第39話 決意
かくしてツキクサは〈輔弼連合〉に所属し、〈国政補佐官〉になるべく教育を受ける日々を送ることになった。
一年目は、一般教養に加えて法科学、法心理学をはじめとする主に司法面に特化した専門教育が施された。
曰く〈国政補佐官〉にはあらゆる事柄を完遂する能力が求められるため、あらかじめ指定された専門分野の履修が不可欠なのだという。
同期は全員ツキクサより年上だったが、多くの人が音を上げて〈国政補佐官〉となる道を断念していった。どうやら筆記試験の難易度が図抜けて高かったらしい。
しかしツキクサには一般教育を受けた経験がなかったため、その難易度が異常なものだと気づく由もなかった。
二年目は、一年次に続き一般教養、専門分野は社会心理学やコミュニケーション学をはじめとする対人スキルの咀嚼、並びに実習を通しての実用化、そこに加えて肉体強化のカリキュラムが組まれた。基盤となるのは智慧であるが、卓越した身体能力も〈国政補佐官〉に欠かせないものとのことだった。
頭脳こそ明晰であったツキクサだが、成長期以前で身体が発達しきっていないこともあり、易々と課題をクリアすることはできなかった。それでも諦めずに研鑽に励み、やがてツキクサは同期の誰よりも優秀な成績を修めるほどになっていた。
といっても、自身の〈エボルブ〉を活用して乗り越えた試練がほとんどだったのだが、不正だと咎められることはなかった。むしろ褒められたくらいだった。
この時点で、同期は両手で数えられるほどしかいなくなっていた。
三年目は最後の年だった。一年次、二年次で習った分野の総復習がわずかな時間充てられて、残りはすべて実習だった。拷問や尋問、そういった類の指導だった。
肉体鍛錬と勉学に精進する日々に、気づけばツキクサの中にあるおおよそ感情と呼べるものは息をしなくなっていた。
殺せと言われれば殺す。
生かせと言われれば生かす。
命令する上官がいなくなったのならば、培われた知識に基づいて裁量を下す。
悲鳴が耳をつんざこうが、同情も罪悪感も込み上げない。〈国政補佐官〉に求められる機械的に物事を完遂する力が、その頃のツキクサには完全に備わっていた。
同期が尻込みする過酷な試練にも、ツキクサは躊躇うことなく身を投じた。
なんでもした。なんでも最高の形で仕上げた。
すべてはキノカを元の身体に戻すという目的のために……。
○○○
その翌年、ツキクサは十歳にして〈特別国政補佐官〉に任命された。
史上最年少の快挙だった。学績と潜在能力を鑑みれば当然のことだと〈輔弼連合〉の上層部の人が言っていた。
晴れて〈特別国政補佐官〉となったツキクサだが、まだ若すぎるために任地に赴くのは十五歳を超えてからだと指示された。それまでは研修生を指導する立場に就いて欲しいと頼まれた。
ツキクサは一も二もなくその指示に従った。まるで精密機械のように、いつでも無感情に使命を請け負った。彼の頬が動いた場面を見た人はいなかった。
「でねでねっ! あとはねあとはねっ!」
「落ち着きなって。もっとゆっくり話そうよ」
しかし、一年に一度、三十分間だけツキクサが始終笑顔でいる時間があった。
キノカの誕生日だ。
三年間、黒い液状物体としてしか過ごすことができなかったキノカだが、ある日から別の物体に姿形を変えることができるようになった。
モノはさることながら、空気、音といった事象にも変化できるようで、しかし人の姿を保つ際にだけ条件が伴った。
それは、一年に十分間だけ、視覚、聴覚、触覚以外の全機能が不全した状態でしか地上に立つことができないというもの。
凍え切ったツキクサの心だが、毎年この日だけは強い熱を宿して息をしていた。
「ゆっくりしてる余裕がないんだもんっ! 兄様は一方的に話せていいけど、わたしから話せるのはこの十分だけなんだよっ」
四年目――教育者として過ごす初年度から、ツキクサは『水鳴』に加えて別の剣を携えていた。〈万夏〉――キノカが剣に変化した姿だ。
しかし〈輔弼連合〉にその剣がキノカだと知る術はなく、ツキクサが新たに芽生えた〈エボルブ〉であり、本人の意思とは異なる独立した行動を取る特徴があると話して実演してみせると、誰もがその話を鵜呑みにした。
かくしてツキクサは、ひとりで複数の〈エボルブ〉を宿す稀有なる存在――〈アボルバー〉であると認定された。
違う、キノカだと、幼い頃のツキクサなら反論していたかもしれない。
しかし心身共にあの頃以上に成熟したツキクサには、キノカの〈エボルブ〉が把握されていないことが、いつか〈輔弼連合〉の意表を突く、あるいは危機的状況を打開する鍵になるかもしれないと考える冷静さと狡猾さがあった。
ツキクサは恭順な犬のフリをしながら、常に疑念を抱きつづけていた。
そして〈祝福の欠片〉に近づく瞬間を待ちかねていた。
その瞬間が訪れたら〈輔弼連合〉を裏切り、なにを犠牲にしてでもキノカを救い出すと、ツキクサは兼ねてより決意していた。
「今年で僕も十五だ。ようやく〈特別国政補佐官〉としての使命が課せられる」
「おー! ようやくだねっ! わたしもがんばらなきゃ!」
胸の前で両こぶしを握り、ふんすっと鼻息を荒くするキノカ。
あと一分もすれば、また一年もの間こうやって会話することができなくなるというのに、キノカから悲壮感のようなものはまるで感じられなかった。
「キノカが頑張ることなんてないよ。全部僕がやる。キノカは見てるだけでいい」
「そんな冷たいこと言わないでよー。わたしも兄様の役に立ちたいっ!」
健気な妹に、ツキクサの頬は自然弛緩する。
「いてくれるだけで、充分役に立ってるよ」
「ほんとうに?」
じーと訝るような瞳を投げてくる。
疑り深い性格は、ツキクサとキノカが血のつながった兄妹であることを示す格好の材料かもしれない。ツキクサの頬は緩みっぱなしだ。
「うん。ほんと。いつも撫でてるだろ」
柄を撫でるのは、意図的に身に着けた習慣だ。
「あれね、す~っごく気持ちいいんだよ」
キノカの笑顔が一段と輝きを増す。
「もっと撫でる頻度増やしてもいいんだよ?」
「わかった。尽力する」
「やたっ! あとさ兄様、こ――」
からんっと、軽い金属の音が、賑やかな空気を一瞬にして静寂に塗り替えた。
「……」
目を落とせば、机上に食べかけの豪勢な料理が並んでいる。
味覚が機能していないのに、キノカは至福の微笑みを浮かべて料理を頬張っていた。おいしいおいしいと言って頬張っていた。
満面の笑みで。偽りのない純真な笑みで……。
「絶対、元に戻してやるからな。だからもう少しだけ待ってて」
床に転がる『万夏』が呼応するようにぶるっと震えて、かしゃんと音を立てた。
○○○
その年、ツキクサは〈特別国政補佐官〉としてはじめての任地に赴いた。
半年以上の月日をかけて任務を遂行し、一か月ほどの休暇を挟んだのちに新たな使命が下された。その使命を全うすると、すぐに新たな任務が課せられて――
そして、現在に至る――。
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