第22話 万夏

 ――開始から二分が過ぎようとしていた。


「はぁはぁ……あぁッ!」

「どうした。百発満中の異名はこの程度か」


 会場の誰もが息を呑んでいた。


「ウオオォォォ!」

「そんな単調な攻撃では、いつまでも僕を捉えることはできないよ」


 三対一。火を見るよりも明らかな多勢に無勢。


「弓矢も同じ。ワンパターンだ。〈エボルブ〉に頼りすぎなんじゃないか」


 ――ツキクサが優位に立っていた。


 槍を受け流し、鉄パイプを受け止め、弓矢を弾き返し。

 ただの一度も被弾していない。すべての攻撃を見切ったように防いでいる。


「ふぅふぅ……ハアァ!」


 ラルクスの攻撃の手はまるで緩められる気配がない。乱舞の如く刺突される槍は、常に一定の鋭さを保っている。言い換えれば、一瞬として手抜かりがない精密な突きと言える。


 そんな彼に備わる〈エボルブ〉は圧縮だ。


 故に彼の槍は百発百中を可能とする。自身と相手との間に満ちる空気を圧迫、あるいは弛緩すれば、常に自分にとってベストな距離感で槍を突くことができる。

 しかし、空気圧の変化になど並大抵の人間には気づくことができない。戦闘に没頭している間は、彼我の距離が近づこうが遠のこうが気づかないものだ。


「ん」


 鞘で刺突の嵐を凌いでいると、目にも止まらぬ速さで弓矢が迫りくる。が、認知された時点で弓矢は凶器としての効力を失う。

 身体を軽く捻ってかわ――そうと思ったが、背後にレンとカリナがいるので、やむなくもう一本の刀を引っ張り出して弓矢を叩き落とす。


「こいつを使うつもりはなかったんだがな」


 想定以上に相手陣営の連携が強固なため、ツキクサひとりで三人の相手をしてかつ、後ろにいるレンとカリナを守るのはやや厳しい。


「……悪い。弓矢はまかせていいか」


 失って出し惜しみを後悔するのは御免だ。できれば最後まで頼りたくなかったが、の力を借りることにする。


 ツキクサの問いかけに呼応し、かたかたと刀が揺れ動く。すると刀はツキクサの手を離れて宙に浮かび、まるで守護するようにツキクサの周囲を旋回しはじめた。


「な、なんだよそれ」


 と、驚愕の声を上げる鉄パイプの男は、平衡感覚を一時狂わせる〈エボルブ〉を宿している。

 男の戦闘技術こそ突出したものはないが、この力はわかっていても対処のしようがない厄介なものである。だから、最初に倒すのはこの男だとはじめから目途をつけていた。


「『万夏ばんか』、ラルクスの相手はまかせた」


 一見すれば『水鳴』と変わらない姿形をしたツキクサのもうひとつの愛剣――『万夏』。しかし『万夏』は性能面では『水鳴』と大きく異なり、そのひとつは独立行動を可能とすることにある。その戦闘力はツキクサに比肩するほどである。

 また『万夏』にはのだが、この戦いでその力が解放されることは恐らくないだろう。


「おいおい、俺はコイツと戯れてろってか」


 ツキクサの胸元めがけて槍が突き出される。

 が、『万夏』が側面から衝突したために軌道が大きく揺らぎ、槍は遠心力のままにしばし中空を彷徨った。


 ラルクスの顔に喜色が浮かぶ。


「どうやらただの玩具じゃねぇみてぇだな」


 ラルクスの興味が『万夏』に向いた隙に身を翻し、やや離れた場所からせせこましい妨害を繰り返してくる鉄パイプの男の元に疾駆する。


「ひっ……、く、くるなぁ!」


 ひとりであるために防戦一方となっていたが、ふたりとなった今なら、簡単に場を制圧することができる。


 男の間合いに入る直前、牽制するように矢が飛んできた。


 防ぎ、弾き、叩き落とす。


 正確無比な三連射だが、脅威にはならない。死角を突くことのできないこの場において、弓矢でイニシアティブを取ることは不可能と言ってもいい。もっとも彼女が狡獪で、はじめからレンとカリナに狙いを絞っていたのなら話は変わっていたが。


