第32話 特別な才能

「……でも」


 俯いたまま、ぽつりとつぶやく。


「私以外の家族はみんな〈祝福の日〉に亡くなったのに、私だけが幸せを掴もうとするのはどうなんでしょう。天国にいる家族は、そんな私をよく思うんでしょうか?」


〈国政補佐官〉には選ばれた人しかなれない。誰もが敬うわかりやすい優秀のレッテルだ。


〈国政補佐官〉という肩書きは、モモエにとって自身の存在を肯定するために、必要不可欠なものなのだろう。

 家族に誇れる自分でなくてはならない。そうでない自分に価値はない。

 そんな強迫観念が、本来の彼女を束縛しているように思えた。


「ならモモエの家族は、君が感情を押し殺して〈国政補佐官〉としての責務を全うすることを望んでいるのかな?」

「そ、そんなことは……」

「〈輔弼連合〉は、モモエに生き方を教えたのではなく押しつけたんだ。君は〈国政補佐官〉であることを誇りに思い、生き甲斐を感じ、そこに自分の価値を見出した。家族を失ったことで生まれた虚無を〈国政補佐官〉であるという華々しい名誉で埋め尽くした。違うかい?」

「……どう、でしょう」


 外された視線が一向に重ならないのは、モモエの心の迷いの表れだろう。


 忠誠心を抱き続けた〈輔弼連合〉。モモエの価値観の根底にあるもの。


 それに対してはじめて負の印象を抱き、モモエは困惑しているのだと思う。そうでなければ、ツキクサが〈輔弼連合〉を悪いように言った際に否定していたはずだ。


 モモエのような経緯で〈国政補佐官〉なった者は多く、かくいうツキクサもモモエと同じケースに該当する。


 大切なものを失って心にぽっかり穴の空いた人間は、その虚無を別のなにかで満たそうと試みる。正しいか間違っているかは関係なく、とにかくなにかで空白を満たそうと躍起になる。


 そのような人間は、得てして判断力が低下しているものだ。

 彼らはどんな言葉も聞き入れる。常識を逸脱し、良心という枷からも解き放たれているために、平然と犯罪行為にだって及ぶ。

 虚無を埋めようと足掻く人間ほど狂気に満ちた生物はいない。ツキクサはそう思っている。


 ある程度間違えた道を歩いたところで大人は正気を取り戻すが、人生経験の浅い子どもはそうはいかない。経験がそのまま人格形成の基盤となる。それが正しいか、間違っているかは問わずに……。


 つまるところ、放浪状態にある子どもは洗脳しやすく、英才教育を施すのにうってつけの人材だと言える。


〈輔弼連合〉に所属する半数以上がツキクサと同世代、あるいは年下である裏側には、そんな思惑があった。


〈輔弼連合〉は身寄りのない子どもに〈国政補佐官〉の素晴らしさを説き、〈国政補佐官〉になること以外の選択肢を奪い、自分たちの言いなりとなる駒を日々増やしている。


 しかし、一概に〈輔弼連合〉が間違っているとも言えない。


 モモエのように、〈国政補佐官〉という生き甲斐を得なければ自分を見失ってしまう人もいただろうし、〈輔弼連合〉は正真正銘、世界平和のために活動している。少なくともツキクサは十年間、〈輔弼連合〉の掲げる正義を疑ったことはない。彼らは常に、利他的な行動を取っていた。


「もう一度問う。モモエの家族は、モモエが感情を押し殺して誇らしい振る舞いをすることを望むような人たちだったのか?」

「……」

「僕は、笑顔でぱくぱくお菓子を頬張るモモエが好きだよ」


 ぴくっと、肩が跳ね上がった。


「見てるこっちも幸せな気分になれる笑顔だった。君には周囲の人間を幸せにする特別な力があるんだよ。それは些細なことで、〈国政補佐官〉に与えられる栄誉とは比べものにならないほど陳腐なもので。けどね、そういったものが優しさに満ちた社会を創り出しているんだ。僕にはモモエのように幸せを振りまくことはできない。これは君にしかできないことなんだよ」

