第37話 一撃

「話は済んだかな」


 ツキクサが仲間に作戦の概要を話し終えるまで、べガルアスは奇襲を仕掛けてこなかった。


 温情か、あるいはそうすることが勝利を決定づけるための最適解であると判断してのことか。恐らくはどちらも正しく、間違っていないのだろう。


「そういうあなたも、多少は回復したようでなによりだ」


 べガルアスはふっと微笑を湛えた。


「やはり汝には気づかれていたか」

「ええ、仲間の決死の覚悟のおかげで、あなたも無敵ではないと知ることができました」


 今もべガルアスの腰部からは、ぽたぽたと血滴が一定の感覚を刻んで零れ落ちている。


 恐らく、のだろう。


 現にモモエの腰部には傷がひとつしかなかった。彼女は二度短剣を突き刺したのに……。また、レンの〈エボルブ〉がべガルアスに有効になっている間、レンにはなにも異常がなかった。


 以上を踏まえて、ツキクサは前者の仮説を立てた。

 べガルアスの反応を見るに、おおよそ間違ってはいないのだろう。


「しかし気づいたところで、易々と逆転の一手が打てるわけでもあるまい。汝とモモエは既に満身創痍、残りふたりは余にとって恐れるに足らん相手だ。この劣勢をどう打開するのか、是非とも見せてもらいたいものだよ」


 やや腰を下ろし、軽く握り締めた拳を腰に添え、もう片方の手を伸ばしてずっしりと構える。


 はじめ彼を見たとき、なぜトンファーを選択したのだろうと疑問に思った。

 たしかにトンファーは攻守面ともに優秀な武器だ。しかし質量やリーチ、使い勝手のよさを考慮すれば、剣や槍の方が優れた武器と言える。


 それでもトンファーを選択したのは、彼にしてみればトンファーがもっとも自身に適合した武器であったからだろう。


 彼の多種多様な突きや蹴りは、一朝一夕で体得できるものではない。気が遠くなるような歳月を武道に費やし、はじめて体得できるものだ。ツキクサはそれなりに武道に精通しているが、それでもべガルアスの境地には遠く及ばない。


 べガルアスが〈祝祭〉と〈エボルブ〉頼りの戦闘経験に乏しい相手なら、ここまでの苦戦は強いられなかった。根底に技術があり、その技術が最大限生かされる武器を選び、そこに常軌を逸した力が加わっているから、べガルアスは難敵なのだ。


「ああ、目にもの見せようじゃないか」


〈水鳴〉を構え、隣には〈万夏〉を浮遊させ、ツキクサはひとつ、大きく深呼吸する。


「いくぞべガルアスッ――!」


 爪先で床を跳ね上げ、ツキクサはべガルアスに接敵する。


「勇猛な戦士だ。汝ほど余を脅かした敵はおらんよ」


〈水鳴〉と〈万夏〉が連撃を仕掛けるも、べガルアスはトンファーで飄々と受け流していく。


「はあッ!」


 振りかぶる腕に力を込め、速く鋭い剣舞でべガルアスに迫る。力強い金属音が響き渡り、中空に火花が咲いては散っていく。


「まるで魂そのもので戦っているかのようだな。燃え尽きんと足掻くその姿勢、余は嫌いではないよ」


 べガルアスは清々しい顔をしていた。

 一方のツキクサの心臓は今にも張り裂けそうなほどに高鳴り、額には玉の汗が浮かんでいる。攻撃の手数が減りはじめる。



「そろそろ限界か」


 言って、べガルアスが片足を振り上げた瞬間をツキクサは見逃さなかった。


「今だカリナ!」

「おうまかせろ!」


 カリナには、始終ツキクサとべガルアスからやや離れた場所にいるよう指示していた。


「いくぞゴラァ!」


 五メートルほど距離を置いた場所にいるカリナは、足元めがけて目一杯戦斧を叩きつける。すれば、ぴしぴしと床に亀裂が走り出し、それはツキクサとべガルアスの足場にまで達する。


