第45話 最期の任務

 身体を揺さぶられて、ツキクサは目を覚ました。キノカがいて驚いたが、すぐに自分は五分間だけ休養を取っていたのだと記憶が蘇る。


「おはよう兄様」


 微笑み混じりにキノカが挨拶をしてくる。


 キノカと挨拶を交わすのは十年振りのことだった。〈祝福の日〉以降はじめて交わされた挨拶は、しかしまるで特別な感じはせず、ツキクサは毎朝していた挨拶にキノカも応じていたんだろうなと勝手な解釈をした。的確な解釈だと思った。


「おはようキノカ。時間は大丈夫?」

「時間ってどっちの?」


 起き抜けで頭の働きが鈍っているようだ。


「キノカの方の時間だ。あとどれくらい人の姿を保てるんだ?」

「三分くらいかな。それがどうかしたの? 人の身のわたしは、〈カスア〉の破壊に必要ないと思うけど」

「いいや、重要だよ」


 身体を起こし、こきこき首を鳴らす――違和感なし。

 手のひらを握っては開き、握っては開き――違和感なし。

 腿を持ち上げる――違和感なし。

 足首を回す――違和感なし。


「優秀な妹がいると助かるな」


 小さな頭をそっと撫でる。


「へへ~それほどでも~」


 眠っている間に、キノカが治癒してくれたのだろう。右目の視界は変わらず閉ざされているが、これは〈エボルブ〉による代償なので仕方ない。早くて明日、遅くても明後日には治るといった具合だろう。片目さえ無事なら問題ない。


(〈カスア〉は――)


 振り向きざまに轟音が空気を震わせた。やや遅れて、突風がツキクサの頬を掠める。

 カンっと澄んだ音が響いた先では、部屋の壁が剥がれ落ちて地面をのたうち回っていた。


「想像以上の破壊力だな」


 人の手によって起こされたとは到底思えない衝撃音と現象だった。


 発生源を見れば、カリナが切迫した顔つきで〈カスア〉に戦斧を押しつけている。ぎりぎり刃先が軋んだ音を立てているが――〈カスア〉には傷一つ見られなかった。


「だぁークッソがッ! おいモモエ! 手抜いてねぇで、ちゃっちゃっと質量二百倍くらいにしろよ! てめぇは紛いなりにも〈国政補佐官〉なんだろ!」

「無茶言わないでくださいよ! これでも全力なんです! 記憶を犠牲に力を使い続けてるんですよ! ……あぁ、また可愛い動物さんと戯れ合った記憶が……」


〈エボルブ〉を行使するためには、なにかを犠牲にする必要がある。ツキクサは視力低下で、モモエは記憶の欠落。


「オレだって力使う度に鍛え上げた筋力が衰えてんだよッ!」


 カリナは筋力の衰退だ。


「おかげでこっちは攻撃力が下がる一方なのに、このでけぇ球はビクともしやがらねぇ。レン! どうすりゃいいッ!?」

「どうするもこうするもねぇだろ。俺たちは俺たちにできるベストを尽くすしかねぇよ。ツキが目覚めりゃ状況も変わるんだろうが――」


 振り返ったレンと目が重なった。額に玉の汗を光らせながら苦し気な顔で銃を乱発していた顔が、ツキクサを見た途端に朝露のような輝きを取り戻す。


「おせぇぞツキ!」


 弾かれるように、カリナとモモエも振り返る。


「ようやくかよ……信じてたぜオレは。モモエがツキクサは死んだとかなんとか言ってたが、てめぇなら地獄の底からでも這い上がってくるってよッ!」

「言ってませんけどそんなこと? ……すいませんツキクサさん。いきがったはいいものの、私の手に負える代物ではありませんでした。情けない限りですが、手を貸していただけませんか?」


 三者から集まる期待のまなざしに、ツキクサはふっと勝ち気な笑みを返した。


「まかせろ。俺がすべて救い出す」


 もう、あの頃の無力なツキクサではない。


 最愛の妹に助けを求められても狼狽することしかできなかった。

 期待に応えられず、大切なモノを取りこぼした。


 そんな苦い記憶を振り払い、ツキクサはつぶやく。


「次は全部守って見せる」


 腰に携えた『水鳴』を鞘から引き抜き、キノカを振り返る。


「しっかり見てろよキノカ。兄ちゃんがどれだけすごいか、今に証明してやる」


 キノカは誇らしげに微笑んでいた。


「兄様がすごいことなんて、ずっと昔から知ってるよ」 


 微笑み返し、ツキクサは前に向き直る。


「さて、〈特別国政補佐官〉最期の任務を果たすとするか」


 べガルアスが最期に残した「民に安らぎを与えてほしい」という願いを叶えるために。


 仲間の……『大切な友だち』の未来を描くために。


 キノカとの日常を取り戻すために――


「お前は邪魔だ」

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