第43話 休息
「ヤベェなんて生易しいモンじゃねぇな……」
「俺の『檻』で多少は遅延できるだろうが、それじゃ根本的な解決にはなんねぇし……」
カリナは顔を引き攣らせ、レンは早速思案に暮れはじめた。
「……」
ツキクサは思考を巡らせる。
レンの『檻』で遅滞し、カリナが質量を十倍にした戦斧を振り下ろす際に、モモエが〈エボルブ〉でさらに質量を倍にする。
それが現状で放てるもっとも破壊力のある一撃だが、この程度で〈カスア〉の破壊に至れるとは思えない。ツキクサの予測に反してすんなり壊れてくれれば願ったり叶ったりだが、そううまく事は運ばないだろう。
となれば――
「く……っ!」
『水鳴』に触れた直後、激しい眩暈が押し寄せた。
視界全体が霞みがかる。溶け落ちて液状になったかのような地面は足場として頼りなく、ツキクサは体勢を崩して地面に吸い寄せられていく。
「大丈夫兄様っ!?」
耳元でキノカの声がした。キノカが支えてくれたから、ツキクサは痛みに襲われずに済んだようだ。さっきからキノカに助けられてばかりだ。
「ありがとうキノカ」
顔を上げても、愛しい妹の顔はまるで見えなかった。片目は〈エボルブ〉の代償でとっくに見えなくなっている。もう片方の目が見えなくなっているのは、恐らく過労が原因だろう。
出血に、連戦による身体の酷使に。冷静に原因を探っていくと心当たりが多すぎて、むしろ意識を保てているのが不思議なくらいだった。キノカの笑顔が傷を癒してしまうものだから、うっかり自分が満身創痍であることを忘れていた。
「待ってろキノカ。あんなのすぐに兄ちゃんがぶっ壊して助けてやるからな」
見えないが、〈カスア〉の気配は感じる。この感覚さえ機能していれば充分だ。
「……兄様はいつも無茶ばっかりするからなぁ」
足がふらついた。キノカの肩の位置が下がったからだ。
やがて膝頭が地面と触れ合う感触があった。キノカの支えがなくなる。
が、それは一瞬のこと。
背後から抱き締められて、身体を優しく引き寄せはじめた。
微弱な力だ。強引さの欠片すらも感じられない。しかし今のツキクサには、それに逆らう力さえも残されていなかった。
ほどなくして、後頭部が柔らかい感触に包み込まれた。
冷たい感触がゆっくりと額を撫でた。
「少しだけ休もう。五分経ったらわたしが起こすからさ」
キノカは、ツキクサを膝枕して額を撫でたのだと思う。
太ももの柔らかくも冷たい感触に、指先の優しくも冷たい感触に、ツキクサはえも言われぬ悲しみを覚えた。
人の姿ではあるものの、今のキノカに体温はなく、血流は巡っておらず、心臓は動いていない。そう、冷たい感触が突きつけてくる。
「貴重な五分だろ。もっと有意義なことに使った方がいい」
なにしろ、キノカが人の身となれるのは一年で三十分だけなのだから。
「こうする以上に有意義な使い方はないよ。だって、ようやく兄様の力になれるんだからね」
ようやくじゃない。
いつもキノカは力になってくれた。ツキクサを助けてくれた。
キノカが側にいてくれたおかげで、肉体的にも精神的にもどれだけ救われたことか。
キノカがいなければ、ツキクサはとっくにツキクサではなくなっていた。
キノカがいてくれるから、ツキクサはツキクサのままでいられる。
「〈輔弼連合〉にどんな傷でも治しちゃうおばあちゃんいたじゃん? わたしね、あの傷薬再現できるんだ。けど兄様は全然怪我しないから、使う機会は今日まで一度もなかったんだけどね」
ようやくお披露目できるよ、とキノカは嬉しそうな声を上げた。
腕の傷口に、すーっと風が吹き抜けるような感覚を覚える。キノカの言う通り、〈輔弼連合〉に所属する医師が〈エボルブ〉で治療してくれた時とほとんど同じ感覚だった。瞬く間に、痛みが引いていった。
「もっと早く治療しとくんだったね。わたしもうっかり〈カスア〉のこと忘れててさ、べガルアス陛下を倒して終わったぁーっ! って、気抜いちゃった」
へへっと、恥じらうような笑い声が耳をくすぐる。キノカの治療のおかげか、左目の視界が開けた。やはりキノカは楽しげに微笑んでいた。
「僕はもう大丈夫だ。それより、モモエを治療してやってくれないか。レンのおかげで痛覚が鈍ってるんだろうが、彼女は重症を負っている。並大抵の人間なら、とっくに激痛で意識を失っていてもおかしくない状況のはずだ」
ちらとモモエを見やる。なにやらレンとカリナと話し合っている。大方、ツキクサが先ほど脳内シミュレートしたことを実行に移そうとしているのだろう。モモエは賢いから、ツキクサと同じ結論に至るはずだ。
「やっぱり兄様は兄様だね」
しみじみと言って、キノカは「モモ姉さんっ! ちょっときて~!」とモモエを手招きした。やってきたモモエに処置を施し、癒えた傷口を見てモモエは驚きに目を見開いていた。
「五分で兄様を万全にするから、それまで相手お願いしてもいいかな?」
「そうですね。妹の頼みとあらば、姉として断るわけにはいきませんよね」
「キノカは俺の妹だ」
兄として看過できない発言だったので、半ば反射的に言い返してしまった。
くすっと小さな笑みを漏らすと、モモエは身を翻して〈カスア〉に目を向けた。
「お菓子を食べて昼寝する。そんな和やかな日々を希求していることに、私はツキクサさんのおかげで気づくことができました。その未来も、優しい兄妹の未来も、農家の娘さんの未来も、元暗殺者さんの未来も、私は絶対に諦めたくない。全部全部、手に入れてみせます」
だからツキクサさん、と首を巡らして柔らかな微笑みを向けてくる。
「大好きな妹の膝枕でゆっくり眠っていてください。ツキクサさんが次に目を覚ました時には、すべてが終わっているはずです。私だって〈国政補佐官〉なんですから」
言ってレンとカリナの元に駆け出し、三人は頷きあった後に〈カスア〉に猛進していく。
(資質を疑ってなんかいないよ。君は立派な〈国政補佐官〉だ)
三人では破壊に至れないと気づいていて焦りもあるだろうに、ツキクサに安静にしてもらうため、モモエは気丈に振る舞ったのだろう。
焦燥という感情を殺し、慢心さえも感じさせる自信に満ちた言葉を紡ぎ出す。
それは並大抵の人にはできないことだ。
「キノカ、五分だけ眠ってもいいかな?」
キノカもモモエもそうするように言っているのだ。今、ツキクサがすべきことは、無茶して加勢することではなく、体調を少しでも万全に近づけることだろう。
「うん、そうするのがいいよ。そうしなきゃ、兄様がしようとしてることはできないだろうし」
さすがは妹と言うべきか、ツキクサのことはお見通しらしい。
「安心して」
おもむろに頭を撫でてくる。
「五分経ったら絶対に起こすから」
その感触が心地よくて。
この瞬間がいつまでも続けばいいのにと思ってしまって……。
「おやすみ兄様」
視界が曇ってほどなくしてから、ツキクサは夢の世界に誘われた。
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