第8話 名前で

「……あっ」

「どうしたんだ?」

「いえ、なんでもありません」


 元々は、アレックスのことを聞くためにフィーを訪ねたのだけど、先ほどの騒動ですっかり忘れてしまった。

 また訪ねるというのは……ちょっと間抜けよね。


 うん、また今度でいいか。

 話を聞くだけなら、家でもできる。

 それよりも今は、アレックスと話をするチャンスだ。


「……くそっ」


 声をかけようとするのだけど、アレックスは、なにやら複雑な顔をしていた。

 怒りのような感情をにじませて、舌打ちをしている。


 え? なんで?

 私、なにかやらかした?

 ついつい不安になってしまい、うまく声をかけることができない。


「えっと……」

「なあ」

「あ、はい。なんですか?」

「なんで、あんたは、あんなことができたんだ?」

「あんなこと?」

「今さっき、フィーを助けただろ」

「ああ、さきほどのことですか。ですが、わざわざ問いかけるほどのものですか? 姉が妹を助ける。当たり前のことではありませんか」

「でも、俺はできなかった」

「……」

「相手が貴族だから、平民の俺では太刀打ちできないと……余計にシルフィーナに迷惑をかけてしまうと、動くことはできなかった。怯えて、屈したんだよ……俺は」


 アレックスは強く拳を握る。

 血が出てしまいそうなほど、強く、強く……


「くそっ……本当に情けない。俺じゃなくて、あんたがシルフィーナを助けるなんて。俺は、なにもできなくて……」

「そんなことはありませんよ」


 アレックスの拳を、そっと両手で包み込む。

 驚いたような顔をされるが、構うことなく、その手に優しく触れる。


「な、なにを……」

「なにもできない。あなたはそう言うけれど、私はそうは思いません。フィーが私の妹になる前は、あなたがフィーを守っていたのでしょう?」

「そんなことは……ない。貴族が相手だと、どうしようもないんだよ……」

「そうだとしても」


 私は、私の直感に従い言葉を紡ぐ。

 アレックスは、とても良い人なのだ。

 曲がったことを許せない、まっすぐな心の持ち主に違いない。


 フィーでなかったとしても、困っている人がいたら見捨てることはないだろう。

 そんな彼のことは、好ましいと思う。

 私に突っかかってきたのだって、フィーのことを考えてのことだ。


「やはり、あなたはフィーの力になっていたのだと思います」

「どうして、そんなことが……」

「だって、あなたのことを話す時のフィーは、本当の顔を見せているから」


 フィーの笑顔はどこかぎこちない。

 私に対しては、最近はきちんと笑うようになってくれたのだけど……

 父さまと母さまに対しては、まだまだ微妙だ。

 笑っているようで、笑っていない。

 どこかで他人の顔色を伺っているように見えた。


 でも、アレックスに対しては違う。

 同い年だからとか、幼馴染だからとか、そういうことは関係なくて……

 彼に対しては、素の表情を見せている。

 ありのままの心を見せている。


 フィーは意識していないかもしれないけど、それはとても大事なことだ。

 アレックスが傍にいることで、たくさんたくさん救われてきただろう。

 心を許せる相手……自分の理解者というものは、それほどまでに重要なものだ。


「だから、役に立っていないなんてことはありません。あなたは、フィーの心を救っているのですよ? あなたは、十分にフィーの力になっています」

「……そんなこと、初めて言われたよ」

「少し格好つけすぎたでしょうか?」

「かもな」

「あ、ひどいです」

「でも……悪くない気分だ。ありがとな」


 そう言って、アレックスは照れくさそうにしつつ、笑った。


「あ……」


 とても綺麗な笑顔だ。

 男性なのに、キラキラと宝石のように笑顔が輝いていて……

 ついつい見惚れてしまうほど。


 って、それも仕方ない。

 なにしろ、彼は攻略対象の一人のヒーローなのだ。

 フィーと結ばれるかもしれないうちの一人であり、その魅力は抜群。


「どうしたんだ?」

「すみません。あなたの笑顔に、少し見惚れていました」

「なっ、なにを言い出すんだ、お前は!?」

「お世辞などではなくて、本音ですよ?」

「信じられるわけないだろっ」

「冗談でもありませんよ?」

「あのな……俺なんかの笑顔に魅力があるわけないだろ。所詮、平民なんだぞ」


 なんてことをアレックスは言うのだけど、その人が持つ魅力に、貴族も平民も関係ない。

 そのことを証明するように、学内には、密かにアレックスのファンクラブが作られている。

 基本的に優しく、時にワイルドな一面を見せる彼の魅力の虜になる子は多い。

 ただ、バレたら怒られそうと勘違いしているため、秘密裏にされているが。


 バレたとしても、怒られることはないだろう。

 ただ、照れから解散しろと言われそうではあるが。


「十分に魅力的だと思いますよ」

「だから……」

「私、このようなことでウソはつきませんよ。アレックスの笑顔はとても魅力的で、それで、ついつい見惚れてしまいました。本心です」

「っ……!」


 アレックスの顔が赤くなる。

 照れたのだろう。

 こうして直に接することで理解したのだけど、アレックスは、けっこう純粋みたいだ。

 ゲームでは幼馴染という点が強調されていて、照れ屋ということはほとんど表に出てこなかった。

 なるほど、興味深い。

 実際にこの世界に入り込むことで、ゲームでは決して知ることのできなかった情報を得ることができる。

 素直に楽しい。


「……ったく。今日一日で、あんたに対する印象が大きく変わったぜ」

「あら。どんな風にですか?」

「いけすかない貴族から、頭おかしい貴族になった」

「褒められているように聞こえませんね……」

「当たり前だ。けなしてんだよ」


 そんなことを口にするものの、アレックスは笑っていた。

 口は悪いままだけど、本気で嫌うことはなくなった……というところかな?

 よくわからないけど、そうだとしたらうれしい。


 バッドエンドを回避するのはもちろんのこと……

 その事情を抜きにしても、彼のようなまっすぐな人とは仲良くしたい。


「それじゃあ、私はこの辺で。あなたとお話できて、よかったです」

「……あなた、じゃなくて、アレックスでいい」

「え?」

「俺の呼び方だよ。あなたとか、いつまでもそんな風に呼ばれていたら、ちと微妙な気分になる。だから、アレックスでいい」

「……わかりました、アレックス。では、私のこともアリーシャと」

「またな、アリーシャ」

「はい、またですね。アレックス」


 私達は笑顔を交換して、その場を後にした。

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