中
先の見えない長い廊下に、ずらりと並ぶ色紙張りの障子越し。
そこは客のない新造らが集まって雑魚寝する広い座敷である。所狭しと並べられた煎餅布団の隅の隅、大腕を上げて呑気に眠るこまの肩を揚羽が足でつつく。
「起きな……
とろとろと目を開けたこまは、自分を見下ろす揚羽を認めて重たい体を起こした。
彼がここへ来てやっと
そんな扱いであるから、勉強の合間には様々な用事を押し付けられた。だが彼は自分に滅多な用がない限り、何でもはいはいと聞いた。
一度不寝番を代わった時などは、拍子木の音があまりに煩いので
使い勝手が良く素直な返事ばかりするので、「まあちょいとばかし阿呆かもしれないが、兎にも角にも悪い奴ではない」と認められたのである。
そんな頃合いを見て、鹿野は
さてこまが内所の奥の襖を叩くと、返事はすぐに聞こえた。
すらりと襖を開ける。隅に箪笥や鏡台が置かれただけの質素な八畳一間に布団が敷かれていて、そこに鹿野が座している。明け方の青々とした空気の中で、彼女はゆるりとこまを見上げた。
「すまないねぇ、こんな時間に呼び出して。お前さんも慣れてきた頃だし、
こっちへおいでと招かれて、こまは後ろ手に襖を閉め、いつかここへ来た日のように彼女の側に正座する。
「どれ、具合はどんなだい」
彼女はそう言って、冷たい手を伸ばして彼のよれた着流しを
「本当に誰とも
「は……はい」
「はぁ、珍しいねぇ……」
「あ、あの。姐さんと、するんですか」
「不服かい?」
「いえ……でも」
その返事を聞くと、鹿野はなるべく優しい声色で「脱いでみな」と言った。
部屋には火鉢と
「あの……できました」
「それじゃ、
言われた通りにそれも外してしまうと、こまだけが、生まれたままの姿でそこに居なければならなかった。羞恥と寒さで身が震える。一糸乱れず着物を着込む鹿野は、彼を立たせると前も後ろも確認して、やっと自分も何かを脱いだかと思えば、羽織の一枚っきりでその手を止めた。
「客の帯はお前が解いてやんなきゃならないんだ。やってごらん」
彼女の後ろから、難解な帯を端から少しずつ解いていく。二人の間には暫し布擦れの音だけが響く。こまは手を止めないよう気を付けながら、眼前に
「……できました」
「帯を端に畳んで、次は着物を」
こまは膝立ちになって、彼女の肩口から、
「
「は、もうお
隙を見た鹿野が、犬のようにむさぶるこまの身体を押した。息を乱して薄く開かれた唇が離れると、二人の間に細い銀糸が伸びる。
「いいかい、商売でやるんだから……お前さんが夢中になっちゃいけないんだよ」
「相手の様子を
こまは頷いて、今度は彼女を上客と思い込んで、慎重にもてなすような手付きで胸をやわやわと揉んだ。時折、気持ちいいかと上目に彼女の様子を確かめる。しかし目が合う都度、彼女は意地悪な顔でまったくだと首を横に振る。
「胸の先を
手の中で自在に形を変える胸の、
――以降も一通りの手解きを受けた後、こまは
先ず棒先が温かい肉に包まれて、待ちきれず奥まで押し込むとさしたる苦もなくずぶずぶと沈んでいく。うねうねと
「ほら、動きな」
暫し静止していたこまの腰を、鹿野がぱちりと叩いて早う早うと急き立てる。意を決して唾を呑み込んだこまは、彼女の両脇に手を置いて、やっとぎこちなく腰を動かし始める。
「そう、そう……もっと腰を落としな」
鹿野の指導は長く続いた。一度目はすぐに果ててしまったこまも、二度目からは女を攻める術を覚え始め、鹿野の言う事もすんなりと従順にこなしてみせた。
汗ばんだ肌が合わさる度に、こまは得も言えぬ感情を抱いた。彼女の胸に口を寄せると、今までに感じた事のない安堵が広がる。産まれてこのかた母に抱かれた覚えなどはまったく無かったが、それでもこんな自分でも、昔は誰かの腕の中にいたのだろうという気さえする。
精根尽き果てたこまが再び目を覚ました時分には、内所の障子もすっかり開け放たれて、足音やら何やらで
その音の中に、誰かと話す鹿野の声が交じっているのに気づいて、こまはゆっくりと身を起こす。裸に掛かっていた派手な着物が落ちる。寒さにぶるりと震えて周囲を見回したが、それまで自分が着ていたボロの着流しが見当たらない。
彼は仕方なく、掛け布団になっていた
「あい、やっと起きたね」
奥の間から内所に出ると、こちらに背を向けて座っていた鹿野がすぐに振り向いた。
彼女はいつも通りに身なりを整えて、客から貰ったらしい煙草を燻らせている。
「これが、水揚してもらいたい新造でね」
鹿野が
男は派手な羽織を肩にかけるだけで袖は通さず、年季の入った煙管を吸いゝゝ、ぷぅかりと紫煙を吐き出した。
「なぁんだ、お銀のような女形かと思ったら、すっかり男じゃねぇのよ」
「まあまあよぅく見てご覧な。そう悪い顔じゃない筈だよ」
男の目が、じろじろと品定めするようにこまの全身を這う。ここで顔を歪めていけないことは、
「目がいい、全てを見透かしたような目をしてやがる。こりゃ、
「そうだろうけども、ここだけの話、あの旦那はちょいと変わってるからねぇ……折角の初物を痛ませる訳にもいかないし。だから
「へぇ、お銀が? そりゃあ嬉しいね」
「そうそう。だからあたしゃ、あの子の見る目を信じて、あんたを見込んで言ってるんじゃないか。ね、どうだい?」
そうまで言われて
「特別たっぷりとほぐしてやる」と言うのをまさか断る訳にもいかず、だがかと言って、こまは腹の底から納得しきることもできぬまま、ただ言葉を探してぼんやりと虚ろを見た。そこへ、正反対に
「お前さんは、女客も取るんだってな。そっちはもう教えてもらったのかい」
「……はァ」
「ってこたぁ、姐さんが相手だったんだろ。良かったかい」
こまは返事に困って、鹿野を見た。だがこの主人はなんでも面白がる
「お止めな龍海さん。お天道様の下でそんな話、するモンじゃあないよ」
ちらりと見えた楼主の本性は、揶揄うようにこまを見つめていた龍海の瞳には
「そうかい?」と彼が鹿野へ向き直った時分には既に、鹿野は何時もの澄まし顔で、煙管の火種を落とすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます