第29話 苦戦

 モモエは万物の倍増という〈エボルブ〉をこの上なく戦闘に適した形で出力している。ツキクサの太刀筋について来られるのは、自身の身体能力を倍増しているからだろう。小柄で俊敏なものだから、ツキクサの剣はなかなか彼女を捉えることができない。


 かといって防戦に徹し劣勢状態にあるわけでもなく、彼女は両手に持った短剣で、ツキクサに息つく間を与えず連撃を畳みかけてくる。


 短剣の先端から時折透明な液体が滴り落ちる様子を見るに、恐らくは毒薬の類が塗布されているのだろう。どれほどの効力を秘めているのかは定かでないし、そもそも毒薬と決まったわけでもないのだが、なんにせよ微かな被弾さえも許すわけにはいかない。


 ツキクサの剣とモモエの短剣が交錯する度に、星々が夜空を駆け抜けるように燐光が瞬く。


 そして時折、彗星の如く闇を突き抜ける光がツキクサに迫る。


「くッ!」


 その光が、ツキクサをなにより苦境に追い込んでいる障害であった。


 第三試練のように、会場が光に照らされていたのならば、苦戦することはなかっただろう。遠距離攻撃は死角から意表を突けるため有効なのであって、見えてしまえば、ほぼ例外なく直線の軌道を描いて迫るものだと相場が決まっているため脅威にならない。


 しかし、大部分が闇に包み込まれたこの場においては、遠距離攻撃がなによりの脅威となる。


 常に目の届く範囲に注意を払っているからなんとか防げているものの、少しでも気を抜けば、凶器はツキクサに致命傷を負わせることだろう。これまで放たれた暗器の軌道の先には、決まってツキクサの急所があった。正確無比な投擲から推察するに、投げ手にはしっかりとツキクサが見えているのだろう。〈エボルブ〉で視覚を強化している、といったところか。


「どうしたんですかおにーさん。〈エボルブ〉が封じられてしまえばこの程度なんですか?」


 遠距離攻撃で集中力を散らし、近距離戦でジリ貧に追い込んで決定打を見舞う。


 モモエの戦略はそんなところだろう。


「そういう君は、〈エボルブ〉でやりたい放題だな。身体能力を向上し、自身を複製して片方は近接戦に、もう片方は遠距離戦に徹する。短剣に塗布されてる毒薬の致死量も倍増されているのだろう」


 万物を倍増する。

 それは即ち、自身をコピーすることも可能にするのだ。


「当然じゃないですか。私は〈国政補佐官〉で、おにーさんは〈特別国政補佐官〉。同じ〈国政補佐官〉という括りにあれども、その差は歴然です。現に今も、地の利を得て、おにーさんの〈エボルブ〉を封じて、それでようやく拮抗しているわけですから」


 斬舞はやまない。ツキクサは被弾を防ぐので手一杯だ。


「私ほどおにーさんの天敵はいないと思うんです。おにーさんの『視認した相手の〈エボルブ〉を無効化し、かつ自身に付与する』という常軌を逸した〈エボルブ〉。しかしそれは、一対象にしか発動しないと、〈輔弼連合〉の資料で明らかになっています」


 それは極秘事項だ。それをモモエが知っているということは、この一件には〈輔弼連合〉も一枚噛んでいると見て間違いないだろう。


 モモエは、べガルアスにツキクサの抹殺を依頼されたのか。

 あるいは、〈輔弼連合〉に抹殺を依頼されたのか。

 無碍にはできない問題だ。


「分離している私に、おにーさんの〈エボルブ〉は通じません。しかし厄介なのは、おにーさんの第二の〈エボルブ〉である『万夏』でしたが、天が私に味方したのか、ちょうどいい人質がいました」


 レンとカリナのことを言っているのだろう。


 ふたりは『万夏』が守っているので、ツキクサが気に掛ける必要はない。『万夏』がいれば、今頃モモエとの戦いに決着がついているのだろうが、ないものねだりしても仕方ない。


「となれば、私の勝利は約束されたようなものです。……そろそろ疲れてきたんじゃないですか? 潔く諦めてくれれば痛いようにはしませんよ?」

「まさか。この程度で音を上げる人間が〈特別国政補佐官〉になれるわけがないだろう」

「しつこいなぁ」


 強気な姿勢を取ってはみたものの、実を言えばツキクサはかなり疲弊していた。なにしろ、既にツキクサは十三人の〈エボルバー〉と剣を交えているのだ。


〈特別国政補佐官〉に最年少で任命されたツキクサと雖も人間。無敵でも不死身でもない。体力にも当然限界がある。


「……ふぅ。…………はぁ」

「実は片目もほとんど見えていないんでしょう。私、知ってますよ。おにーさんの〈エボルブ〉の代償は一時的な視力の低下。最終試練で、おにーさんはどれだけ力を使ったんですか?」

「……さぁ。覚えていないな」


 自覚できるほどに、剣筋が悪くなってきた。


 剣の重量を軽くするために鞘を外すか。

 ……いや、モモエを殺すわけにはいかない。外せない。


 ならば『万夏』をこちらに引き寄せるか。


 ……いや、レンとカリナを危険に晒すわけにはいかない。引き寄せられない。


『秘技』……は、鞘を外せないことと同様の理由で棄却する。


 一旦モモエとの近接戦闘から身を退いて、まずは遠方から投擲を仕掛けるモモエを……いや、そうしたところで結果は変わらない。

 今戦っているモモエが遠距離攻撃を仕掛け、今遠距離攻撃を仕掛けているモモエと近接戦を繰り広げることになるだけだ。


「そろそろ限界なんじゃないですか?」


 考えろ。


 なにか、モモエを殺さずして制圧する方法を――


 ――パンっと、乾いた音が轟いた。


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