第三十話  古志加、行け! 走れ! 

 かっぽら、かっぽら、馬に乗り、桃生柵もむのふのきへの帰路につく、一人のおみなと、二人のおのこ

 左手に毒の吹き矢をうけ、顔色の悪い鷲鼻わしばな嶋成しまなりが、


「なあ、大椿売おおつばきめに、さっきの、言うの?」


 と、愛馬、不尽駒ふじこまに相乗りする、頭に藍色の布を巻いた花麻呂はなまろを振り返る。


 古志加をかばって毒の吹き矢を受けたので、古志加に感謝の抱きつきをされ、嶋成はデレデレ、しまりのない顔で笑ってしまったのである……。


「言わねぇよ。冗談だ。」


 爽やかな美男である花麻呂は、あっさりと言う。


「なんだぁ……。」


 嶋成はあからさまに、ほっとする。

 桃生柵もむのふのきまで二間(約3.8メートル)という距離で。

 くるくる癖っ毛の、美しい女兵士、右腕を負傷した古志加こじかが、


「ああっ! 見て!」


 と前方を指さした。木々の向こう、山の上。

 

 ───ぽっ。


 と、桃生柵もむのふのきに火の手があがっている。

 花麻呂が、


「しまった!」


 とうめいた。

 トイオマイの蝦夷えみしと、最後の決戦。

 兵士が手柄をたてる最後の機会だと、桃生柵もむのふのきの守りは───ほとんど、からだ。


「走れ!」


 馬を駆けさせ、


大椿売おおつばきめ、大椿売……っ!」


 嶋成が、愛しいいもの名を、険しい顔でつぶやく。



   *   *   *



 輝慕門きぼもん(南門)につく。

 燃えている。

 守りの日本兵が、倒れている。

 桃生柵もむのふのきは、山城だ。

 急勾配の階段を、馬で駆け上がる。

 あちらこちらから、火の手があがっている。


「ひどい……!」


 古志加がつぶやく。


「まずい、火のまわりが早い!」 


 二の(政庁の築地塀)の南門の向こうで、守りの日本兵が戰っているのが見えた。


 三人とも、馬を降りる。

 味方の兵が徒歩で戰っている、馬で轢き殺しかねないからだ。


 二のの南門をくぐると、日本兵二十人ほどが、蝦夷の兵十五名ほどと戰っている。

 日本兵の倒れる数が、多い。

 一対一で戰えば、蝦夷の兵は、百姓あがりの日本兵を、圧倒するのだ。


 蝦夷の兵士は、土を焼き締めた壺を背中に背負う者、可我里火かがりび松明たいまつ)を持つ者といる。

 蝦夷の二人が、日本兵の大刀たちをかいくぐり、西の脇殿わきでんに走った。

 何事か叫びながら、壺の中身を木の壁にぶちまけ、火矢を放つ。


 ───ボウッ!


 火があっという間に、燃え広がる。

 壺の中身は、油だ。


 油は貴重だ。生活の為に使い、身体に、髪に塗り、交易品にもなる。

 ……蝦夷の兵は、もう、生活の為に、油を残す必要はない。

 トイオマイの郷は堕ちた。

 この蝦夷の兵には、帰る場所はない。


 古志加は、少しだけ、哀れを覚える。


 


