第四十七話  撼天動地  〜かんてんどうち〜

 佐久良売は、自分に重たく覆いかぶさったおのこのむこうから、


「野郎───ッ!」


 という怒鳴り声を聞いた。

 ついで、がぎっ、という打撲音と。


「がっ。」


 とおのこがもらした悲鳴が佐久良売の左から右をかすめていった。

 おのこの身体が目にも止まらぬ早さで右に吹っ飛んでいき、佐久良売の身体が軽くなった。


(あああ……!)


 目の前には、怒りで顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべ、目を吊り上げた真比登まひとがいた。下衆げすが消えた方向を睨み、


「地獄へ行け!!」


 と普段の甘い声とは一変した、撼天動地かんてんどうちの大声で叫んだ。

 

建怒たけび朱雀すざく……!)


 真比登を見た瞬間から、涙がせり上がり、ボロボロ目からこぼれた。涙でにじむ視界で真比登を見ると、全身から熱い焔のような気炎を揺らめかせているのが見える。

 今こそ、異名がに落ちた。ここにいるのはいかれる建怒たけび朱雀すざく。佐久良売を救う火の鳥だ。


(真比登……!!)


「はあっ、はあっ。佐久良売さま! ご無事ですか?」


 真比登は肩で息をしつつ、顔から青筋を浮かせるのをやめ、佐久良売の口にじ込まれた布を、ぽん、と取り出してくれた。


「わあああああああん! 真比登まひと───っ!」


(来てくれた。来てくれた! 真比登。怖かった。すごく嫌だった。今すぐ抱きしめて!)


「わああああん!」


 真比登は、泣きじゃくる佐久良売の脇の下に手をやり、ひょい、と藁の上に立たせた。

 そのまま流れるように、ぎゅっ、と抱きしめてくれた。

 熱い、かたい抱擁。

 ……安らぐ。


「わあん、ええん、ぐすっ。」

「あ……、も、申し訳ありませんっ。」


 真比登はぱっと離れた。


「うえ……、ぐすっ。」


(まあっ、もっと抱きしめてほしかったのに、すぐに離れるなんて、野暮ね。)


 佐久良売は恨みがましい目で真比登を見た。


「お許しください。」


 真比登は目をそらしながらそう言ったあと、再び佐久良売の脇に手をやり、軽々と佐久良売を持ち上げつつ、後ろをむかせた。


(……人形かな?)


 真比登は、相当な力持ちだ。恐れ入る。

 佐久良売は自分の衣を見る。乱れはない。帯も解かれていない。真比登は間に合った。


「腕の縄を斬ります。」


 ぱつん、と大刀たちで縄を斬られた。


「そのままで。足の縄も斬ります。裳裾もすそ(スカート)の裾を持ち上げていただけますか。」


 思い切り膝まで裳裾もすそをたくしあげてやった。

 すぐに足の縄も斬られ、自由になった。


(あたくしの足を見て、どんな反応かしら? もし冷静で、ちっとも興味ないって顔をしてたら、傷つくわ。そしたら怒ってやるんだから……。)


「ぐすっ……。ぐすっ……。」


 まだ泣き止まず、佐久良売は裳裾を膝にたくしあげたまま、拗ねたような顔で、くるりと後ろをむいた。


「あ……、えと……。」


 戸惑った赤い顔で、佐久良売の足をちらと見、佐久良売の顔を見、また下をちら、と気にする真比登がいた。


(恋いしい。)


 佐久良売の身体の奥から、抗いがたい衝動が生まれた。


 ───抱きつきたい。


 がば、と佐久良売は真比登に正面から抱きついた。


「は……、はえっ……?」


 真比登はうわずった声をだし、両腕を上にあげた。抱きしめ返してはくれない……。

 入口から、ばたばたばた、と音がして、無惨に壊れた入口の木の扉を踏み越え、


「真比登!」


 と、兵士二人が家に入ってきた。そのうちの一人は、韓国からくにのみなもとだ。

 

 そこにいるのは、万歳する真比登にしっかと抱きついた佐久良売である。

 夫婦でも、人前では手をつなぐ事しかしない。男女の抱擁ほうようなど、人前で見せるものではないのである。


「あっ!」

「し、失礼しました!」


 と二人の兵は狼狽ろうばいして回れ右をしたが、


「ま、待て、待て待て!」


 と真比登が慌てふためき、佐久良売の肩に手をやり、ひきはがした。

 顔は冷静な武人の顔になる。


「源、そこのおのこか。確認しろ。汗志うしは、外に潜む者がいないか見てこい。」


 二人は口々に、


。」


 と言い、一人は外に、源は壁際に向かう。真比登は佐久良売を見て、


「お怪我はありませんか?」


 と丁寧に確認する。


「ないわ。……助けてくださり、感謝いたします。」


 と佐久良売は、豪族の娘らしく美しい所作しょさで礼の姿勢をとった。


 壁際に横たわる、半裸の下衆の傍にしゃがんでいた源が、


「真比登、このおのこで間違い有りません。それにしても……、一発ですね。すでに事切れてます。」

「ああ。」


 真比登は、生死は確認するまでもない、という表情で頷く。

 

