第30話 ふたりなら

「これまでみたく余裕で勝つのかと見守ってりゃあ、珍しく苦戦してるみてぇじゃねぇか」


 レンが銃を発砲した音のようだ。構えられた白光りする拳銃の銃口から、白い煙がモクモクと上がっている。


 と、これまで休みなく押し寄せていたモモエの攻撃の手が突如として止められる。


「っ、これはいったい……貴様一体なにをしたっ!?」


 激昂するモモエの視線の先にいるレンは、にっと小馬鹿にするように口の端を釣り上げる。


「なぁに、ちょっくら嬢ちゃんを俺の『檻』の中に引きずり込んだだけだよ」


 続けて黒光りする拳銃を天井に構えて、ぱぱぱんっ、と連続で銃弾を撃つ。どんな意図があっての行動なのかと頭を悩ませたのは数瞬のこと。


「なっ……」


 天上に明かりが灯された。

 レンが撃ったのは、眩い光を放つ粘着質の発光弾のようだった。


 かくして、もうひとりのモモエの姿が白日の下に晒される。


「うわっ、同じヤツがふたりいやがる……」


 ぱちぱち瞳を瞬かせたカリナは、やおら戦斧を構えて、捕食寸前の肉食動物めいた猛悪たる目つきで遠距離攻撃担当のモモエに交戦の意を示す。


「ま、なんでもいいんだけどよ。てめぇのせいでツキクサの計画が台無しになっちゃあオレたち困んだよ。だからまぁ、殺しはしねぇが足止めさせてもらうぜッ!」


 言い終わるが早いか、カリナは遠距離攻撃担当のモモエめがけて猛進する。


「ツキ! こっちは俺たちにまかせろ! この剣……『万夏』だったか? も、自由に使っていいから、とっととそいつを倒せ! お前さんの野望はこんなトコで潰えるちゃっちいモンじゃねぇだろ!」


 カリナに追従するレンが、ツキクサを鼓舞してくる。


「……まったく、ふたりとも無茶しやがって」


 モモエは単身でも充分に手強い。レンとカリナの〈エボルブ〉は把握しているし、些細な所作からふたりの戦闘技術もおおよそ目途がついている。


 ふたりで立ち向かって、ようやくモモエに拮抗するくらいだろう。

 無傷とはいかないかもしれない。命を落としてしまうかもしれない。


 けれど、レンは言った。


 俺たちにまかせろ、と。

 とっととそいつを倒せ、と。


「すぐに終わらせるから、少しだけ持ち堪えてくれよ」


 レンとカリナから視線を外し、意識を目の前にいるモモエに集中させる。すると、『万夏』がちょうど手元に戻ってきた。


「ふたりを守ってくれてありがとう」


『万夏』の鞘を撫でて、再びモモエに目を向ける。


「ちっ……」


 計画が破綻したのだろう。そう断言できてしまうほどに、歯軋りするモモエの顔からは苦衷が漏れ出ていた。


 未熟だなと思う。

〈国政補佐官〉たるもの、如何なる場においても真なる感情を露呈させてはいけない。基礎中の基礎だ。


「まぁ僕が言えたことではないけどさ」


 そうつぶやくツキクサの顔には淡い笑みが浮かんでいた。


「悪いな。こうなったら僕は負けない」


 右手で『水鳴』を握り、半身に構えてやや腰を低くすると、隣に『万夏』が並んだ。


「いや、は負けないかな」


『万夏』が戦闘に加わった今、モモエを仕留めるのは難しくない。が、これまでのように気絶させてはいけないので、強打を見舞うわけにはいかない。


「くっ、んぐっ……な、なんですか、私を手玉に取って遊んでるんですかっ」

「まさか。そんな余裕はないよ」


 立て続く連戦で、腕はかすかに痺れていた。先刻モモエが指摘したように、右目はほとんど見えていない。呼気は荒く、全身からじんわりと汗が噴き出し、足裏は焼け付くように痛む。


 そんな不調はおくびにも出さず、ツキクサは剣戟を交えながら一瞬の隙を探る。


 モモエは、べガルアスの遣いなのか、〈輔弼連合〉の遣いなのか。

 真相をモモエの口から聞き出すために、昏倒させて決着をつけることはできない。モモエが意識を保ったまま、敗北を突きつける必要がある。


「賢明な君なら、状況が理解できているはずだ。僕がなにを望んでいるか、聞かなくてもわかるだろう」


 先とは一転し、今はモモエが防戦を強いられている。時折〈万夏〉が力ない反撃を急所に見舞うが、それがツキクサが本気を出せばいつでも息の根を止めることができるという意思表示であるということは、モモエも薄々感づいているだろう。


