第13話 敗者
アナウンスが終わると同時に室内に〈転移装置〉が出現し、ミラルカは椅子の背面から飛び出したワイヤーのようなものに縛り付けられて身体の自由を奪われた。
試練をクリアした三人の中でツキクサがもっとも〈転移装置〉から離れているのは幸運と言えた。おかげで怪しまれることなく、最後のひとりまで部屋に留まりつづけることができた。
「〈地下〉では人体治験が行われている」
項垂れていたミラルカの首が持ち上がり、消えかけの蝋燭の火のように弱々しい光を宿した瞳がツキクサを見据える。
「ルスティカーナはいやに科学技術が発展しているだろう? これは〈エデンの塔〉の脱落者――拘束された〈エボルバー〉の苦痛から生み出されている代物なんだ」
ミラルカは息を呑む。
「……仮に今の言葉がすべて真実だとして。なぜ君がそのようなことを知っている?」
「簡単なことさ。僕が〈特別国政補佐官〉だからだよ」
「なっ……!」
この社会に、〈国政補佐官〉を知らない人物は存在しない。
世界最高機関である〈輔弼連動〉。そこから駆り出されている〈国政補佐官〉。事実上、国で二番目の権力を持つ人物。そこまでは多くの人が知っていることだが、〈国政補佐官〉と対面できるのは国の上層部だけであるため、ツキクサが〈特別国政補佐官〉を意味する制服を着ていても、誰も彼がその役職に就いていると気づかないし気づけない。気づけるのは同業者だけだ。
「つまりだ。僕が一言、この人物を積極的に治験対象にしてほしいと頼めば、その人物には責め苦を味合わせることができる。もっとも研究者の多くは功利主義者だから、汎用性の高い〈エボルブ〉でないと僕の提案を聞き入れてくれないだろうけどね」
「……おい」
「握手の際に相手に微量な砂鉄を擦りつけ、金属でできたボタンに引き寄せる。磁場が自在に操れるなんて便利な〈エボルブ〉だよ。これなら彼らも嬉々として僕の提案を呑むはずだ」
「おいッ!」
威勢こそ立派なものだが、ミラルカの顔は恐怖一色に塗り潰されていた。
「君は僕に弱者の盾になれと言うのか?」
「理解が早くて助かる」
つまり、言いたいのはそういうことだった。
「お前はこれまで、数多の人間に苦痛を与えてきたんだ。天罰が下るのは当然のことだろう」
「……なるほど。事件を追っている君ははじめから僕の本性を見抜いていたのか」
〈国政補佐官〉の職務内容は、〈エボルバー〉による犯罪の抑止。誰もが知っている。
「〈エボルブ〉をなにかしらの方法で把握し、質量を倍増させる。君は〈エボルブ〉をふたつ宿す〈アボルバー〉なのか?」
「だったらなんだ」
ミラルカはくくっと含み笑いを漏らす。
「ならば仕方ないと思ってね。君から見れば、僕もレンもカリナも等しく弱者だ。強者には弱者を嬲る権利がある。君の優越感のためにこの身を捧げられるのなら、僕は万々歳だよ」
恍惚の笑みを浮かべていた。どうやらこの男は、相当に狂っているようだ。
「端から優越感になど興味はない。僕はただ、悪に天罰を下したいだけだ」
「天罰を下す。さも立派な言い分だよ。しかしそれは、突き詰めれば優越感を満たす行為ではないかな?」
「見方を変えればそうとも言える。万物には見方次第で何通りもの解が存在するからな」
逡巡なく冷淡に反駁する。
「与太話に付き合うのもこれくらいで充分だろう。……見くびるなよ、僕はお前の口車に乗せられて激昂したりしない」
「ちっ!」
ツキクサの激情を煽って暴力を誘致し、道連れにしようとしていたのだろう。
どこまでも狡猾な男だ。救いようがない。
「ツキクサ! この借りはいつか必ず返すからな!」
〈転移装置〉で移動する間際、感情任せに吐き出された憎悪が背中にかかる。
「構わないが、身の安全は保障しないよ」
振り返って冷ややかに言い返す。気圧されてミラルカは絶句していた。
ついでにもうひとつ、腹の底に沈めた想いを吐き出しておくことにする。
「強者だろうが弱者だろうが等しく人間だ。存在価値を見出そうが見出せなかろうが、人が人であることには変わりない。生きてるだけで、なににも代えがたい価値があるものなんだよ。……わかるか、お前に月並みの生活が送れるっていう素晴らしさが。お前のものさしで、人の価値をはかるんじゃねぇよッ!」
突如として嚇怒の形相に転じたツキクサに、ミラルカはぎょっと目を剥いた。
それが最後に見たミラルカの表情だった。
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