「私にしか、できないこと……」


 おずおずと視線が持ち上がり、つぶらな瞳がようやくツキクサを映した。


「いいんですか? そんな小さなことで満足してしまって」

「小さいだなんてとんでもない。誰かを笑顔にするのは難しいことだよ」


 それも立派に一種の才能と呼べるはずだ。


「そこでスナック菓子の出番だ。〈国政補佐官〉に従事してだいぶ稼いだだろう? まずは、スナック菓子をひとつ復活させよう。恐らくモモエと同じようにスナック菓子を恋しく思っている人は大勢いるだろうから——」

「す、すすすストップですっ、ストップですっ!」


 すごい勢いで待ったをかけられた。


「だ、黙って聞いていればツキクサさん、わ、私のこと、食いしん坊キャラだと思っていませんか?」


 おにーさん呼びからツキクサさん呼びに変化したのは、気を許してくれたからか。

そうだといいなと、ツキクサは頬をほころばせた。


「あれだけスイーツを暴食しておきながら食いしん坊じゃないというのは少々無理がないかな?」


 まるで幼い頃のキノカを見ているかのようだった。キノカも美味しそうに食べる子だった。


「だ、だって美味しかったんだもんっ!」


 声を荒らげて弁明するモモエの顔は、いちごみたいに赤く染まっている。


「そうか」

「そんなクールな反応求めてないですよ! あとその優しい目やめてください! ほ、ほんと、恥ずかしくて顔から火が出そうで……」

「やっぱりモモエは人を笑顔にする才能があるよ」

「私の声、聞こえてますか?」


 モモエが不満げに頬をぷくっと膨らませると、『万夏』が拘束を解いて元の剣の状態に戻った。


「あっ」


 四肢の自由を取り戻したモモエが、両手を握ったり開いたり、足首を回したりして、異常がないか確認する。どこも正常だった。ツキクサの鞘にはたかれて一時は動かなくなった左手も、時間という治療を経て回復したようだ。


「いいんですか。私、ツキクサさんの味方になったとは一言も言ってませんよ?」


 やや反発的な態度とは裏腹に、感情の色濃く滲んだ声色から刺々しさは感じられない。


「いいや、モモエはもう仲間だよ。ふたりもそう思うだろう?」


 背後に座り、長らくやり取りを傾聴していたふたりに問いかける。


「ツキはアレだな、無自覚に女落とす一番質の悪いタイプの男だな」

「よぉピンク髪。てめぇは新参者だから、オレの指図は絶対だかんな」


 冷めた目でツキクサを見つめるレンと、ギラついた瞳をモモエに向けるカリナ。


「歓迎ムードをまるで感じないんですが……」

「まぁ遺恨はないようだし、親交を深めるのはおいおいってことで」


 双方が毛嫌いしていないだけよしとしよう。


「……まぁ悪い人たちじゃなさそうだし」


 モモエは微笑を湛えている。どうやらツキクサの提案を拒絶しようという思いは、寸毫もないようだ。

 モモエの懐柔を終えたところで、ツキクサはようやく聞きたかった話題を切り出す。


「ところでモモエ、君は――」



「実に感動的ではないか」



 重たく腹の底に響くようなその声色は、ツキクサのよく知るものだった。


 声と拍手の先に目を向ければ、光の柱が立ち昇っている。〈転移装置〉の光だ。


「迷える少女を諭し、新たな道を照らし、尚も立ち止まる少女の背を押す」


 神々しい光の濁流に呑まれる人影の正体など確認せずともわかる。


「汝は先導者としても秀逸なる才を持っているようだな。半ば洗脳状態にある〈国政補佐官〉を正気に戻すことなど、並大抵の人間にはできぬ所業よ」


 やがて姿を見せた宿敵――ルスティカーナ王国国王べガルアスは、ツキクサを睥睨して酷薄な笑みを浮かべた。


「任務ご苦労。ツキクサ〈特別国政補佐官〉」


 恭順に返事をする必要はない。


 なぜならもう、ツキクサはべガルアスに献身する〈特別国政補佐官〉ではないのだから。


 べガルアスが武器を携えているということは、リバルは役目を果たしてくれたのだろう。

 ツキクサが反逆を企てている。その旨を伝えるよう、あらかじめリバルに指示を出していた。


 これからべガルアスと交戦するのは、ほかの誰でもない、ツキクサというひとりの人間だ。


「待ってろキノカ。今、助けるからな」


 ツキクサは口元に剛猛な笑みを携えた。

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