久自良くじらっ! どうなってる?」


 花麻呂が抜刀し、蝦夷の兵を一人、背中から斬り倒しながら、広場で戰っていた、久自良くじらに訊ねる。

 久自良くじらは唯一、今日、鎮兵ちんぺい伯団はくのだんのなかで、留守を預かった男だ。


「蝦夷ども、燃やしにきてる。桃生柵もむのふのきに侵入を許してしまったら……。」


 久自良は、蝦夷の首をね、


「あっという間に散開した。あちこちで火矢を放ってまわってる。」


 古志加も蝦夷と斬りあう。

 右腕に力が入らないので、剣は、鍔迫つばぜり合うのでなく、蝦夷の蕨手刀わらびてとうを弾くように使い、


「せっ!」


 懐に入って、垂直に、下から上にあごを蹴り上げる。

 体術勝負だ。

 蝦夷は強烈な蹴りをくらい、倒れた。

 嶋成が抜刀しつつ、


「……医務室は?!」


 と久自良に訊ねる。医務室に、大椿売おおつばきめがいる。


「さっき走って、避難をうながした。まだ燃えてなかった。平気だとは思うが……。」

「悪い、オレは……。」


 嶋成が迷い、花麻呂が叫ぶ。


「ここは良い! 嶋成は医務室に行け! 佐久良売さまも守れ!」

!」


 嶋成が、医務室がある方向、二のの西門に向けて走りだす。

 久自良が、


「ちがうんだ、花麻呂。

 佐久良売さまは、医務室にいない。

 正殿せいでんの方に向かって走っていってしまった。

 お父上がいるからって……。」

「なんだって!」


 とは花麻呂。


「そんな!」


 とは、古志加。


 佐久良売さまは、守らねばならない。

 桃生柵もむのふのき領主の娘だからだけでなく、真比登の妻だからだ。

 それが、鎮兵、共通の認識だ。

 花麻呂が、古志加に叫ぶ。


「古志加、行け! 走れ! 絶対に死なせるな!」

「わかった!」


 古志加は、だっ、と素晴らしい脚力で、北、正殿せいでんをめがけ、石畳を走りだした。

 古志加の足は早い。




   *   *   *





 避難した大椿売おおつばきめは、大勢の負傷兵、女官と一緒に、ひとかたまりとなって身を潜めていた。


(佐久良売さま、どこへ行かれてしまったの?)


 佐久良売さまは、避難を命じたあと、一人、走って姿を消してしまった。

 それ以降、戻ってこない。追いかけた若大根売わかおおねめも……。

 心細い。

 帰って来てほしい……。

 二人とも、無事であってほしい。


(恐い。)


 今にも、賊奴ぞくとがあらわれて、ここで斬りあいになるかもしれない。……殺されるかもしれない。


 桃生柵もむのふのきは、戰場だったのだ。


 毎日、負傷兵を看病して、とうにわかっていたはずだ。

 でも、己の身近に、賊奴ぞくとが迫るとは、自分の命が危険にさらされるとは、思ってもみなかった。

 生きた心地がしない。歯がカタカタ鳴る。震える身体にぎゅっ、と力をこめねば、今にも恐怖で叫びだしてしまいそうだった。

 必死に、泣き出しそうになるのをこらえる。


(嶋成……、嶋成……。)


 嶋成は、留守の兵ではない。ここから遠く離れた、トイオマイの郷を落とす決戦に向かっている。

 嶋成が、ここに助けに来ることはない。

 わかっている。

 それでも、心に浮かぶのは、愛する愛子夫いとこせ、嶋成の顔だ。

 嶋成の名を、心のなかで呼ばずにはいられない。


(嶋成、嶋成。恐いの。助けて……。)






   *   *   *



 嶋成は、西へ走った。

 愛するいもを守るべく、走った。

 医務室の前につく、その手前で、嶋成は、考えを巡らせる。


「はぁっ、はぁっ、避難、してるんだよな……!」


(身を隠す。

 どこに蝦夷がいるかわからないなか、遠くには逃げない。

 ヤブ、ある程度の人数が隠れられる、ヤブは……。)


 嶋成は、過去、佐久良売さまを影から見る生活のなかで、医務室まわりは熟知している。


(西だー!)


 はたして、医務室から少し離れた西のヤブで、ひそんだ人の頭を見つけた。


「はぁっ、はぁっ。鎮兵の、嶋成です。はぁっ……、味方です!」


 名乗ると、ガサガサ、ヤブが揺れ、


「嶋成!」


 涙目の大椿売が立って、ヤブをかきわけ、嶋成のほうに走ってきた。

 怪我はない。

 肉付きの良いふっくらした身体が弾む。


「嶋成……っ!」


 大椿売は、嶋成の胸に飛び込んできた。

 嶋成は、しっかり受け止め、大椿売を抱きしめた。


「大椿売、オレのいもよ! 無事で良かった。」

「怖かった、怖かった……。来てくださったのですね。夢ではないのですね?」

「夢ではありません。」


 恋人たちは、かたく抱き合う。


 ヤブにひそむ負傷兵が、


「おーい、それぐらいにしてくれぇ。」


 と、なんとも無粋ぶすいな声をかけた。






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