第15話 静かな夜に

 広々とした一室のほかには浴室と寝室しかなく、入浴以外の時間は他愛の無いことを話して過ごした。

 話せば話すほどに、ふたりの人柄の良さが身に染みた。ふたりには幸せでいてほしいと思った。最後まで残ってほしくないと思った。自分の手で脱落させたくないと思った。


 もっとも、いざその状況になればそんな甘さは消え失せてしまうのだろうが。


「なぁツキ」


 すぅすぅと奏でられるカリナの小動物めいた寝息に紛れて、レンの小さな声が聞こえた。


 寝室にベッドがひとつしかなかったので、ツキクサとレンは、床に布団を敷いて隣り合って眠っていた。はじめから寝具が二セット用意されていた様子を見るに、運営はこの展開が妥当だと目途をつけていたのだろう。

 なぜ一人分のベッドしかないのか。いささか疑問が残る。


 端からふたりは、カリナにベッドを譲るつもりでいた。レンは紳士的な男だった。もっとも、譲るまもなくカリナがベッドを独占して寝ついてしまったが。


「なんだ」


 背を向けたまま返事をする。


「おっ、起きてた起きてた。ちょいと話に付き合ってくんねぇか」

「構わないよ」

「お前って、冷めた顔してる割にいいヤツだよな」


 どうだろう。いいヤツかどうかは、人により定義が割れると思う。


「お前さんは、どうしてリナを救おうと思ったんだ?」


 第二試練のことを言っているのだろう。


「僕がカリナを救ったという証拠はないだろう。それにミラルカは言っていた。腕が急に重たくなった、と。腕が重たくなる。言い換えれば、腕の質量が倍増したとも言える。それはカリナが自白していた〈エボルブ〉の特徴と合致する。カリナが自身の手で逆転劇を描いたと考えるのが妥当ではないかな」


 レンは聡明だ。ツキクサがどんな詭弁を弄したところで、最終的にはミラルカに鉄槌を下したのはツキクサだという結論に至るだろう。

 その結論に至るのは必然だと思えるほどに、ツキクサはレンを明敏犀利な人物だと見込んでいる。この際に、その智慧を計ってみようと思った。


「それはありえないな。あの状況で逆転の一手が思い描けるほど、リナは機転が利かない。あの子は直情径行、冷静沈着ってヤツとは真逆の性質を兼ね備えている子だ。まぁすべてが本質を偽る演技だってんなら話は別だが、その可能性は皆無に等しいだろうな」

「そう言い切れる根拠は?」

「育った環境と、自分と他人を信じて疑わない眩しい瞳。俺やツキと違って、あの子は普通の女の子だ。正直、俺はリナにはこの先の試練に進んでほしくないよ」


 その意見にはツキクサも同意だった。

 この先は命の奪い合いになる。口調こそ荒々しいが、カリナの心は穢れのない少女のそれだ。まず間違いなく、彼女に人を殺めることはできない。


「とまぁ、そんな普通の女の子がミラルカみてぇな異常者を欺くのは普通に考えりゃ無理だ。絶対にボロが出る。しかしツキなら可能だ」

「自分と同じ瞳をしているからとでも言いたいのか」

「そんなところだ」


 上機嫌に弾んだ声色だった。


「ツキの〈エボルブ〉が略奪とかコピーとかその辺のモンだったのなら、あの逆転劇は充分可能だ。……いや、そいつぁもはや逆転劇とは呼べねぇ代物だな。シナリオ道理。予定調和だ」


 それにさ、とレンは続ける。


「ツキは終始、あまりに落ちつきすぎていたんだ。口数を最低限に減らし、まるでミラルカに服従するような言動を繰り返していた。一時は俺やリナを冷たくあしらう素振りを見せて、ミラルカの歓喜を煽った。が、ミラルカが異常事態に戸惑っているときに、ツキはまるでそうなるのが当然であるように平然を貫いていた。妙だろ。傍から見れば姫様を守る騎士様みたく忠実だったヤツが、いざ姫様が危機的状況に瀕しても顔色ひとつ変えないんだぜ? 同情どころか、動揺すらもしない。ツキが達観してるってのは最初からわかりきってたことだが、にしても度がすぎた。……なぁツキ、すべてお前さんの思惑通りだったんじゃねぇのか?」


 大した洞察力だ。


 あの瞬間、レンも少なからず動揺していた。にも拘わらず、ツキクサの所作を詳らかに観察している。恐らくは、カリナとミラルカにまで注意は行き届いているのだろう。


 はて、彼は何者だろうか。

 彼の才知は、〈国政補佐官〉に匹敵すると言ってもいい。ツキクサと同じように、〈輔弼連合〉からスカウトされていてもおかしくない逸材だ。


「そうだよ。ミラルカを脱落に追いやったのは僕だ」

「おっ、いやにすんなり認めんだな。てっきり黙殺されると思ってたんだが」

「沈黙は肯定と同義だよ。……ただ、カリナは間接的に救われたにすぎない。ミラルカを脱落させることが、僕のなにより成し遂げたいことだった」

「なるほど。……だとしても、救ったことには変わりねぇな」


 柔らかな声だった。


「ツキは悪を裁き、正義を重んじた。違うか?」

「……その言い方は偽善染みていてあまり好きではないが、まぁ間違ってはいないかな」

「ははっ、お前さんは根っからの善人みてぇだな。ついでに思ったよりもずっと子供だ。なにか気張んなきゃいけねぇ理由があるのかしんねぇけどさ、俺には素で接してくれて構わねぇよ」

「……」


 本当に何者だろうかこの男は。


「と言ったところで、裸の心を晒しはじめるヤツなんざぁほとんどいねぇんだけどな。……と、実はここまでが導入部でこっからが本題なんだが……大丈夫か? 眠かったりしない?」

「眠いって言ったらどうするんだ」

「黙って寝るよ。悶々としてなかなか入眠できずに明日の目覚めは最悪だろうけど」

「それは困るな」


 第三試練は恐らくチーム戦だ。そしてメンバーは、レンとカリナであると見て間違いない。

 である以上、レンに不調でいられては困る。本調子の彼が味方でいるのは心強いことだ。


 寝返りを打つと、レンと視線が重なった。


「やっとこっち向いた」

「……」


 黙って視線を逸らす。


「あ、今絶対コイツさてはそっちの気なんじゃ……とか思っただろそうだろ」


 当たらずも遠からずだった。

 レンは凛とした顔に無邪気な笑みを浮き上がらせる。


「ありがとな。ツキはどこか『アイツ』と似てるからさ、俺を知ってほしいって思ったんだ」

「随分と女々しいことを言うんだな」

「まぁな。弱くなったもんだよ俺も」


 天井を見上げて、レンは語りはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る