「ぬぅ」


 床が震動する。

 突如として足場が不安定になり、べガルアスは体勢を崩す。


 この展開が想定通りであるツキクサは瞬時に対応できるが、予期していなかったべガルアスはそうはいかない。


 続けて、ぱんっと銃声が轟いた。


「小賢しい真似を」

「マジかよ。今のに対応すんのかよ……」


 カリナが意表を突いたら銃弾を放つよう、レンには指示を出していた。


 ぱぱぱぱんとレンが連弾すれば、べガルアスはそれに応戦せざるを得なくなる。レンの銃弾が厄介なものであることを、先刻の被弾で理解しているからだ。


「オレも忘れてもらっちゃあ困るぜ!」


 べガルアスの死角から、戦斧を担いだカリナが迫る。繰り出される一閃の速さは短剣に劣らぬもので、その一撃はべガルアスの衣服を掠めた。


「あ、当てちった」


 牽制するだけで充分だと伝えておいたのだが、起きてしまったことは仕方ない。


「余に攻撃を当てた、だと?」


 ――レンとカリナが、べガルアスにとって脅威になり得る存在だと認識させる。


 そのファーストステップは、べガルアスが驚愕に目を剥いている様子を見るに成功と言えよう。ふたりは役割を果たしてくれた。


「モモエ!」

「わかりました!」


 次はツキクサとモモエの番だ。


 負傷したモモエには、端から戦闘に加担してもらうつもりはなかった。彼女に頼んだのは援護のみ。


「少し危機感を覚えているんじゃないか」

「そうきたか」


 ツキクサがふたりに分身したというのに、さしてべガルアスは驚いていない。これは想定内なのか。

 が、表情に余裕はなく、額にはじんわりと汗が広がりはじめている。形勢が傾きつつあることは明白だ。


「ここが正念場だ! ふたりとも気を抜くな!」

「「おう!」」


 モモエの〈エボルブ〉は、なにも当人にしか使えないわけではない。ツキクサはモモエの〈エボルブ〉でふたりに分身していた。

 しかし、他者に力を行使する場合、倍増できるものはひとつまでという制限があるようなので、身体がふたつになっただけで、身体能力や剣の性能は変化していない。


 とはいえ、多勢が優勢になるのが戦場の理である。ふたりのツキクサ、『万夏』、カリナ、レン、五人で一気呵成に畳みかける。

 カリナとレンは急所を狙っていないのだが、そんな思惑を知る由もないべガルアスは、すべての攻撃に対処の手を回さざるを得ない。


「ふッ! ぜあッ! はは、やるではないかッ! 余は最高に高まっておるぞッ!」


 五対一でようやく防戦一方の状況を強いたものの、致命傷に至る傷は一向につけられない。身体と布地の間に空気を孕み浮き上がった衣服や、動作に伴って棚引いた髪を時折掠められる程度。致命傷どころか、掠り傷さえも負わせることができない。


「バケモノかよ……」


 カリナがつぶやいた直後、モモエが遠方から暗器を投擲するが、それもすげなく床に弾き落とされる。


「万全のツキクサさんより手強いんじゃないですかこれ……」


 べガルアスの体力は無尽蔵にあると見ていい。このまま集中砲火しても、先に体力が底尽きるのはツキクサ側だ。


 一見ツキクサ側が優勢であるように思えるが、しかしそれは一時のことでしかない。あと一分もすれば、戦局は真逆のものに転じるだろう。


 ――すべてツキクサの想定通りだった。


「カリナ!」

「あいよッ!」


 戦斧を背に収めて後退し、カリナはべガルアスに指鉄砲を向けて叫ぶ。


「落ちろッ!」


 直後、べガルアスの膝が九の字に折れて足裏が床に沈み込んだ。


「ぬぐッ!」


 動きが一時止まる。


 カリナの〈エボルブ〉で、べガルアスには自身の十倍の体重が圧し掛かっていることだろう。さしものべガルアスと雖も、この現象を無視することはできない。


「あぐッ!」


 そしてその現象は、瞬く間にカリナに反転される。


 きしきしと鳴り響く軋んだ音は、カリナの膝から生じているものなのか、重圧に耐えきれず床から生まれている音なのか。

 バキっと、硬い音が耳を突いた。床がひび割れていた。カリナの膝が半ば無理やりといった様子で折り畳まれる。


 やがて額も地面に引き寄せられていき――


「やれツキクサ!」


 顔を上げたカリナの額からはだらだらと汗が滑り落ち、歯を強く噛み締めた表情からは息苦しさを感じ、それでも瞳には強い輝きが灯っていた。


「言われずともやってやるさ」


 微笑み返し、対峙するべガルアスに目を向けると、ぱんっと乾いた銃声が轟いた。べガルアスの首付近で、砂金めいた微小な粒が刹那のきらめきを見せる。


「いけツキ!」


 それがレンの援護射撃であることは、確認せずともわかる。


「くッ、これは少々……」


 べガルアスの顔が苦悶に歪んだ。


 モモエの短剣の傷が完全に癒えておらず、多少なりとも毒が体内に残留していて。加えて、日常生活では決して経験することのないであろう大きな重圧に、時間感覚の狂いという異常状態まで付与されているのだ。


