6-2
言葉少なに過ごすふたりだけの時間は、僕に安らぎと苦しみを交互にもたらす。掴みどころない芹沢の態度に一喜一憂し、適切な距離感を模索するばかり。
「そろそろ時間だね」
僕はもうじき午後の授業が始まることを思い出し、芹沢に声を掛ける。彼はこちらを見ようともせず、「うん」と曖昧な返事をするだけだ。
「教室、戻らないの?」
「いいよ。後から行くから、先に帰っていて」
その言葉ですぐに合点した。この場の空気に忘れかけていたが、僕はこの学校で最も嫌われた存在。なるべく僕との関わりは周囲に秘匿したいことだろう。
一緒に並んで教室に戻ろうとしていた自分が無性に恥ずかしい。
「そう。じゃあ、先に行くね」
僕は芹沢に気を遣わせないように、努めて平静を装って立ち上がった。恐らく彼は授業をサボるつもりだろう。
校舎内へ通じる扉の手前まで辿り着き、そのドアノブに触れた瞬間。扉の先から階段を上がってくる複数の足音が聞こえてきた。
――まずい。
自分がこの場にいることが分かったら、芹沢にあらぬ疑いが掛けられる。僕は咄嗟に壁際に逃れ、室外機の陰に身を潜めた。
次の瞬間、鉄扉が勢いよく開け放たれた。
僕と芹沢以外から滅多に触れられない古びた扉は、悪魔の哄笑のような甲高い声を大気に響かせた。相変わらず空を眺めていた芹沢が、異変に気付いてゆっくりと目を向ける。
一瞬、無断で屋上にいる僕たちを咎めに先生がやって来たのかと思った。しかし、芹沢に向かってズカズカと歩み寄っていく後ろ姿は、学生服を着崩した不良生徒のものであった。
先頭を緩慢な足取りで歩くのは伊藤、その後ろに須貝、彼の取り巻き二人組と続く。
合計四名の問題児たちは、まるで退路を断つかのように横一列に並んで芹沢の正面に立ちはだかった。
「おい、芹沢。こんな所で何やってんだよ?」
おもむろに伊藤が嘲るように声を掛けた。
芹沢は相変わらず座ったまま、横目で彼を見つめ返す。
「別に。気分転換に空を見ているだけだよ」
その返答に、須貝たちが一斉に吹き出した。
「空? こんな汚い曇り空をか? やっぱりお前って、頭飛んでんじゃねえの?」
「あ、ひょっとして鳥になりたいの? 頭だけじゃなく、体まで飛んでいったりして」
「ぷっくくく……やめろ、腹痛え」
四つの下卑た笑顔を前にしてもなお、芹沢は泰然としていた。顔色ひとつ変えることなく、ぼんやりと彼らを眺めている。その姿はまるで、チープな舞台を観劇している一流の劇作家であった。
ひとしきり笑った後、急に須貝が真顔になって言った。
「ぶっちゃけよ、俺らみんなお前にムカついてるんだ。いつもスカして余裕ぶりやがって。ちょっと頭良いからって調子乗ってんじゃねえぞ」
どうやら須貝は、芹沢が女子たちからチヤホヤされているのが気に食わないらしい。あるいは自分の好きな女子が、芹沢に好意を抱いているのかもしれない。
「俺は別に、調子になんか乗っていないよ。というより、君たちのように程度の低い連中のことなんて、今まで全く意識したことなんてない」
中学生とは思えないほどの迫力で因縁を付けてきた須貝に対し、芹沢は神経を逆撫でするような言葉を返した。
予期せぬ展開にその場の全員がキョトンと目を丸くする。しかし次の瞬間、須貝はみるみる顔を赤くし、小刻みに震えだした。愚弄された恥辱が怒りへと変換されていく様が見て取れる。
「いい度胸してんじゃねえか。死ぬ覚悟はできてんだろうな?」
須貝は芹沢の腕を掴んで強引に起き上がらせると、他の三人と一緒に彼を取り囲んだ。
僕は恐怖に憑りつかれ、ひたすら俯いていた。
芹沢が危険な目に遭っているというのに、臆病な自分の身体は凍り付いたかのようにピクリとも動いてはくれない。それどころか、彼らの矛先が自分に向かなかったことに安堵していた。
「おら、やっちまえ!」
須貝の怒号と共に、大勢がもつれ合い殴り合う鈍い音が聞こえだした。
僕はいたたまれず、目を閉じて耳を塞ぐ。自分が惨めで情けなくて、きつく閉じたまぶたの裏から涙が溢れてくる。
「おらあ! こんなもんじゃ済まさねえぞ!」
「ざけんな、こら!」
「ひゃははは」
聞こえてくるのは須貝らの怒声と哄笑のみ。芹沢は一言も発していないようであった。
どうして何も言わないのだろう。恐怖で声が出ないのか、それとも無言でやり返しているのか。
僕の目はきつく閉ざされているため、今この場で繰り広げられている状況を知る術がない。だが、目を開ける勇気はどうしても湧かなかった。過去に散々嬲られた経験が自分を臆病にしていた。暴力の恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、暴力から逃れようとする本能が働くのだ。
僕はただ目を閉じて、芹沢の無事を祈るしかなかった。どうか一刻も早く、狂気に満ちた時間が過ぎ去りますように。そんな当てもない願いを一心不乱に念じ続ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます