恋や明かさむ 〜偽りの縁談〜

加須 千花

真比登の章

第一話  父親は婿探しに奔走中。

 甲寅きのえとらの年。(774年。宝亀ほうき五年。)




 戰場いくさばがある。


 八月の晴れ渡った日差し、緑したたる山、起伏にとんだ原っぱを、兵士が怒号を上げ、駆け登る。


 歩兵ほへいのほとんどは、黒ずんだ灰色の、綿襖甲めんおうのよろい……分厚い綿でできたよろい、わら編みのわらじで駆ける。

 征矢そや(戦に使う矢)をたっぷり入れたやなぐい(矢入れ)を左肩に背負い、大きい弓を右手に持つ。


 または、大刀たち、片刃の直刀を抜き身で振り回す。


 駆け上がる兵士の、頭巾ずきんのような綿襖甲めんおうのよろいに覆われた頭の上から、長いほこもところどころ見られる。


 馬を駆る騎馬兵のよろいは、もっと良いものだ。

 革製の短甲みじかよろい、胴体を腰まで守るよろいに身を包み、かぶと籠手こてで守られる。


 接敵した。


 敵は、陸奥国みちのくのくに、この地に昔から住む、蝦夷えみしである。


 皆、顔に入れ墨をし、シャパンペ(冠)をかむり、刺繍の美しいアットゥシ(オヒョウの木の皮でできた衣)を身にまとい、髪は顎で短く切り揃えている。耳に大きな輪飾りをつけ、あご髭が胸まで垂れている。

 反りが強い、刃長一尺六寸四分(約47cm)の手刀を、鮮やかに使う。

 

 盾はない。

 日本の兵士と、蝦夷の男たち。

 どちらも盾はない。


 あちらこちらで、男たちが雄叫びをあげ、斬り、斬られ、大刀たちと手刀が火花を散らし、突き、うめき、血が吹きあげ、八月の夏草に紅い彩りをつける。

 血生臭い匂いが、背の高い木々を縫って、四方に満ちる。

 飛び交う矢が、ひゅっ、ひゅっ、と陽光に一瞬輝く。


 ぴゅーろーおお……


 鷹が驚いたかのように、天空を鳴き渡る。


 もみあう男たちに、つと、風がふく。

 戰場いくさばから起こる風。

 それは、一つの騎馬より。


「お───らぁぁぁぁ!」


 気合とともに、人影が下から天に打ち上がる。

 見間違いではない。

 一人の、背はそこまで高くはないが、大柄なおのこ

 漆に黒光りする、鉄の小札こさねじた、立派な挂甲かけのよろい、一揃いで、全身を飾り、見慣れぬ武器をふるっている。

 人の頭二つぶんあろうか、という、丸い、大きな石。一尺三寸(約42.9cm)。

 それに柄がついている。

 全長は、二尺六分(約62,3cm)。

 まるで、つち

 石は相当な重さであろうに、それを、おのこは両手に二つ持ち、下から、すい、すい、と軽く振るう。

 おのこがその武器をふるうたび、人にぶちあたり、手刀を弾き飛ばし、矢は軽く弾かれる。

 どれほどの膂力りょりょくなのであろうか。

 豪速の丸石に当たった敵たちは、小男だろうが、大男だろうが、天へふっとぶ。

 次々とふっとぶ。

 男は馬を足だけであやつり、駿馬は丘を駆け上がり、その速さ、戰場いくさばに風を起こす。

 まるで、目に見えぬ大鳥おおとりの翼を持ち、羽ばたいているかのよう。

 誰も、その人馬じんばを止められない。


 その馬、麁駒あらこまと言う。


 その武器、流星錘りゅうせいすいと言う。


 そのおのこ春日部かすかべの真比登まひとと言う。

 二十八歳。


 征夷せいい軍の軍監ぐんげん征夷使せいいしの第三等官、副将軍の次の官である。


 人は畏敬を込めて、彼を建怒たけび朱雀すざく───荒ぶる朱雀、と呼ぶ。




   *   *   *





 桃生柵もむのふのき(桃生城)。征討軍戍所じゅしょ(軍の詰所つめしょ)。



 二十四歳の姿形すがたかたち綺羅綺羅きらきらしいおのこが、四十半ばの腹の出たおのこにつかまって、質問攻めにあっている。


 四十半ばのおのこは、戰場いくさばに出なかったのであろう、よろいを身に着けていない。

 一方、二十四歳のおのこは、立派な金色の挂甲かけのよろいに身を包み、かぶとは脱いでいる。

 彼のかぶとは、後ろに控えた、うるしが黒光りする挂甲かけのよろいを隙間なく身につけた従者が抱えている。



副将軍殿ふくしょうぐんどのには、妻は……っ、妻はいないんですな?!」


 副将軍殿、と呼ばれた二十四歳のおのこは、この桃生柵もむのふのきの領主である豪族のおのこの剣幕に、たじたじとなりながら、


「い、いないです。」


 とかえす。


吾妹子あぎもこ(愛人)も?!」

「い、いない……。」

「じゃ、子供もいませんね?!」


 四十半ばの男が、くわっ、と目を見開く。姿形綺羅綺羅しい男は、そこで、ちょっとホッとしたような笑顔を浮かべ、


「いる! 私は上野国かみつけのくにに子供を残してきている!」


 とかえした。


「ええ〜!」


 と四十半ばの男は、がっくりと肩を落とした。


上毛野君かみつけののきみの大川おおかわさま、子供がいるんですか……。残念……、残念だ……。娘と縁談をしていただきたかったのに……。」


 四十半ばの男は、未練がましい目で、じろじろと副将軍を見た。


 上毛野君かみつけののきみの大川おおかわは、若干じゃっかん二十四歳で、この桃生柵もむのふのきに集う征夷せいい軍、六千人の副将軍に抜擢されたおのこである。


 加え、このおのこ、無駄に綺羅綺羅しく美しい。

 肌は白く。

 切れ長の目は澄み。

 すっと通った鼻梁。

 上品な笑みを浮かべる口元。

 おみな見紛みまがう優美な顔立ち。

 常に背筋が伸び、立ち姿、歩く姿もさまになる。

 正真正銘の美男である。

 おみなが群がってきそうな男。


(これなら、うちの娘も気に入ると思ったのに……!)


「うちの娘は、私が言うのもなんですが、かなり佳人かほよきおみななんですよ。前采女さきのうねめ采女うねめとは宮中での召し使い、身分ある娘が全国から集められる。前采女さきのうねめは、采女を辞めたおみな)です。教養もばっちりです。だからね……。だから……。」


 ぐっ、とそこで父親は唇をかみしめ、大川おおかわに詰め寄った。


「教養つきすぎて、奈良の風にあたりすぎて、選り好みが激しいんです。

 不細工なおのこは嫌。

 妻がいるおのこは嫌。

 吾妹子あぎもこがいるおのこは嫌。

 子供がいるおのこは嫌。

 教養がないおのこなんてもっての他、と私に向かって言うんですよ!

 そんなおのこ、どこかにいませんか?!」


 詰め寄られた大川は、のけぞりながら、つと、自分の後ろに控えた従者を見た。


「…………。」


 その視線につられて、桃生柵もむのふのき領主のおのこも、その従者を見た。

 大川と同い年、二十四歳か。

 いつもムッと不機嫌そうな顔をしているそのおのこは、ますます嫌そうな顔をして、目をそらした。


 父親の頭のなかで計算が働く。


(あ……、ダメだ。うちの娘と縁談させても、怖い顔で沈黙し、こごえた空気のまま、縁談が終わる……。それにこんな愛想のかけらもないおのこ、義理の息子に欲しくないな。)


 さっと父親は大川に顔を戻し、


「私も四方八方、手をつくし、探したんです。

 なのに! 娘は、私が苦労して探しだしたおのこを、気に入らない、と突っぱねるんです。

 桃生もむのふの豪族である私が、娘のつま一人、見つけられないとは、なんと情けない事か。嘆かない日はありません。

 誰か! いませんか! 娘の縁談相手を! 是非に! 是非に!」


 と力を込めてたずねた。


「ああ〜。」


 大川は、なんて面倒な、ともはや隠そうとしない顔で目を上に泳がせ、


「あ。」


 と何か思いついたようだ。にっこり笑い、


「一人、いた。いましたよ、長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさま。」


 と四十半ばのおのこの名を呼んだ。


春日部かすかべの真比登まひと、この征夷せいい軍の軍監ぐんげんです。」





    *   *   *





 戰は、の高いうちに終わる。


「ぷっは───。」


 征夷軍の本拠地、桃生柵もむのふのきへ帰ってきた真比登まひとは、怪我一つない。

 返り血を浴び、黒光りするかぶとを脱いで、ぷるぷるっ、と汗をかいた頭をふった。

 

 太い眉。強い光を宿す、大きめの目。男らしい顔立ち。引き結ばれた唇。

 二十八歳、若さは落ち着いてくる年頃だが、美男、と言っても差し支えのない顔立ちである。

 だが、彼を美男と言う者はいない。

 何故なら、一番に目を引くのは、左頬に大きくある、醜い疱瘡もがさ。赤くただれた、えやみにかかった証拠の疱瘡もがさだからである。


 疱瘡もがさ


 もう真比登まひとは病を克服し、身体は健康なのだが、十二歳でかかったえやみは、彼の皮膚から生涯消えない痕を残した。

 ……人は、それをけがれとし、見たくない、触りたくない、とする者が多い。


軍監ぐんげん殿。」


 涼やかなおのこの声が、真比登まひとを呼んだ。

 上毛野君かみつけののきみの大川おおかわが、従者を伴い、歩いてくる。


「副将軍殿。」

此度こたびいくさも、立派な活躍だったな。ご苦労。」


 大川の口調に尊大なところはなく、自然体だ。


「ありがとうございます。」


 真比登まひとかぶとを手にしていたので、姿勢をただし、目礼もくれいで、礼をあらわす。


 大川は、にっこりと、はちすの花が揺れるように優美に笑って、こう続けた。


「今日はある事をお願いしにきた。

 あ……、上官命令だぞ。拒否は許さぬぞ。」

。(軍においての、はい)」

「おまえ、ここの少領しょうりょうの娘と縁談しろ。」

「……はっ?」


 真比登まひとは頭が真っ白になった。


 ───実はこのおのこ清童きよのわらはおみな同衾どうきんしたことはない)である。


 なにせ、この頬。身体全体にも、疱瘡もがさ持ち。

 おみなが、真比登まひとと肌を重ねる事を嫌がった。

 ゆえに、真比登まひとは、家族以外、おみなの手にも触れたことがない。

 

 そういうもの、と、諦め、おみながいれば、さっと逃げ、どうしてもおみながいる場所に行く時は、顔半分を布で隠し、会話も最小限にしている。

 ……嫌悪の眼差しがたまれないからだ。

 

 真比登まひとは動揺のあまり、


「あうあうあう……。」


 と口走った。大川が話を進める。


「ここ、桃生柵もむのふのき領主の長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさまの長女が、つまを探している。今宵、真比登まひとに縁談をしてほしい。」


 真比登まひとは、カッとなった。


(なんでこんな、誰もが振り向くような美男から、そんな事を言われなきゃならないんだ! オレの惨めさなんて、わからないんだろ!)


「縁談なんて、無理だ!

 オレはおみなにこの顔を見られたくない。

 大川さまが縁談の席につけば良いじゃないですか! 地位! 財産! 顔! 大川様になびかないおみななんていないでしょう!」

「むふー。」


 大川さまは、なぜかニヤニヤと嬉しそうに笑った。


「その少領しょうりょうの娘が、なかなか条件をつける郎女いらつめ(お嬢さん)でな。子持ちはダメなんだと。私は、子持ちだ。だから、ダメだ。むふっ。」


(むふっ、じゃねぇ───!)


「オレの……、疱瘡もがさ……ッ!」


おみながオレを見て、どんな反応をするか。

 知らねぇから、そんな残酷な事が言えるんだ、知らねぇから……。)


 真比登まひとの心の中で黒い嵐が渦巻き、だが、その激しさは、はけ口が見つからない、とでも言うように、上手く言葉にできない。


「三虎。」

「はい。」


 大川さまは涼しい顔で、自分の従者にそのあとの会話を押し付けた。


(ひでぇ。)


 後ろに控えていた従者、三虎が、一歩前にでて、無表情のまま淡々たんたんと喋りはじめた。


郎女いらつめの出した条件は、不細工じゃない事。

 他に妻も吾妹子あぎもこ(愛人)もいない事。

 子供もいない事。

 教養がある事。

 おまえ二十八歳にもなって、独り身だろ。」

「無理だ!!」

真比登まひと。お相手は、ここ桃生柵もむのふのき領主の娘。

 断ることはできんぞ。断わって、明日からどうやって、この桃生柵もむのふのきで寝起きできるというんだ?」

「ぐっ。」


 兵士として、食料の世話が受けられなくなるのでは、との考えが頭の片隅で閃き、真比登まひとは言葉に詰まる。

 大川さまが再度、ゆったりと口を開く。


真比登まひと、おまえだって軍監ぐんげんなのだから、豪族の娘を妻にするぐらい、して良いんだぞ……?

 おまえは、その疱瘡もがさを気にしているようだが、私は気にならない。

 お前は、面構つらがまえだって充分魅力的じゃないか。

 真比登まひとは、ふさわしい妻を得るべきだと思う。

 よって、断わる事は許さない。

 今夜、とりはじめの刻(夕方5時)、長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさまの部屋に行くように。そこで宴席が設けられる。」

「……!!」


 目を見開き、返事もできない真比登まひとを残して、大川さまとその従者は、その場を去ってしまったのである。






   

(これ、どうしたら良いんだ……。)

 

 話を聞いて、わらわらと兵が真比登まひとのまわりに集まってきた。

 真比登まひとはぐったりとうつむき、その場から動けず、たたずんでいる。

 擬大毅ぎたいき真比登まひとの副官)である五百足いおたりが、やっとそばに来た。

 事の顛末を聴き、二十一歳のおのこは首をかしげ、穏やかな口調で話しはじめた。


真比登まひとはたしかに妻も吾妹子あぎもこもいないですが、教養もないですよ?」


 軍監ぐんげんになるような人間は、通常、良い家の出であるものだが、真比登まひとに限って、それは当てはまらない。

 真比登まひとはただの郷人さとびとから、軍監ぐんげんにのし上がったのだ。当然、読み書きできない。


 副将軍とその従者は、桃生柵もむのふのきに来てから、まだ日が浅い。真比登まひとに教養がない事を、知らなかったであろう……。

 

「……縁談に行ったら、教養がないって、こっぴどく怒られませんかね……。」


 五百足いおたりは長いつきあいだ。気遣いが細やかな優しいおのこである。容姿のことは、わざと、口にしない。


「だいたい、その桃生柵もむのふのき領主の娘が、我儘すぎるんです。今日び、豪族の娘に釣り合う家柄のおのこで、婚姻する年齢だったら、吾妹子あぎもこの一人や二人、通い妻の一人や二人、いて当然でしょうよ。

 その上、不細工はダメ、教養ないのはダメ。まあ……、あの噂も当然ですね。」


 ため息をつく五百足いおたりに、真比登まひとは、


「ええと、噂、どこかで聞いたような……。」


 と、昔どこかで聞いて、そのまま聞き流して覚えていなかった、郎女いらつめの噂を思い出そうとする。


「平城京の采女うねめにふさわしい美女だが、年増で顔が怖いとか。

 たいそう気難しくて、今まで四回、縁談して、その場で全員振られたとか。なあ、皆?」


 まわりにわらわら集まっていた兵たちに、五百足いおたりは声をかける。


 うべな、うべな!(そうだ、そうだ)


 と声があがる。


「うべなうべな。縁談中、難しい話をふっかけられて、答えられないと、料理の皿を投げつけられるとか。」

「うべなうべな。鬼より怖い顔で、おのこでもおみなでも怒鳴りつけるとか。」

「うべなうべな。縁談すると、不幸が起こって、火事になるとか。」

「うべなうべな。奈良帰りだから、居丈高いたけだかで、おのこの選り好みが激しいとか。」


 真比登まひとは目をいた。


「えっ、それ、全部本当?」

「さあ──────?」


 皆が口をそろえる。


「えっ、オレ、縁談したら、どうなるの、それ?」


 五百足いおたり神妙しんみょうな顔をした。


「年増の美女に難しい話をふっかけられて、鬼より怖い顔で怒鳴りつけられ、料理の皿を投げつけられ、不幸が起こって火事がおこり、奈良帰りのおみなの好みに合わず、振られます。」

「えっ、えっ……?

 振られるだけで良くない? それ全部いる?」

「さあ──────?」


 再び、皆が口を揃える。

 真比登まひとは顔面蒼白で、声を限りに叫んだ。


「オレ、嫌だ! 疱瘡もがさ持ちなのに! そんな怖いおみなと縁談なんてごめんだぁぁ!」


 ついで、ブツブツつぶやきはじめた。


「オレがせめて疱瘡もがさ持ちじゃなかったら、いや、せめて顔が良くて、難しい話ができて、前采女さきのうねめと縁談しても恥ずかしくないヤツだったら……!」


 突如、ハッ、としたように、


「いたァ!」


 と叫び、野次馬のなかに飛び込み、顔が良く背の高い、十八歳の若者の肩を、はっし、とつかんだ。


韓国源からくにのみなもと! おまえ、オレの代わりに縁談の席につけ!」

「えええええ───!?」


 突然名指しされた若者の、驚きの叫びが、空にこだました。










↓挿絵「戰場の真比登」(近況ノートにとびます。手描きの鉛筆画です。)

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667746958382



↓挿絵「佐土麻呂と大川」

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667747242593



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