第16話 郷愁

「俺は暗殺一族の元で生まれたんだ。両親ともども生粋の暗殺者でさ、今思えば情みたいなモンは一切注がれなかったよ」


 レンは現在十八歳。となれば、〈祝福の日〉が訪れる以前からそのような組織が跋扈していたということになる。

 幼いツキクサが平穏な日々を過ごしていて気付かなかっただけで、非現実はいつも隣に佇んでいたのだろう。

 事実殺人や誘拐は、あの頃から絶えず頻発していたと記憶している。公になっていないだけで、あの頃から暗殺者やスパイは存在していたのだろう。


「物心がつくと、暗殺術と心理学を叩きこまれた。ガキってのは第一印象で警戒されることがない分、使い勝手がいいんだ。あの頃は数多のお偉サマの目を欺いて命を奪ったもんさ」


 寂寥と後悔の滲んだ声色に感じられた。


「そんなある日、そいつは突然現れた」


 声色が一転して明るいものになった。横顔には微笑が携えられていた。


「とある高貴な家に住まう少女の暗殺任務が俺に下された。しかし俺は任務に失敗し、挙句に捕縛されちまったんだ。捕縛された時点で、俺の人生は終わったようなもんだった。捕まったら舌を噛んで自害しろ。二度と帰ってくるな。そうきつく両親に言われていたからな。少なくとも俺は、その瞬間に帰る場所を失った」


 酷な世界だ。子供は失敗から学び成長するのがセオリーだというのに。


「目を覚ますと、ベッドの上にいた。ふかふかでお日様の香りのするベッドだった。太陽に包み込まれるみたいな心地よさに、思わず恍惚とした。と、そんなとき隣から声がしたんだ。『やっと起きた』って。振り返ると女の子がいた。ハーフアップの金色の髪が、窓から差し込んだ光にキラキラ水面みてぇに輝いてた。……と、ここでツキにひとつ問題だ。その子は――」

「その子がレンの暗殺対象だったんだな」


 ついさっき、レンに下されたのは少女の暗殺任務だと言っていた。


「その通り。聞き上手だな」


 微笑んでレンは続ける。


「その子はサユリハっていう、俺より二つ下の女の子だった。リナみたく悪を知らない潔白な子でさ、出逢ってまもない俺に畳みかけるように話しかけてくるんだ。『あなた名前は?』『どこからきたの?』『なにが好きなの?』『その傷、痛くない?』なぁんて目を輝かせながらさ」


 言って、右手を持ち上げる。

 レンの手首には、四六時中、空色のスカーフが巻かれていた。


「これはそん時にサユにもらったモンだ。俺の手首には訓練中にヘマこいて枝木で裂いちまった古傷があってさ、『痛いの痛いのとんでけ~』ってサユが巻いてくれたんだ。古傷だから治るはずもないのにさ……なににも耐えがたい宝ものだよ、このスカーフは」


 哀愁漂う微笑みを見て、ツキクサはこの話の行き着く先が予測できてしまった。


 そして予感する。

 レンは、ツキクサと同じ理由で〈祝祭〉を欲しているのではないだろうか。


「サユのおかげで、俺は屋敷の人間に殺されずに済んだ。『サユのお友だちにひどいことしたら許さないんだからねっ!』って、俺を冷たい目で見る大人を威嚇してた。……ほんと、非力な癖して威勢だけは立派なヤツだったなぁ」


 またも寂しげな微笑み。


「そんなこんなで、気づけば俺は当然のようにサユの屋敷で暮らしていた。使用人こそ反発的だったが、サユの両親は端から俺を快く受け入れてくれていた。『大変だったね』って、俺の境遇を憂えるんだ。俺が自分の娘の命を狙っていたと知りながらも、まるで悪意を向けてこない。当時の俺にしてみりゃ、サユやサユの両親は異界の住人だったよ。あまりに優しすぎた」


 そんな善意に満ちた両親がいたからこそ、サユリハも清く優しい女の子に育ったのだろう。


「人間ってヤツは不思議なもんでさ、置かれる環境次第で性格ががらりと変わっちまう。俺はサユの両親になにか恩返しがしたいと申し出た。もらってばかりで申し訳ないって思ったんだ。すると両親は『サユを守ってほしい』と答えた。『危なっかしいあの子を隣で支えてくれないか』って。断る理由もない。俺はまかせてくださいと答えた。両親は嬉しそうに微笑んでいたよ」


 暗殺者であったレンが優しさを知って改心し、サユリハを護衛する日々を過ごす内に両者の間に恋心のようなものが芽生えはじめ、やがてふたりは結ばれて幸せな日常に浸かる。


 御伽噺にでもなりそうな、あたたかく幸福に満ちた話だった。


「その一週間後、〈祝福の日〉が訪れた。サユの両親は命を落とし、サユは持病を患った」


 そんな未来を、レンも望んでいたに違いない。


「髪が水浅葱色に染まり、のちに俺は自分が〈エボルバー〉になったんだと知った。〈エボルブ〉は、俺がサユを守るために神様が授けたモンだと思った。サユの屋敷に金銀財宝が眠ってるってのは、街の誰もが知ってることだった。混乱に乗じて、夥しい人の群れが屋敷に押し寄せた。俺は殺した。何人も殺した。その度にサユは涙を流した。『やめて。殺さないで』って」


 無茶な話だ。死を覚悟した両者が対峙した時点で、どちらが息絶えるのが必定だというのに。


「つっても、殺さなきゃ殺されるのはこっちだ。俺は構わず殺しつづけた。殺して殺して殺して殺して……その夜、はじめてサユと大喧嘩した。一言も口を利いてくれなかった。翌日、俺はサユを連れて人里から離れた山に足を運んだ。そこには、サユの屋敷を襲撃するにあたって逗留した小屋があった。ここで暮らそうと提案すると、サユは喜んで抱きついてきた。『レンがいるなら、サユはどこにいても幸せだよ』なんて嬉しいこと言ってさ」


 ふぅと息を吐き出し、柔らかな微笑みを湛える。


「そんなサユは、先日事切れた。ありとあらゆる処置を施したが、サユの持病が完治することはなかった。……十年近く、ふたりで暮らしたなぁ。楽しかったなぁ。……楽しかったなぁ」


 しみじみとレンはつぶやいた。


「……」


 ツキクサの胸は不規則な鼓動を打っていた。

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