、唖然とその背を見上げていた。生きているようである。そう零すと、寒い寒いと言いながら着物を引っ掴んだ龍海は得意げになった。
「そうだろうよ、これを彫った奴の腕は超一流だぜ。今じゃ
「この龍は、俺の守り神みてぇなもんでね。ただの願掛けのつもりが、お陰で仕事も何もかもが上手くいった」
気の利いた返事代わりに、こまはちらりと上目に龍海を見やって、一つ頷いた。
「あんたのそのお
「……俺の店?」
「呉服屋をやってんだ。それで、あんたんとこの姐さんとは趣味が合うし、お得意様だから、上等な品は一番に持ってくる。その着物も俺が見立てた。まあ、ちょっとした祝儀みたいなもんだ。似合ってて良かった」
龍海の指が、こまの頬にかかる髪を払った。
「俺ばっかり脱いで、不公平だな」と笑われて慌てて帯を解く。あっさりと布団の上に転がされたこまはその夜、見事に花を散らしたのであった。
――初めてにしちゃ上等だ。
そんな褒め言葉を受け取って、こまはぐったりと布団に身を沈めた。
龍海の腕を枕に、勧められた煙管を一口吸うてみる。
「俺ぁ銀之丞の馴染みだから、悪いが二度目はねぇ。だが、あんたならすぐにでも客がつくだろうよ。祝儀が入ったらウチで上等な着物でも買ってくんな。特別にまけてやるからさ」
「はい、是非……」
こまは煙に
それから、こまは早速翌日の
「おい、あほ」
そんな言葉を投げられてすぐに自分のことと心得たのは、なにも、こまが普段から「あほ」などと呼ばれているからではない。膝を抱えて丸くなった背中に、ひりつくような鋭い視線を受けたからである。
そろりと振り返ると、そこには片足を
「龍海さんとはどうだった。わっちの上客取ったら、容赦しないからね」
どうやら
「はァ……はい」
「チッ、間の抜けた奴だねぇほんと……精々、足元
銀之丞はちろりとだけこまを見て、すぐにどこかへ行ってしまった。こまはそれがどうしてか嬉しくて、ふらふらと寝惚けた彼が二階へ上がっていく後姿を、暫くの間じっと眺めていた。
それから数時間は、ぼうっと格子を眺めながら暇を持て余した。時々は顔見知りの新造や若衆がやって来て、一、二言交わしていく。やがて昼見世が終わり、質素な夕食を食べて
その時ばかりは、昼には姿を見せなかった部屋持の花魁たちも張見世へ上がった。真ん中に最も位の高い太夫が座り、その左右にも着飾った花魁たちが座っていく。真っ赤な
その夜から、こまは客の前では自らを小町と名乗り、
「小町でございます。どうぞ、良しなに」
――いいかい、分からないことは素直に分からんと言いな。馬鹿の見栄が、一番
座敷に上がると、酒気を帯びて頬を赤らめさせた客が、彼を見た。こまは判然としないその人影に、ただ黙して礼をする。
遠くから聞こえる、かき鳴らされた三味線の音が夜の世界へと
目前に座した客と視線が交わる。小町の顔はまったく
あっち、呵々 郡楽 @ariyama
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