 これなら、万全とは程遠い状態にあるツキクサにも十二分に勝機がある。


「彼らを取るに足らない相手だと侮ったのが運の尽きだったな」


 べガルアスの前後を陣取る。ふたりいるツキクサの内、前方にいるツキクサは『水鳴』を、後方にいるツキクサは『万夏』を携えている。


 前後から同時に剣を閃かせる。


 べガルアスの顔にみるみる恐怖が浮かび上がり、


「やるではないか」


 毅然と微笑んだ。


 剣が到達するより早く、後方のツキクサに後ろ蹴りが見舞われた。


「かはッ……!」


 槍の如き足蹴の先端は、寸分違わずツキクサのみぞおちを捉えた。


 モモエの〈エボルブ〉には、分身体との痛覚が共有されるという欠点がある。


 べガルアスの背後にいたツキクサは消滅し、前にいたツキクサは激痛に溜まらず腰を折る。握られていた『水鳴』が、からんと音を立てて床に落ちた。


「あの一瞬でここまで余の肝をつぶす策略を企てるとは大したものだよ」


 意識が朦朧としていて、べガルアスの声はよく聞き取れなかった。


「さよならだツキクサ」


 べガルアスの姿が何重にも重なって見えた。どのべガルアスも、共通してトンファーを振り上げていた。


「ツキ!」

「ツキクサ!」

「ツキクサさん!」


 武器もなく、攻撃を躱す余力もない。


 べガルアスの勝利は確実という状況だった。


「――で、背後から汝の自立する剣が不意打ちを見舞おうという寸法なのだろう?」

「っ!」


 動顛したツキクサの表情を見て確信したのだろう。べガルアスが振り返ると、まさに今この瞬間に、『万夏』がべガルアスの首を斬り落とそうとしていた。


「そうくると思っていたよ」


 旋回し迫りくる『万夏』に、べガルアスは勢いよくトンファーをぶつける。

 

 狙ってのことか、トンファーの鋭く尖った切っ先と『万夏』の刃渡りが衝突した。キンっと短く鋭い音が響いたかと思うと、『万夏』の刃渡りにピシッと亀裂が走る。


「あ……」


 やがて刃渡りは銀色の欠片となり、ぱらぱらと床に降り落ちた。

 剣身を失った柄が落下する。カンっと音を立てて床に転がった『万夏』は、それっきり動かなくなった。


「さて」


 身を翻したべガルアスに、ツキクサは唇を噛み締めて鋭利なまなざしをぶつける。


 それが今のツキクサにできる背一杯の威嚇だった。身体は巨大な岩石でも乗せられたかのように重く、まるで動きそうにない。ふっと、べガルアスは鼻を鳴らす。


「これで正真正銘のフィナーレだな」


 言って、べガルアスはトンファーを振りかぶる。表情、所作、それらすべてから歓喜を色濃く表出させていた。


 トンファーが目前に迫る。が、ツキクサは顔を恐怖に染め上げず、目を逸らす素振りさえも見せない。

〈特別国政補佐官〉としての矜持が為す技か――などと思い、べガルアスはツキクサの勇気を讃えているのだろうか。きっとそうだろう。そんな表情をしている。


 ツキクサは微笑んで言った。


「あなたの負けだ」


 ――直後、べガルアスの背中から血飛沫が吹き上がった。


「は?」


 不意の出来事に気を取られ、トンファーはツキクサを捉えることなく宙を切った。


「わたしは、あなたの考え方は間違ってると思う」


 懐かしい声だった。


「国のみんなの幸せのためにっていう動機は立派だけど、だからって誰かを傷つけることが許されるわけじゃないよ」


 その声は以前聞いたときよりも、少しだけ大人びて聞こえて。


 あぁ成長してるんだなぁと、ツキクサは思わず涙ぐみそうになる。


「な、ぜ……」


 べガルアスが膝をつき、倒れ込み、かくして背後から一撃を見舞った人物がその姿を見せる。


「わたしたちの正義の勝ちだね」


 小さな女の子だった。


 白銀の長い髪を降り注ぐ淡い光に照り返す小柄な少女は、握っていた剣を黒い物質に変化させて手のひらに吸い込み、ツキクサに弾けるような笑みを見せて駆け寄ってきた。


「やったね! 兄様!」


 兄様。昔から変わらない呼び方だ。


 幼い頃からまるで変わらない少女の無邪気な笑顔に、ツキクサは一時、積もった疲労感と身体を蝕んでいる倦怠感を忘れた。


「えへへ~、ひさしぶりの兄様の身体だぁ~」


 抱きつくなり、身体にすりすり頬を擦りつけてくる。


 ツキクサは目頭がじんじんと熱くなり、胸にあたたかいなにかが満ちていく感覚を覚えた。


 それでもなんとか平静を保ち、小さな頭をそっと撫でながら柔らかく微笑んでつぶやいた。


「元気にしてたか――キノカ」


 ツキクサの目尻から一筋の涙が滴り落ちた。

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