第24話 友情

 がさがさと布団の擦れる音がして、ツキクサは目を覚ました。

 隣を見やれば、夜目が効いていないツキクサから見てもはっきりわかるほどに、布団が盛り上がっている。そこに誰かいることは間違いなかった。


(『万夏』が対処していないということは、知人か誰かか?)


 ツキクサに危機が迫れば、『万夏』が自動で退ける。その『万夏』が壁に寄りかかったまま微動だにしないことが、闖入者の安全性を裏打ちしている。


 もぞもぞと布団が動く。目が暗闇に慣れてきたおかげで、ツキクサはそこに誰がいるのかわかっていた。

 というのも、布団から唐紅のサイドテールが飛び出していたからで。


「なにしてるんだカリナ」

「っ」


 息を呑んだ気配がしたかと思えば、すぐさまガバっと布団が浮き上がって、カリナがご機嫌斜めな顔を向けてくる。気にせず電気をつける。


「なんで起きんだよ! 脅かそうと思ってたのに台無しじゃねぇか!」


 理不尽な言い分だった。起き抜け早々のバイタリティに富んだカリナの声は、少々刺激が強すぎる。

 入り口横に浮かび上がる時刻を確認すれば、「01:13」を示していた。


「……」


 道理で眠気と疲労が抜けきっていないわけだ。早朝というより深夜の時間帯だった。

 頭の後ろで手を組み、カリナは興が削がれたと言わんばかりの膨れっ面をする。


「異性が夜這いしてきたっつーのに、顔色ひとつ変えねぇんだもんなぁツキクサは」

「兄の矜持だ。俺はキノカの幸せを見届けるまで、色恋沙汰には一切首を突っ込まない」

「へ?」


 ぱちぱちとカリナが瞬きを繰り返す。


「……」


 つい素で本音を吐露してしまった。〈特別国政補佐官〉になってから、はじめて人前で失態を演じた気がする。


 こほんとわざとらしく咳払いし、落ち着いて話題を切り出す。


「それでこんな夜中になにしにきたんだ?」

「キノカ……まぁ、誰にだって秘密のひとつやふたつあるよな。ツキクサだって人間だし」


 うんうん頷くと、カリナはあぐらをかいて腕を組み、ツキクサの質問に応じる。


「えっと……あっ、どうしたらツキクサみてぇに強くなれるのか教えてもらいたくてきたんだ」

「なるほど」


 それは建前で真の目的が別にあることは明け透けだが、眠気覚ましも兼ねて少しだけカリナの苦肉の策に溺れることにしよう。


「カリナはどうして強くなりたいんだ」

「強くなりてぇから、強くなりてぇんだ」


 無茶苦茶な理屈だった。


「……話は変わるが、カリナは第一試練で何人倒したんだ」

「……三人」


 急に暗いトーンになったのは、そのときの光景が脳裏に浮上したからだろう。


 少し驚いた。カリナは一度も武器を振るったことがないと思っていた。


「それは正当防衛のような形で?」

「まぁ、そうとも言えるな。襲われてるヤツを救うことを正当防衛っつてもいいのなら」


 この返事は予想通りだった。暴力に頼らざるを得ない状況に陥らない限り、カリナの戦斧が真価を発揮することはないのだろう。


 カリナは優れた〈エボルブ〉も宿している。本腰を入れて戦闘訓練をすれば、かなりの実力者となれる可能性を秘めている。が、彼女の優しい心根がそうなることを許さないのだろう。


 宝の持ち腐れだと非難するつもりはない。ツキクサは、カリナには今のカリナのままでいてほしいと思っている。


 善良。

 その性向は、今となっては絶滅寸前の稀有なるものだ。


「……あのさツキクサ」


 そっぽを向いて、ぶっきらぼうにカリナは言った。


「なんだ」

「その、さ……明日、本気でレンと戦うつもりなのか?」


 視線が向けられる。

 眉根を寄せて悲しげな顔をしていた。どこまでも優しい子だと思った。


「そうせざるを得ない状況になったならね」


 正直な気持ちを口にすると、カリナは項垂れるように俯いた。


「……こんなの間違ってる」


 小さなつぶやきだった。

「〈祝祭〉を勝ち取れるのがひとりである以上、競り合うのは仕方ねぇことだ。けどさ、だからって死んじまうのは違うだろ。ここにいるヤツらはみんな〈エボルバー〉なんだろ? せっかく選ばれたんだからさ、その力は誰かのために使うべきだろ。……傷つけるために使うのは、おかしいじゃねぇか」