 理想は投降だ。そんなツキクサの希望を嘲笑うように、モモエは乾いた笑みを漏らす。


「諦めるくらいなら死んだ方がマシですよ。任務が私の生き甲斐です。〈国政補佐官〉である私にしか存在意義はありません。ただのモモエという少女に、生きる資格なんてありませんよ」


 ――生きるのに資格なんて必要ない。


 そう反論しそうになったが、口にしたところでモモエの神経を逆撫でするだけだろう。


「そうか」


 諦めるつもりはなく、説得できる見込みもない。


 となれば、頼れるものはひとつしかない。


「なら手加減する必要はないな」


 すぅと息を深く吸い込み、力強い横水平払いを繰り出す。


「あぐっ……!」


 剣先がモモエの左手の甲を捉える。手離された短剣が、からからと音を立てて床を滑走する。


 息つく間を与えず、逆方向からもう一撃畳みかける。

 が、さすがは〈国政補佐官〉と言ったところか、歯を食いしばって後方に飛び退き、モモエは死地を脱する。


「はぁはぁ……手を抜いていたんですか、ずっと」

「君くらいの年頃の女の子と対峙すると、いつも妹を思い出して手を緩めてしまうんだ」


 モモエの左手はぷるぷると痙攣を繰り返している。だらんと垂れ下がった手首を見るに、左手は潰したと見ていいだろう。


「舐めた真似をッ!」


 苛立たしく言って右脚を振り上げると、パンプスの先端から長く細い針が射出された。


 やはり甘い。平静を繕って虚を突いた暗撃なら未だしも、感情任せに放たれた秘蔵の一撃では恐れるに足らない。冷静さを欠かなければ、容易に迎撃できる。

 そしてツキクサには、それを可能とする経験に裏打ちされた智慧と磨き抜かれた洞察力があった。


(回避する必要もないな)


 あるいは、ツキクサが回避することを見越してのものなのか。


 いずれにせよ、迎撃の必要はない。


 次の目的部位めがけて剣を振り下ろす。


「うっ!」


 狙い通り、檜皮色の鞘はモモエの右手に握られた短剣を捉えた。短剣が遠くに飛んでいく。


「はぁはぁ……」


 かくして武器を失い無防備になったモモエだが、その瞳から未だに交戦の灯火は消えない。左手を潰した時点で音を上げると思っていたのだが、大したものだ。

 この諦めの悪さは、元来彼女に備わっているものなのだろう。使命感でここまで耐え忍ぶことができるとは思えない。


「どう……したんですか。とどめ、刺さないんですか」


 息も絶え絶えながら、挑発的に口の端を釣り上げた。


「……」


 右手をスカートの内側に伸ばすと、先とは異なる形状の短剣が姿を見せた。


 果たしてどれだけの暗器が備えられているのだろうか。

 武器を破壊してもキリがなさそうだ。


 気は進まないが、第二案に移行することにする。


「私はまだまだ戦えますよ。勝利を確信するにはまだ早いんじゃないですか?」

「いいや、僕の勝ちだ」


 第一案――モモエの武器を削ぎ落とし、屈服せざるを得ない状況を強いる――は、端から希望的観測に近しいものだと見立てていた。


 故にはじめから第二案が計画されており、そして準備は既に整っている。


「〈万夏〉、拘束しろ」


 ツキクサが言った直後、モモエの四肢に黒い触手が絡みついた。


「なっ!?」


 モモエの背後には鉄黒の細長い棒がそびえ立っており、触手の出所はその棒であった。

 触手に引き寄せられて、モモエの背中は棒に隙間なく密着する。はじめジェルのようなてかてかとした淡い光沢を纏っていた触手は、徐々に金属質の物体特有の重層感溢れる輝きを宿していき、やがて支柱となっている棒と同様に鉄黒色となって硬直する。


「う……動け、ない……」


 かくしてモモエの捕縛に成功した。


(ふたりは……)


 首を巡らせようとした直後、「うわッ! 消えたッ!」とカリナの声がした。

 振り返ればそこにもうひとりのモモエの姿はなく、傷ひとつないレンとカリナの姿があった。


「よかった無事で」


 とりあえず一段落ついたようだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る