「そのおのこ……。虫麻呂と名乗っていました。そのおのこの脱いだ衣のそばに、緑瑠璃の首飾りがあるはずです。って。」


 大切な首飾りだった。でも、もう、あの下衆に穢されてしまった。手元に置く気にもなれないし、怨念がこもったまま、誰かの手に渡り、首飾りが存在し続けるのも嫌だった。


「え……?」

「真比登、お願い。あなたが、今すぐに。」


 真比登は頷き、源が拾って寄越した緑瑠璃の首飾りの紐を、


「ふっ。」


 引きちぎった。

 ばらばらばら……、と緑瑠璃の細かい玉が、緑色に輝きを放ちながら、粗末な家の土床に、ワラに、散らばった。


「まだ、錦の小袋も持っていたはず。それも、千々に破って。穢れた品です。」

「はい。」


 また源から櫻刺繍の見事な錦の小袋をうけとり、真比登はびりびりと破いた。細かくなるまで、何回も。


「……ありがとう。」


(これで、終わった。もう、あの下衆とあたくしを繋ぐ因縁の品は、ない。)


 ふいに、怖さと不快さがぶり返し、こみ上げてきた。佐久良売は震え、


「ううっ。」


 左手で顔を押さえ、泣き声をもらし、


「早く、あたくしの屋敷に帰りたい。真比登。」


 と真比登の袖をきゅっ、と右手でつかんだ。


(真比登に触れたい。あなたは安心する。あたくしを支えて。真比登。あたくしの真比登。)


 あたくしの真比登。


 ふいに心に浮かんできた言葉に、佐久良売は胸をつかれた。


(ああ、そうか……。あたくしは、真比登を、あたくしの真比登に、したいんだわ。あたくしの傍にいてほしい。あたくしを愛してほしい。あたくしのおのこにしたい。)




   *   *   *




「はい、今すぐに! 佐久良売さま、オレの馬に一緒に乗ってください。


 真比登は安心させるように、佐久良売さまに笑顔を向け、外に出ようとする。佐久良売さまは真比登を上目遣いで見た。


 なんだか、甘えているような表情で、真比登の心臓しんのぞうが、どっ、と跳ねる。


 佐久良売さまは、こくっと頷き、真比登の袖を離さず、真比登のあとをついてきた。


(ええ───っ!)


 ちっちゃいわらはみたいだ。


(か、か、か、可愛い……。)


 麁駒あらこまに佐久良売さまを乗せるまで、佐久良売さまは真比登の袖を離さなかった。








 汗志うしは、桃生柵もむのふのきうまやでばったり会い、ここに連れてきた伯団はくのだんの兵である。

 その汗志うしをここに残し、真比登は佐久良売さまを横抱きに、麁駒あらこまに乗り帰途につく。


「良くここがわかったわね?」


 馬上で真比登にしがみつく佐久良売さまが、不思議そうに訊いた。


嶋成しまなりの手柄です。あいつ、下衆ともみあって、干し肉を懐から掴んだんです。」


 佐久良売さまの部屋の簀子すのこ(廊下)で。嶋成は、みなもとの呼びかけに答え、すぐに目を覚ました。手に持っていた干し肉をかじり、


「前に狩猟をした時に、偶然入った、打ち捨てられた郷に、一軒だけ、壊れてない家があったから、不審に思ってなかに入った。干し肉があり、ちちの実で風味づけがしてあった、変わった味だった、その干し肉と同じだ、と嶋成が教えてくれたんです。」

「まあ……!」

「嶋成は、下衆と戦って怪我をしました。機会があったら、見舞ってやってください。」

「わかったわ。」


 佐久良売さまは真比登を見上げ、にっこりと微笑んだ。


(いくらか落ち着きを取り戻したらしい。間一髪かんいっぱつ、ご無事で本当に良かった。)


 真比登はほっとする。 



 


 嶋成から教えられた場所に向かって麁駒あらこまで全速で駆け、打ち捨てられ荒廃した家々の並ぶなか、たしかに一軒、壊れていない家を見つけた。

 麁駒あらこまから飛び降り、入口の扉を蹴り破り、はだかでおみなにのしかかるおのこを見つけた。

 頭を狙いすまし全力で殴った。

 真比登は戰場の男。どこを殴れば即死するか、知っている。

 





(佐久良売さまをさっき、ドサクサに紛れて、抱きしめてしまったのは、怒ってないようだ。そのあと、足を見てしまったのは、気づかれたろうか。うう、好色こうしょくおのこと嫌われないだろうか。

 佐久良売さまが抱きついてきたのは、何だったんだろう。驚いて息が止まるかと思った。

 …………不安な目にあったせいで、わらはのように甘えたくなったのだろうか。お可哀想に。)


 戰場に出たあと、恐怖から、一時的に緑兒みどりこわらはのような喋り方になる兵士を、数は少ないが見た事がある。


 



   *   *   *




 ※撼天動地かんてんどうち……天地を揺り動かすこと。また、音声が非常に大きいこと。



    




↓挿絵其の一

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023212507614176



↓挿絵其の二

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023212507776291



↓かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました①

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093080649011389


↓かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました②

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093080649864696

かごのぼっち様、ありがとうございました!

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