6ー1

「ねえ、好きな人とかいるの?」

 いつものように屋上で芹沢と並んで座っていた僕は、勇気を振り絞って彼に尋ねてみた。

「どうしたんだい、急に」

 芹沢は驚くでもなく、少し困ったような笑みを浮かべてこちらを見た。

 今にも雨が降り出しそうな曇天の下、彼の眼差しは柔らかなロウソクの灯のように艶めかしく、僕の胸奥をそっと撫でる。

「なんとなく、気になったんだよ。君は女子から人気あるみたいだし」

 僕は無関心を装いつつ、そっぽを向いて返した。あるいは嫌味っぽく聞こえたかもしれないが、目を合わせたら内心の動揺を見透かされてしまいそうな気がしたのだ。

「そうだなあ……」

 芹沢は意外にも、顎に手を当てて考える素振りを見せた。てっきり、「いるわけないじゃん」と一笑に付されるとばかり思っていた。いや、そう期待していた。

「君はどうなんだい?」

「へ?」

「好きな人。いるの?」

「僕は……その……」

 逆に質問を返され、返答に窮してしまった。好きな人なんて今まで考えたこともない。小学生の頃にはうっすらと好意を抱く相手はいたような気もするが、恋愛感情には程遠い。

 改めて考えてみて、咄嗟に頭に浮かんだのが芹沢の顔であったことが、余計に僕を焦らせる。

「ふふふ。まあ、敢えて追及しないでおこう。だから俺についてもノーコメントということで」

 芹沢は余裕の笑みではぐらかし、再び前を向いてしまった。

 なんだか馬鹿にされた感じだが、不思議と嫌な気はしない。軽口を叩き合えるほどふたりの仲が深まったと思えば、むしろ嬉しかった。

 もしかしたら芹沢とは本当の親友になれるかもしれない。伊藤のように薄氷の絆ではなく、心の底から通じ合えるようなソウルメイトに。

 だけど僕はどうしても踏み込めない。

 周囲の無言の監視下にあるため、ふたりきりの時にしか話し掛けることができないし、彼も普段は赤の他人のようによそよそしい。教室ではこちらに一瞥すらくれないことが多い。

 僕がもっと芹沢のように「持っている」男だったらよかったのに。家が裕福で、頭が良くて、顔も良かったら。そうしたら周りから迫害されることもなかっただろうし、彼と人前で堂々と肩など組みながら語り合えただろうに。

 どうして自分はこうなのだろう。惨めで、弱くて、平凡で。

 芹沢と何もかもが違い過ぎて、一緒にいるとどうしようもない劣等感に苛まれてしまう。それでも彼を追い求めずにいられないのだ。それはまさに、己が身を焼かれるのも厭わず光源に縋り付く羽虫のように。

 芹沢こそが右も左も分からない暗黒の中、唯一こちらに差し向けられた光明なのだ。僕はひたすらそこを目指す他ない。

 それが救いのしるべか滅びのいざないかなんて分からない。だが、そんなことは重要ではない。光のあるほうへ進むのが、人としての当然の理。

 暗いのは嫌だ。寒いのも嫌だ。

 芹沢を失えば、再び恐ろしい虚無の世界へと逆戻りである。そうなるくらいなら、ひたすら彼を追い求めて燃え尽きればいい。

 僕は灰色の空を見上げて大きくため息を吐く。厚い雲は墨汁を撒き散らした雪原のように、陰鬱で奇怪な煌めきを湛えている。

 どこまで見渡してみても、救いようのない空であった。

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