第31話 夢
「これもおにーさんの〈エボルブ〉ですか」
四肢が拘束されてなお、モモエの瞳から勇猛な光が消失することはなかった。
「いいや。これは『万夏』に備わっている〈エボルブ〉だよ。『万夏』は自在に形状を変化することができるんだ」
安直だが、万の形に変化できるから『万夏』と名付けたのだ。
「そんな情報は〈輔弼連合〉にありませんでした。視認した相手の〈エボルブ〉を無効化し、かつその〈エボルブ〉を自身に付与する力に加えて、本人の意思とは別に独立した行動を取る剣を常備携帯している。卓越した〈エボルブ〉の複数所持、並びに先天的に備わった潜在能力の高さを評価し史上最年少の〈特別国政補佐官〉に任命した。それが〈輔弼連合〉の保有するおにーさんの情報のすべてです」
「そりゃ負けねぇわけだわ……」
「ん~よくわかんねぇけど、とりあえずツキクサがすげぇってことはわかったよ」
レンは微苦笑し、カリナは「さすがオレの友だち!」と上機嫌にしていた。
「しかし、この現象は情報になかったものです。おにーさんは、まだ〈エボルブ〉を隠し持っているんですか」
「買い被りすぎだ。そもそも僕は〈アボルバー〉じゃない」
「なに言ってるんですか。現におにーさんは複数〈エボルブ〉を宿して――」
「君は〈国政補佐官〉に向いていない」
モモエの反駁を遮って言った。自分の情報などどうでもいい。
「まず感情的になりすぎだ。〈国政補佐官〉には、いつでも冷徹に物事を見据えて、冷酷に処理する機械的な姿勢が求められる。君は一喜一憂がすぐ顔に出る。それが君に〈国政補佐官〉が向いていない理由のひとつ目」
「な、なんですか、いきなり……。先輩風吹かして説教ですか」
「次に暗殺の手際だが、あまりにやり方が迂遠すぎる」
不満げに眉根を寄せるモモエを無視して続ける。
「第一試練終了後に僕に接近しただろう。なぜあの時に奇襲を仕掛けなかった。僕の〈エボルブ〉を理解しているのなら不意打ちがもっとも有効であるという結論に至るのが当然の成り行きだろう?」
「……仕掛けましたよ、奇襲。カヌレに毒を盛りましたよ」
思えば、あの時モモエはやけにツキクサにカヌレを食べさせようとしていた気がする。お腹がいっぱいだからとかなんとか理由をつけて。
「でも、おにーさんが食べてくれなかったから……」
「それが甘いと言っているんだ」
「……カヌレだけに?」
許しを請うような上目遣いで見上げてくる。
やはり、彼女は致命的に〈国政補佐官〉に向いていない。
「話を逸らそうとするな。君はそれでも〈国政補佐官〉なのか。そんな態度では――」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃないですかぁ~!」
と、えんえんモモエが泣きわめきはじめてようやく正気を取り戻した。
「ひどいよぉ~! 私だって、一生懸命やってきたのにぃ~!」
「……」
「おにーさんより一歳年下なのにぃ~! いじわるだよぉ~!」
「……」
〈特別国政補佐官〉になるまでに、過酷な日々を過ごした。
無数の同期が命を落とした。何度も吐瀉物をぶちまけた。感情が徐々に息をしなくなっていった。自分が自分でなくなっていく実感があった。
やがて〈特別国政補佐官〉ツキクサとして過ごす日々があたりまえになった。自分を「俺」ではなく「僕」と呼ぶようになった。会話に感情ではなく理屈を求めるようになった。
今の自分は、間違いなく〈特別国政補佐官〉ツキクサだった。
年下の女の子を泣かせてしまった。なにより伝えたいことはこの先にあって、その準備段階として切り出した話題だったのに、いつの間にか熱が入ってしまっていた。
今更ながらに、強い罪悪感が腹の底から湧き上がってくる。
「うわ~女の子泣かせてやんの~。そういえば昨日もリナ泣いてたけど、さては今みたく言葉でボコボコに殴ったん? 君は無知がすぎる、とかなんとか言って」
「少し黙ってくれないか?」
さて、どう慰めたものか。
眉間を揉んで、思考を回転させる。
モモエはギャン泣きしている。カリナが無言で向ける白い目が、ツキクサに精神的ダメージをじわじわと与えてくるのだが、全面的にツキクサに非があるので言い訳のしようがない。
「ほらほら~、早く手施さねぇとまた暗殺人形に戻っちまうぜ?」
「うるせぇな。言われなくてもわかってるっての」
「へ? 今、喋ったのリナじゃなくてツキだよな?」
これまで淡交に甘んじてきたために、ツキクサは自分の不注意で相手を傷つけてしまったときの対処法を心得ていなかった。
いや、感極まった相手の慰め方は学んでいるし、いくつか案も浮かんでいる。が、所詮は智慧に過ぎない。実行に移す応用力までは備わっていなかった。
「えーん! もうおしまいだよぉ~! 私、〈国政補佐官〉失格だよぉ~!」
「……いいんじゃないかなそれでも」
こうなった以上、選択肢はひとつしかない。
「なにも〈国政補佐官〉にだけ生きる資格が与えられるわけじゃない」
「え?」
真摯に想いを伝える。
膝を折って視線を合わせて、まっすぐに瞳を見つめて、自身の想いの丈を打ち明ける。
ツキクサはいつでも感情を乱さないために備えている。もっともここ数日は素の自分が稀に顔を出しているのだがそれはともかく。
今、ツキクサは意識的に感情にすべてを委ねていた。
どの口がモモエに説教していたんだと思う。
自分も〈特別国政補佐官〉失格だ。
「生き方は無限にある。いつか言っていたね。スナック菓子を普及させたいって。あれはモモエの本音だろう?」
あの時の瞳の輝きが偽物だとは思えない。
「そ、それは……」
恥ずかしさに耐えかねたように目を逸らし、モモエは沈黙することを選んだ。
感情に正直な子で助かった。表情と仕草が、ありのままの心の内側を教えてくれる。
「あの時も言ったように、僕は素敵な夢だと思うよ」
ぴくっと華奢な肩が跳ね上がった。
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