第46話 秘技

 立ちはだかる障害を睨みつけ、ツキクサは足を踏み切る。

 ぐんぐん加速し、ツキクサは〈カスア〉に猛然と迫っていく。


「ツキ! 俺たちになにかできることはあるか!?」


 横切る直前、レンが問いかけてきた。返答は既に用意してある。


「レンは直前まで〈カスア〉に銃弾を撃ち込んでくれ! カリナは攻撃の瞬間、俺の武器に〈エボルブ〉をかけろ! モモエはカリナの〈エボルブ〉の倍増だ! まかせたぞみんなッ!」

「おうッ!」

「まかせろッ!」

「了解です!」


(ありがとうみんな)


 これで勝利は確約されたようなものだ。


 ツキクサの〈エボルブ〉は、視認した相手の〈エボルブ〉を無効化し、かつ対象の〈エボルブ〉を自身に付与するもの。加えて独立行動を可能する剣『万夏』を常時携えていると、〈輔弼連合〉が管理するツキクサの書類には書かれている。


「持ち堪えてくれよ〈水鳴〉」


 が、それがすべてではない。

 ツキクサはもうひとつ、誰にも明かしていないが〈エボルブ〉を宿している。


 つまるところ、ツキクサは正真正銘〈アボルバー〉だった。


 剣を眼前に運んでじっと眺め――振り下ろす。

 直後、縹色の剣身が臙脂色に塗り替えられていった。


 やにわに剣が紅の煙を放出しはじめる。煙は四散せず、まるで拠り所を求めて彷徨う蝶のように、剣の周りで停滞しつづける。剣が燃え上がるかのようだった。


 第一試練――雷を自在に操る力を持つ鉄槌使いの男がモモエに鉄槌を振り下ろす瞬間を、ツキクサは陰ながら狙っていた。

 見逃すには惜しいだと思ったからだ。


 第三試練――ラルクスを真っ先に倒せば、残りのふたりは一切の抵抗なく降伏しただろう。しかし、それではもったいないと思った。ラルクスと弓使いの少女の攻撃をいなした方が、間違いなく。だから、敢えて長期戦を選んだ。


 第四試練――モモエとの戦闘は恰好のと言えた。剣戟の乱舞に、絶え間ない投擲。いったいどれだけの攻撃を『水鳴』で防いだことか。


 ツキクサの第二の〈エボルブ〉。


 それは――視認した攻撃の衝撃吸収、並びに武器に吸収された衝撃の一斉放出である。


 衝撃の一斉放出をツキクサは『秘技』と呼んでおり、この大技には相応のリスクが伴う。


 具体的にはふたつ。

 

 ひとつは、意識が吹き飛ぶほどの疲労感が押し寄せること。

 ひとつは、一定期間〈エボルブ〉が使えなくなること。


 故に多用できない。前回……というよりこの技を使ったことは過去に一度しかないのだが、その際には森林の一部が焼け野原と化し、剣が砕け散り、気づけばベッドで眠っていた。日付けは二日後になっていた。三年前のことだ。


「ん?」


 その出来事を想起し、今更ながらに疑問が芽生えた。


 はて、誰が森林から家までツキクサを運んだのか。


〈輔弼連合〉は、ツキクサがそのような窮状に陥ったことを認識していなかった。だから、ツキクサのふたつめの〈エボルブ〉について〈特別国政補佐官〉書類に記録されていないのだ。


「……キノカには助けてもらってばかりだな」


 誰が助けてくれたのかなんて、考える間でもなかった。


 色素を強めたり弱めたりする光球は、まるで胎動しているかのように見えた。色の変化速度は、はじめ顕現したときよりも遥かに速くなっている。はじめが五秒とすれば、今は一秒にも満たないといったところか。その瞬間はすぐそこまで迫っている。


〈カスア〉の表面でカンカンと弾かれていた銃弾の豪雨が止んだ。ツキクサが間合いに入ったからだ。


 床を踏みしめる音が大きくなる。ひときわ強い弾みをつけ、ツキクサは一切の手加減なしに『水鳴』を振りかぶる。


(こいつを耐えきられたらお手上げだが、まぁ万にひとつもあり得ないだろうな)


 三年前に剣が壊れて以降、『水鳴』を使い続けてきたのだ。森林の一部を焼け野原状態にした剣を使っていた期間は三か月。その期間は、剣を交える機会はほとんどなかった。


 では、『水鳴』はどれほどの火力を出すのか。


「カリナ! モモエ! 今だッ!」

「おうッ!」

「はいっ!」


 剣が〈カスア〉の表面と接触する寸前、威勢のいいふたつの返事が聞こえた。


「くッ……!」


『水鳴』が、未だかつて味わったことのない重みを帯びた。


 肩がずきずきと悲鳴を上げる。肘関節からプチプチっと、なにかが断裂する音がした。瞬く間に前腕の感覚がほとんどなくなった。


 それでも柄から手を離さずツキクサは咆哮する。


「弾けろッ!」


 ――ガシャ!