 素材補強の〈エボルブ〉を宿す少女は、決まって弦の質を上げていた。

 そのために、高速で矢を射ることや三本の矢を同時に放つことが可能になっていた。どちらも月並みの弓にはできない芸当だ。


「悪いがここで退場してもらうよ」


 遠目に少女を見やる。無数の弓矢を弦に番えて今にも放とうとしている。


 ――右目の視界が霞んだ。


 瞬間、少女が突然慌てふためく。弦が負荷に耐えきれずに切れたようだ。


 これで彼女は敗北したも同然だろう。弓幹や弓矢を補強し近接戦にシフトすることもできるが、即座にそう判断できるほどの機転が少女に備わっているとは思えない。


 ――まずはひとり。


「降参することを勧めるがどうする」


 振り返り、鉄パイプの男に鞘を突きつける。


「……わかった。お前さんの言うことに従えばいいんだな?」


 鉄パイプを捨てて、男はいやにすんなり投降の意を示した。


「そうか。……無駄な抵抗したらわかってるよな?」

「んなことしねぇよ」


 言った直後だった。


 地面が溶け落ちたような感覚を覚えた。足がふらつき、体勢が崩れる。


「なんてな。お前さん、ちょいと人が良すぎるんじゃないか?」


 男の顔には醜悪な笑みが張りついていた。

 表情から推測するに、男は虚を突いたと思っているのだろうが、ツキクサはこの男がこの状況で〈エボルブ〉を使わないはずがないと確信していたので、まるで焦燥は生じなかった。


