第42話 なにを犠牲にしてでも

 ぬるま湯めいた一時に浸かりながら、ツキクサは頭上できらきらと輝く物体を眺めていた。


〈祝福の欠片〉――代償はあれども、どんな願いも叶えるという代物だ。


 べガルアスが逝去した今、〈祝福の欠片〉の所有者はいない。

 つまり、あの欠片に触れたものが所有者となる。


 先ほどから散発的に亀裂音が聞こえてくる。〈祝福の欠片〉の周りに張り巡らされている結界がひび割れている音だろう。


 恐らくあと一分もしない内に、〈祝福の欠片〉が地上に降り注ぐ。


「それでねそれでねっ、兄様はすっごいんだよっ! でっかくてこわそうな男の人をあっさり倒しちゃってね、でねでね――」


 第一試練での出来事を、キノカは身振り手振りを交えながら楽しそうに語っている。


 キノカはずっと側にいた。ツキクサがこれまでに見聞きしたことや体験してきたことは、キノカも同様に見聞きしているし体験している。


 しかし、その感覚を共有することはできなかった。


 キノカはきっと感動してるんだろうな。びっくりしてるんだろうな。


 そう推測して剣に語りかけて。応じて剣が震えて。


 それが精一杯のコミュニケーションだった。


 寂しかった。


 そんな日々とも今日でお別れだ。


〈祝祭の欠片〉を手にすることで、すべては終わりを迎える。


〈特別国政補佐官〉として〈輔弼連合〉からの命令に忠犬のように恭順に従う日々も。ひとり虚しく黙々と質素な食事をする日々も。


「どうしたツキ? ぼうっとして」


 縁に恵まれて絆を紡いだ三人と過ごす時間も――もうすぐ終わりだ。


「なんでもないよ」


 怪訝そうに首を傾げるレンに、ツキクサは淡い微笑を返した。


 たとえ大切な仲間を犠牲にしてでも、キノカを元の身体に戻して日常を取り戻す。


 それは前々から決意していたことだ。

 なにがあろうとも、この最終目標だけは変えられない。


「兄様」


 呼ばれて顔を上げると、キノカが戸惑うように視線を彷徨わせていた。


「えっとね」


 視線を逸らしたまま指先をくっつけては離すという行動を繰り返し、ややあって躊躇いがちに切り出す。


「その……ね、わたしね、今の――」


 続くキノカの言葉は聞き取れなかった。


 どすんと、なにかが地上に降り落ちた音がキノカの声をかき消したからだ。


「なんだなんだッ!?」


 突然の出来事に、珍しくレンがおたおたと狼狽する。


〈それ〉は、談笑するツキクサたちの十メートルほど先に落ちてきた。落下直後、大きく足場が揺らいだことから、計り知れない重さを持っていると推測できる。

 そしてその推測は、〈それ〉が床にめり込んでいるという状況を見て、推測から確信へと変わった。


 落下の瞬間こそ見逃したものの、ツキクサは先ほどから何度もその場所を見ていた。そこは〈祝福の欠片〉の垂直落下地点だった。その上空を見やると、〈祝福の欠片〉は姿を消していた。


「あ、あれって……」


 モモエが緊迫を孕んだつぶやきを漏らす。


〈それ〉がなんなのか、知っているのはツキクサとモモエだけだろう。キノカももしかしたら知っているかもしれない。レンとカリナには、奇妙な物体として映っているはずだ。


 ――巨大な球体だった。


 まるで拍動するように、光度を変化させる巨大な球体。

 色素がもっとも薄いのは金糸雀色。もっとも濃いのは緋色。

 金糸雀色が徐々に緋色に変化し、緋色に達すると徐々に金糸雀色に戻っていく。

 その過程は、図らずも誰しもに同じ感想を抱かせることだろう。


「なんか、ほっといたらヤバそうじゃねえかアレ?」


 それはまさしく、今カリナが言ったこと。


 色素の変遷はまるでタイムリミットのようで、爆発の瞬間が徐々に迫っているかのようで、見ている側の焦燥を掻き立てるのだ。


「ツキクサさん、あれって……」


 実際に目にするのがはじめてだから、モモエは今ひとつ確信を持てないのだろう。

 ツキクサもモモエと同様に、知識だけはあるものの実物を見たことはないという状態だが、しかし球体の醸す異様な雰囲気を見れば、話に聞いていた〈それ〉だと断言できる。


「〈カスア〉だな」

「なんだよそれ?」


 カリナが尋ねてくる。


「〈祝祭〉の代償だ。べガルアスという〈祝祭〉を享けていた人間が息絶えたために、顕現したんだろう」

「ヤバイのか?」

「あぁ。大勢の人間が命を落とすことになるかもしれない」


 迂闊だった。思えば、〈輔弼連合〉ははじめからツキクサに〈祝祭〉の奪取とを命じていた。後処理というのは混乱した国家が安定するまでの助力だとばかり思っていたが、まさかこんな大仕事のことだったとは……。


「といっても、ツキが冷静さを保ってるってこたぁ絶体絶命ってワケじゃねぇんだろ?」


 レンの問いかけに、頷きを返す。


「解決方法は至って簡単だ。壊せばいい」


 ほっとレンが安堵の息を漏らした。


「んだよ。それなら大した問題じゃ――」

「いいえ。大きな問題ですよ」


 ぴしゃりと、事態の深刻さを思わせる真剣な声音でモモエがレンの言葉を遮る。


「過去に〈カスア〉が顕現したことが一度だけあるようなのですが、腕っぷしに自信のある〈国政補佐官〉の方が死力を尽くしてようやく破壊できたそうです。その際に顕現した〈カスア〉は、硬直した両足が再び動くようになるという〈祝祭〉の代償の基に降りかかったものだったようです」

「なら尚のこと問題にならねぇんじゃねぇのか? その〈国政補佐官〉がどれくらいすげぇのかは知らねぇが、〈特別国政補佐官〉であるツキに、〈国政補佐官〉であるモモエちゃん、そこに俺やリナやキノカちゃんもいるこの状況が、その時より劣勢だとは思えない。火力面では申し分ねぇんじゃねぇのか」

「そうじゃない。問題は別のところにあるの」


 かぶりを振ってキノカが言った。神妙な顔つきだった。キノカは基本笑顔でいるため、引き締まった顔になると図らずも場の緊張が高まる。


「〈カスア〉は、〈祝祭〉の規模と継続時間に伴って強固になるって言われてるの。今モモ姉さんが話したのは、一年の〈祝祭〉によって生まれた〈カスア〉。べガルアス陛下は、〈祝祭〉を十年享けてた。そしてその力は、超再生という自然の摂理に反した大きなもの。足が動くようになるっていうお願いがちっぽけに思えちゃうくらい、大きなお願いなんだよ」


 つまりね、とキノカは呆然とするレンとカリナに順に目を配る。


「今目の前にいる〈カスア〉は、過去に顕現した〈カスア〉よりもず~っと硬いって仮定するのが妥当なんだ。間違いなく、地上に存在するどの物質の硬度も凌駕してる」


 キノカの言う通りだ。そしてなにより厄介なのは――


「それでね、〈カスア〉は顕現してから十分後に災いをもたらすんだ」


 じっくり対策を練る猶予が残されていないということだ。

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