 ガラスがひび割れたような音が響き、閃光が走った。


 部屋が白く染まった。

 

 爆音が轟き、暴風が辺り一帯を包み込んだ。床のタイルや壁の塗装が剥離し、騒々しい音色と共に部屋を暴れ狂う。


 ――パリンッ!


 そんな雑音の中にひとつ、いやに鮮やかに澄んだ音階が混じった。


 光が霧散した。


「……」


 眼下の光球は、球体とは呼べない形状になっていた。不格好に割られた卵の殻のような形状。


 その中核に、『水鳴』は突き刺さっていた。


「ふぅ……」


 パキン、と、つららが折れるような音がした。それはすぐにパキパキっと、連鎖的に小気味いい音を奏でる。

『水鳴』が役目を果たし終えた音だった。柄から先がなくなっていた。


「今までありがとう」


 感謝を口にし、柄を引き抜く。


 ――が。


「え?」


 半壊状態にある〈カスア〉は、しかし変わらず、緋色と金糸雀色の間の色彩に表面を彩りながら佇立していた。


「冗談だろ?」


 どうやら光球は、二重構造になっているようだった。


 今ツキクサが破壊したのは表層。つまり、核の破壊には至っていない。

 それは、光球の中にある小さな光球が強い光を放っている様子を見れば明らかだった。今更になって気づいたが、そもそも表層の球体は透明だったようだ。


「……そん、なの、ありかよ……」


『水鳴』がなくなった今、ツキクサに攻撃手段は存在しない。加えて『秘技』の代償で、今にも卒倒してしまいそうな強い倦怠感が全身に押し寄せている。


 視界の輪郭が溶け落ちはじめる。


 ――これまでか。


 そう思ったときだった。


 ガシャンと、なにかが勢いよく〈カスア〉に衝突した音が聞こえて、闇に囚われつつあったツキクサの意識は現実に引き戻された。


『水鳴』が――いや、『万夏』が球体の下底に突き刺さっていた。


「キノカ?」


『万夏』が振動し、ギギギッと鈍い音が鳴る。しかし一点に突き刺さってはいるものの、それ以上の亀裂を走らせることはできない。


 それでも『万夏』の動きは止まらない。動きつづける。


 キノカは諦めていなかった。

 キノカが諦めるなと言っている。苦戦している。困っている。


「……ふぅ」


 そう思った途端、疲労が吹き飛んだ。


 両手で柄を掴み、ツキクサは『万夏』を持ち上げることに全神経を集中させた。


「あああアァァ!」


 意識は既に無いと言っても過言ではない。それでも腕に目一杯の力を込める。感覚のない腕にすべてを懸ける。妹が諦めていないのだ。兄が先に音を上げるわけにはいかない。


 ――ピシッ


 ほんの微かな、けれども確かに聞こえた亀裂音。


(いけるっ!)


 そう確信し、ツキクサは気道が焼けただれるような激痛を覚えながらも、強く息を吸い込んで叫んだ。


「みんな力を貸してくれッ!」


 朦朧とする意識が少しだけ安定した気がする――レンのおかげだ。


 腕の感覚がやや戻り、『万夏』により強い力を加えられるようになった――カリナのおかげだ。


 そしてその『万夏』に加わる力は、いつにも増して強く感じられる――モモエのおかげだ。


 ――ピシシシシシッ!


『万夏』が、〈カスア〉の中を進んで行く。

 ほどなくして中間地点に到達する。


「「「いっけぇぇぇッ!」」」


 友だちの声がした。

 苦悶一色に染まっていたツキクサの表情に、喜色が混じった。


 そこで留まることなく、『万夏』は〈カスア〉に一筋の直線を描き続ける。


 まっすぐまっすぐ。


 決して諦めることなく――


『兄様! あと一息!』


 聞こえるはずのない、キノカの声が隣から聞こえた気がした。ツキクサは頬をほころばせると、すぐに表情を硬く引き締めて全身全霊の力を『万夏』に込めた。


「届けぇぇぇぇッ!」


 すっと、やがて剣に圧し掛かっていた重力が消失した。


 ――『万夏』は空を切っていた。


「はぁはぁ……」


〈カスア〉はふたつの半球になっていた。


 もう、輝きは宿していなかった。


「終わった……のか?」


 つぶやいた直後、ころんと目の前に極彩色の結晶が転がってきた。


〈祝福の欠片〉だ。


「……終わったみたいだな」


 ほっと安堵の息を漏らすと、危うく意識を持っていかれそうになった。


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