「忠告はしたからな」


 ――右目の視界の霞みが強まった。


 地面が平素の盤石さを取り戻した。ツキクサは体勢を整える。もう妙な感覚はない。

 一方の男は、鉄パイプを振りかぶったまま、地面に吸い寄せられるように転倒した。


「は? なんで俺が転んで――」

「嘘はよくないって、子どもの頃に学ばなかったか」


 振りかぶった鞘で、首筋に力強い一撃を見舞う。男は筋骨隆々で首が太かったため、意識を奪うためには手荒い一撃を加える必要があった。


「かッ……」


 白目を剥いて、男は卒倒した。

 ――これでふたり。


「あとひとり」


 ぼそりとつぶやき、ツキクサは硬質な音色の奏でられる方角に首を巡らす。


「ちっ、なんだよコイツ……ッ」


『万夏』が優位に立っていることは明白だった。


 劣勢から脱しようとラルクスが突きを放つがそれは空を切るばかり、木の葉のように不規則な動きで宙を彷徨う鞘のついた剣を掠めることさえも叶わない。

 隙をついてはカウンターに転じる『万夏』だが、ぺちんぺちんと、腹部にも頭部にも腑抜けた反撃をするばかりで、ついぞ決定打となることはない。

 嘲弄するかのような『万夏』の動きにラルクスは業を煮やし、ますます洗練された突きを放つ。

 が、やはり『万夏』を捉えることはできずに、同じような展開が繰り返される。


「ありがとう。僕の意を汲んでくれて」


 会場の誰もが釘付けになっていた。


「あのラルクスが手も足も出ないのか?」「あんなの反則じゃねぇか」「マジで一対三で勝っちまうよアイツ……」「よかったぁ、相手があの人じゃなくて」


 誰もがツキクサの実力を認知した。

 畏怖している。戦いたくないと思っている。


 ――狙い通りの展開だ。


 ツキクサは地面を蹴り上げ、猛然とラルクスに迫る。

 ツキクサの接近を感知したラルクスだが、感知したところで、『万夏』に防戦を強いられる状況が一転することはない。


 ラルクスの懐に身を忍ばせ、ツキクサは冷然と微笑んで言った。


「悪いな、二回も気絶させることになってしまって」


 もっとも、ラルクスは第一試練でツキクサに気絶させられたことを覚えていないようだが。


 ――右目に映る世界が半分閉ざされた。


 驚愕に歯を噛み締めながらも、ラルクスはツキクサに一矢報いようとする。さすがは名を轟かせる衛兵と言ったところか。その勇敢な姿勢に、ツキクサは心の中で敬意を示した。


 ラルクスが槍を刺突する――が、それはツキクサの銀髪をそよと揺らすことしかできない。

 側頭部に鞘をぶつける。前傾姿勢になっていたラルクスは、そのまま地面に倒れ込んだ。


「どうする。君ひとりで戦うかい」


 背後まで迫っていた弓使いの少女に問いかける。弓矢を握りしめていた少女だが、ふるふるとかぶりを振って弓矢を投げ捨てる。


「わたしたちの負けです」

「うん。それでいい」


 緊張を解いて頬を和らげる。

 ツキクサだって、できることなら誰とも戦いたくないのだ。


「――試合終了です」


 運営のアナウンスが入り、ツキクサチームの勝利が確定した。


 信じられないとばかりにあんぐりと口を開く観客に、ツキクサは剣を突きつける。意識的に冷徹な表情を作り、傲慢さの滲む声色を選んで言った。


「誰が相手だろうが、僕は容赦しない。〈祝祭〉を求める以上、明日の最終試練で僕と戦うことは避けられない。命が惜しいなら、第三試練終了後に辞退することを勧めるよ」


 しんと、会場が静まり返る。野次を飛ばす人はいない。誰もがツキクサの実力を認めたからだろう。


『万夏』が懐に収まる。労いの意を込めて柄をそっと撫でて、後方で待つ仲間の元に足を運ぶ。


「悪い。少し時間をかけすぎたかな」


 レンとカリナは揃って苦笑する。


「俺、お前とだけは絶対戦いたくねぇわ」

「オレたちはお荷物でしかねぇから、待ち惚け喰らったってわけだな……まぁ、こんなパフォーマンスされちゃあ納得せざるを得ないんだけどさ」

「それは違うよカリナ。ふたりを大切に思っているから、待機するよう命じただけだよ」


 身体が発光に包み込まれる。転移の時が近いようだ。


「じゃあ、また後で」


 そう自発的に声をかけたのは、はじめてのことかもしれない。


 ふたりとの関係をここで終わらせたくないと思う自分がいた。今回はいつにも増して、刹那の友人に肩入れしてしまっている。


 今回の試練にしてみてもそうだ。三人で戦いに挑めば、間違いなくもっと楽に試練を終えることができた。そう理解していたが、ふたりが傷つかない選択を優先した。 

 迷いはなかった。それが当然の選択だと、内側にいるもうひとりのツキクサが主張していた。


「おう。すぐ探し出すぜ」

「目開けて昨日と同じ部屋にいりゃあ、探す手間が省けていいんだけどなぁ」


 カリナの嘆きに、レンが悪戯な微笑を返す。


「なんだかんだ、俺らのこと仲間だと思ってくれてんだな」

「は? なに今更なこと言ってんだよ。オレたちはとっくに友だちだろ?」


 沈黙が満ちた。


「……え? オレ、なんか変なこと言ったかな?」


 なにもおかしなことは言っていない。ただ、カリナがあまりに自然な流れで口にしたものだから。純粋な彼女が、さらっとツキクサとレンは『友だち』だと口にしたから。


 カリナにとってはなんでもないその言葉は、ツキクサとレンにしてみれば特別なものだった。

 狼狽するカリナになにも声をかけられないまま、転移の瞬間が訪れる。


「……ふたりとは戦いたくないな」


 白が視界を埋め尽くす中で転げ出たその声は、いやに情感を含んでいた。


 こうして、ツキクサは第三試練を終えた。

 六人全員が生きたまま試合を終えたのは、先にも後にも第七戦だけだった。

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