「カリナ……」


 声を震わせながら主張し、持ち上げられた瞳は、儚く揺らぐ水溜まりに覆われていた。


「今日死んでいったヤツらはさぁ、そこまでして叶えたい願いがあったのかなぁ。命を賭してまでほしいものあったのかなぁ。……だとしても、オレには理解できないよ。生きてるだけで充分幸せなことじゃねぇか」

「そうだな」


〈祝福の日〉に多くの人が死んだ。今生きている人は、生きているだけで幸運だと言える。


「ごめんなツキクサ。オレ、なんとかレンを説得しようと試みたんだけどさ。その、オレって馬鹿だからさ、うまく説得できなかったんだよ」


 両目から滴り落ちる涙を拭いながら、申し訳なさそうに言ってくる。


「仕方ないよ。レンの願いは、〈祝祭〉に頼らないと叶えられないものだからさ」


 それはツキクサも同じだった。だから〈特別国政補佐官〉になった。


「……いやだ。ふたりに戦ってほしくないよぉ」


 第三試練で死を身近に意識したことが響いているのか、カリナは非常にナイーブな状態になっている。しかし、自分の死ではなく友人の死を危惧して涙するところがなんともカリナらしく、その純朴たる想いがひしひしと伝わってくるものだから、ツキクサまで胸が苦しくなってしまう。


 そっと抱擁して、ツキクサは自身に課している制約を声にする。


「大丈夫。僕は誰も殺さない。レンは死なないし、カリナも死なないよ」


 何人も〈地下〉送りにはしてきたが、一度として命を奪ったことはない。試練中に『水鳴』の剣身が閃いたことは、一度としてなかった。


「わかってるよ、ツキクサは誰も殺さない。気絶させるだけに留めるって。でもさ、レンはそうするとは限らないし、周囲のヤツらもそうするとは限らねぇだろ?」

「問題ない。何人相手だろうが、僕が負けることは万にひとつもありえない」


 ただの〈エボルバー〉に負けては、〈特別国政補佐官〉の名折れだ。


「はは、ツキクサが言うと妙な説得力があるな」

「あたりまえだろ。俺は誰にも負けねぇよ」

「なんかキャラ変わってねぇか?」

「気のせいだろ」


 カリナの直向きな想いが、素のツキクサを呼び起こしただけだ。


「村の復興だったよな。カリナがしたいのは」

「ん、そうだけどそれがどうした?」

「悪いが〈祝祭〉だけは誰にも譲れないんだ。だから約束するよ。この先カリナが困ったら、俺は迷わずお前に手を貸す。とりあえずはそれで手を打ってくれないか?」

「……ほんと、いいヤツだなお前は」


 背中に回された腕に力が込められた。


「なら、涙が止まるまで胸を借してくれ」

「お安い御用だ」


 少しでも早く涙が止まるようにカリナの頭を撫でていると、入り口の扉が開いた。


「ツキ、起きて…………」


 レンだった。こちらを見て絶句している。


「え、お前らいつの間にそんな関係になって――」


 ばちんと乾いた音が響いた。『万夏』がレンの頭頂部を叩いた音だった。


「いってねぇな! 否定するにしろ、もうちょい優しくしようとかいう心意気はねぇのかッ!」


 ふんすふんすと鼻息を荒くするレン。

『万夏』が勝手に動いただけなので、ツキクサに責任は……などと思っていると、『万夏』はふわふわツキクサの元に近づいてきて、カリナの後頭部でくるっと回転。すぐに乾いた音が耳を突いた。


