第14話 安穏
「おっ、きたきた」
瞼を開けるよりも早く、弾んだ男の声が鼓膜を揺らした。
「やけに遅かったが、負け犬にしつこく齧られでもしたか?」
半笑いするレンが眼前にいた。
視線を巡らせ、まずは状況把握に努める。
周囲の大部分を占めるのは胡桃色。かすかながら樹木の香りが漂っている。床は丸太で、頭上には梁。ウッドハウスの一室。この場所はそう呼ぶにふさわしい。
前日とは一転し、随分と古色めいた部屋だった。ここも塔内の一室だというのだから驚きだ。
「そんなところだ。それでカリナはなにをしているんだい」
「見てわかんねぇのか。鍛錬だよ鍛錬」
背中に戦斧を背負ったまま、だらだらと汗水を垂らして腕立て伏せに励んでいる。滴り落ちる汗粒が、たちまち胡桃色を黒色に変える。
「筋トレが趣味なんだとよ。田舎娘ってのはみんなこんななのかねぇ」
「そうでもねぇさ。力仕事に携わってる女ってのはオレくらいだった。食事とか裁縫とか、みんなしっかり女の子してたよ」
「力仕事に携わりたいって、リナは自発的に思ったのか?」
「そうだよ。オレの〈エボルブ〉は質量を上下できる類のものだったからさ、鍬を軽くして簡単に田を耕すことができるんだ。それだけじゃないぜ。風車の一部分だけ質量を倍増して、風がなくとも風車を回すことができる。レンが思ってるより数十倍オレはすごいヤツなんだぜ」
試練を通して信頼関係が芽生えたのか、ふたりはかなり打ち解けているように見えた。レンの嬢ちゃん呼びはリナに、カリナのてめぇ呼びはレンに。些細な呼び方の変化ではあるが、これに伴う心境の変化は大きなものだろう。
レンはやれやれとばかりに肩を竦める。
「自分から〈エボルブ〉を明かしちまってるんだが……どう思うよツキ」
それはツキクサとて例外ではないようだ。
ツキ。誰かにそう呼ばれたことはないが、悪い気はしない。
頬を和らげて問いかけに応じる。
「そういう素直なところがカリナの長所だと僕は思っているからね。まぁ少し軽率すぎるとは思うけど」
「えへへ、そっかそっかぁ~。ツキクサはレンと違っていいヤツだな~」
「お前は生涯田舎で暮らした方がいいよ」
呆れたようにレンがため息をついた直後、部屋にアナウンスが響き渡った。
「第二試練お疲れ様でした。第三試練は明日の午前九時より開始いたします。それまでは、各自割り振られた部屋で英気を養ってください。食事は部屋に用意されたタブレット端末からご注文ください。また今回は寝室が一室しか用意されていませんが、それは明日の試練に際して意図があってのものですのでご了承ください。それでは、ごゆっくりどうぞ」
アナウンスが終わるなり、早速カリナがタブレットを手に取り料理を注文していた。部屋の壁がパカっと開き、カリナが注文したであろうオムライスが、湯気を立てながら姿を見せる。
「うっひょ~! うんまそう~! いっただきま~す! ……う~ん! うまいッ!」
始終忙しい女の子だった。
ツキクサとレンは顔を見合わせて苦笑し、ソファに腰掛けて料理を注文する。ツキクサはいつも通り塩スパゲッティで、レンはフレンチトーストとコーヒー。せっかく無償で高級料理を嗜める好機だというのに、三人は揃って庶民染みた料理を選んでいた。
「スパゲッティなんていつでも食えるだろ。もっとこう、すごいの頼めばいいじゃねぇか。なんていうの、こう、貝とか海老とか入ったパエ……パエリッシュ? みたいなやつ」
「パエリアのことかな。そういうカリナだって、オムライスを頼んでいるじゃないか」
「は? オムライスは嗜好品だろ? オレ、村で食ったこと一、二回しかないぜ」
「養鶏家なんて、今の時代限られた地域にしかいないもんなぁ。バイオテクノロジーってやつぁ便利だけどさ、俺はやっぱり純正のモンが食いたいよ」
同感だとばかりに、ツキクサとカリナは頷きを返した。
「わかるぜレンの気持ち。だからオレは決めてんだ。生涯、純正食品以外食べないって」
思いを馳せるように遠い目をするが、生憎とその決意は既に叶わないものとなっている。
「カリナ、残念だけどそのオムライスに使われてる卵は科学の産物だよ。成分表に書いてある」
「……」
スプーンの動きをぴたりと止めて、沈黙不動に陥るカリナ。レンが吹き出した。
「ははっ! なぁ~にが生涯純正食品以外食べないだよ。言った側からじゃねぇか!」
「う、うるせぇなぁ! お前のフレンチトースト食ってやる!」
言うが早いか、カリナはレンのフレンチトーストを掠め取り頬張る。
「なっ……! このガキ、人の飯を横取りするたぁいい度胸じゃねぇか!」
コーヒーに浸かっていたスプーンを引っ張り出し、槍を突くが如く金色のこんもりとした山めがけてスプーンを突き出す。
「ちょ、やめろやめろっ! せっかく綺麗に食べてるのにそんなスプーンで突かれちゃあ……ああっ!? オ、オレのオムライスがスクランブルエッグみてぇな醜い姿に……」
「ははっ! いい気味だ! ……あ、黄身だけにっ!」
しんと部屋が静まり返る。
「なぁツキクサ、こいつなに言ってんの?」
「さぁ。僕にもさっぱりわからないな」
「最年長の粋な計らいを労おうっていう良心がアンタらにはないんですかね……」
レンが嘆いた直後、カタカタっと壁の隅から床が擦れる音がした。レンとカリナが肩を跳ね上げて振り返る。ふたりの視線の先には、カリナの戦斧とツキクサの二本の剣があった。
視線を戻して、ツキクサは食後のハーブティーを注文した。タブレット端末に映る顔には、やわらかな笑みが広がっていた。
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