第44話 そこまでだ

「自分の立場を忘れ、対象にほだされるか……やはりゴミはゴミだな。使い物にならん」

「ゴミは……」


 男の台詞に怒りが湧いてきた。


 怒りに任せて、私は肩に刺さるをナイフを引き抜いて……

 持ち主に向けて投げ返してやる。


「なっ!?」


 投げ返されるとは思ってなかったらしく、男は露骨に動揺した。


 慌てて身を捻り、回避。

 そして、こちらを睨みつけようとするのだけど……


「甘い!」

「ぐぁ!?」


 逃げるのではなくて、あえて体当たり。

 こちらも予想外だったらしく、男はバランスを崩した。


 惜しい。

 私の予定では、そのまま地面に押し倒すつもりだったのに。


 やっぱり、女の身で男性に力で勝つことは難しい。


「貴様ぁっ!!!」


 男が激高する。

 ギラギラとした目で私を睨みつけて、予備の短剣を抜いた。


 殺意なのだろうか?

 とても冷たく恐ろしいプレッシャーを感じる。


 正直、怖い。


 でも……

 もう終わりだ。


「私の友達に……」

「なっ!?」

「触るな!」


 そっと距離を詰めていたネコが、大きく拳を振りかぶり……

 勢いよく男を殴りつけた。


「がっ!?」


 嫌な感じの鈍い音がした。

 男は小さな悲鳴を上げて転がり……

 そのまま白目を剥いて気絶する。


 さすが、ネコ。

 見た目は可憐な美少女なのだけど、中身は男性。

 その話は本当らしく、一撃でのしてしまうなんて。


「さすがですね、ネコ」

「……」

「ネコ?」


 よく見ると、ネコは顔を青くして震えていた。

 今しがた、男を殴り飛ばした己の手を見つめている。


「どうしたのですか?」

「……初めて、この人に逆らったんだ」

「……」

「いつも言うとおりにしていて、なにをされても黙っていて、逆らうことはなくて……だから、こんな風に殴るなんて初めてのことで、私は……なんてことを……」

「ありがとうございます、ネコ」


 震えるネコを抱きしめた。

 その胸にある不安、恐怖を取り除くように。


 いいえ。

 分かち合うように、ぎゅっと抱きしめた。


「私はネコの不安はわかりません。怯えの原因となる恐怖もわかりません」

「……」

「ですが、そんなことは関係ありません。どうでもいいです」

「アリーシャ……?」

「私が一緒にいますからね」

「あ……」


 ネコの唇から小さな声がこぼれた。


 それはどういう意味があるのか?

 わからない。

 わからないけど……

 私の言葉はネコの心に届いていると信じて、想いを紡ぎ続ける。


「怖い時。不安に震えている時。眠れない時。私が一緒にいます」

「……」

「こうして、抱きしめてあげます。頭を撫でてもいいですし、手を握ってもいいです。他にしてほしいことが遠慮なく言ってください。ネコが落ち着くまで、なんでもしてあげますよ」

「どうして……」

「だって」


 私はにっこりと笑う。


「ネコは友達じゃないですか」

「……あ……」


 ネコは目を丸くした。


「さっき、言ってくれましたよね? 私の友達に触るな、って」

「それは、無我夢中で……」

「うれしかったです。やっぱり、ネコは私の友達なんだな……と」

「……」

「だから、こうすることは普通なのですよ。だって、友達なのですから」

「……アリーシャ……」


 そっと、ネコも私に手を伸ばした。


 抱き返すというよりは、子供が甘えるような感じだ。

 ちょっと力も弱い。


 でも、離してたまるかというように、深く手を伸ばしていて……

 うん。

 とても温かい。


 これがネコの想い。

 彼女の心の温度。


 これからも、ずっとずっと大事にしないといけない。


「あ……」


 ふと、周囲が騒がしいのに気がついた。

 どうやら騒ぎが露見したらしく、生徒や教師が慌てているのが見えた。

 助けを呼びに行く手間が省けたので良しとしよう。


「……ふう」

「アリーシャ!?」


 へたり込んでしまう私を見て、ネコが悲鳴に近い声をあげる。


「だ、大丈夫!? まさか怪我が……」

「いえ……怪我が痛いのは確かですが、でも、今すぐにどうこうということはないと思います。ただ……」

「ただ?」

「終わった、と思ったら腰が抜けてしまって」

「……腰が?」

「はい」

「……アリーシャなのに?」

「私でも腰を抜かすことくらいありますよ。これでも、年頃の乙女なのですよ?」


 短剣を突き立てられて、平然としていられるわけがない。

 我慢していたものの、内心は恐怖でいっぱいだ。


「……そっか」


 あはは、とネコは笑うのだった。

 その笑顔は綺麗に澄んでいて、彼女に取り付いていた暗い影は全て消えていた。

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