「いっつ~……おいツキクサやんのかてめぇゴラッ! ぶっ殺すぞッ!」


 涙目で胸倉を掴み上げてくる。この涙はさっきまでのセンチメンタルの余韻ではなく、痛みで自然と浮かんだものだろう。


「ついさっきまで殺し合わないでって涙目で懇願してたのに……」

「るせぇ!」


 大層ご立腹のようだった。


「おいッ! 突っ立ってねぇで手貸せレン! 袋叩きにするぞ!」

「だな。こいつはお灸を据える必要がありそうだ」

「ふたりともさっきまで喧嘩してたんじゃ……」


 痛覚ほど人間の意識をささくれ立てるものはない。ふたり揃って強襲してくる。そんな暴走気味なふたりを撃退しようと『万夏』も輪に交わり、おかげでふたりの怒りの熱は、冷めるどこか増していく一方だ。この件に関しては、全面的に『万夏』に非がある気がした。


「それでレンはなにしにきたんだ?」


 一悶着が去ったところで、遅れながらにレンに問いかけた。


 三人はベッドに大の字になっていた。衣服は乱れて、身体から汗が噴き出して。寝る前なのに……などと不満がありつつも、ツキクサはそれほど悪い気分ではなかった。むしろ清々しい気分だった。胸のわだかまりは、綺麗さっぱりなくなっていた。


「優先順位を取り変えた。俺も明日は、リナといっしょにツキを守る方向で行こうと思う」

「おおっ! レンッ! お前ってばいいヤツだったんだなッ!」


 身体を起こすなり、カリナは興奮のままにレンの胸に飛び込んだ。


「ぐふぅ!」


 苦悶の声とベッドが軋んだ音が重なり、その音色をすぐさまカリナの笑い声が上書きする。


「よかったよかった! オレたちは三人でひとつだもんな!」

「お前がそんなに強く仲間意識を持ってたことが俺には一番の衝撃だよ」


 ふぅとため息をつき、柔和なまなざしをツキクサに向けてくる。


「まぁリナの説得が功を奏したってのもあるにはあるんだが、ふと思ったんだ。仮に友だちを犠牲にしてサユを生き返らせたとして、そん時にサユが喜ぶのかって。考える間でもねぇ。アイツは喜ばねぇだろうな。誰も殺さないでってサユに頼まれたあの日を除いて、俺はその言いつけを律儀に守ってきたワケだからな。それをサユは喜んでた」


 だからさ、と身体を起こし、レンは懐から二丁の拳銃を取り出す。黒光りする拳銃は知っているが、真っ白な拳銃ははじめて目にするものだ。


「俺は友だちを守る。サユに誇れる俺であるために」

「後悔しないか」

「するわけねぇだろ。てめぇが決めたことなんだからさ」


 シニカルに口の端を持ち上げる仕草は、ここ数日で見慣れたものだ。


「……まったく、自分の願いを捨ててまで僕を守ろうだなんてふたりは人が良すぎるよ」

「友だちなんだから当然だろ」

「あっ、それオレが言おうと思ってたのに。過去に戻って取り消してこい」

「んなことできるんなら、永遠に過去に留まってサユとイチャついてるよ俺は」

「さっきから言ってるその、サユ? って誰のことだよ。レンの恋人かなんかか?」

「嫁だが?」

「嫁!?」「お前、十八で結婚してんのかよッ!」


 ぎょっと目を見開き、レンは身体を仰け反った。


「……びっくりしたぁ。ツキでも驚くことあるんだな」

「そりゃあ僕も人間だからね。それにしても、まさか結婚していたとは……」

「婚姻したのは十歳の頃だけどな」

「十歳!?」「オレがお漏らししてた頃じゃねぇかッ!」


 それから小一時間ほど雑談に花を咲かせると、レンとカリナは睡魔に屈して眠ってしまった。自身の部屋に戻ることなく、ツキクサのベッドの上で……。


「ありがとうふたりとも」


 寝息を立てるふたりに毛布を掛けて、ツキクサはふたりに頭頂部を向けるような形で横たわった。歪な体勢だが、これも一興かなと思いそっと目を閉じる。

 すぐに安らかな眠りに落ちた。


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