第12話 勝者
連日、ルスティカーナでは連続殺人が起きている。被害者は決まって臓腑が「損壊」していた。あの惨状は、「損傷」という表現よりも「損壊」という表現の方が適していた。
平たく言えば、被害者の臓腑は内側から破裂し元の形状を留めていなかった。
死後監査すると、被害者の臓腑付近の血液からは決まって多量のチタン成分が確認された。チタンとは、多く装飾品や調理器具の加工などに用いられる金属である。
月並みの日常生活を営む限り、血液から多分どころか僅かなチタン成分が確認されることすら起こりえない。
やがて被害者の唇から、微量ながらに砂鉄が採取された。このことからツキクサは、「犯人は砂鉄を呑ませたのちに犯行に及んでいる」という仮説を立てた。
はて、砂鉄を呑ませることにどのようなメリットがあるのか。
臓腑がホイッパーで攪拌された後のような惨状であるのに対し、被害者の外行きは決まって綺麗なものだった。あっても打撲痕程度で、ぱっと見、息絶えているようには見えない。ほかに刺し傷もなく、となれば犯人は凶器を用いることなく、なにしらの手段で被害者の臓腑を鷲掴みしてかき回すが如く残虐な行為に及び、命を奪ったのだと推察がつく。
常識の型に当てはめるのなら、推察というのもおこがましい夢想にすぎない。
しかし、今現在の世界には常識の枠組みから外れた異能――すなわち〈エボルブ〉が存在する。非科学的で立証できない事象でも、〈エボルバー〉なら引き起こすことができる。
犯人は磁場操作の類の〈エボルブ〉を宿す〈エボルバー〉だ。
そう結論を導いたのが二週間前のこと。
ひとり、ふたりと被害者が増えていく日々に、ツキクサは悔しさと強い怒りを覚えていた。
〈特別国政補佐官〉だからではなく、彼生来の性分がその感情を誘致していた。
――ミラルカこそが、ツキクサの追い続けている猟奇殺人犯だった。
握手の際に微量ながら砂鉄を塗り込まれて予感し、雑談に興じながら彼の〈エボルブ〉を確認すると、磁場操作の〈エボルブ〉を宿していた。予感が確信に至った瞬間だった。
「なるほど。偏っちゃあいるが、一概に間違ってると糾弾することはできねぇ思想だな」
言って、レンはボタンをタップする。――92。
ミラルカが口の端を歪め、カリナは顔に張りついた悲壮感をより濃度の高いものにした。
「やはり君は聡明だ。そういう雰囲気を漂わせている。ツキクサくんもそうだ。だから僕は、ふたりではなく無能な田舎娘を脱落させることにした。ふたりに〈祝祭〉の権利を奪われたのなら仕方ないけれど、自分より劣った相手に負けるのは嫌だからね」
「……てめぇ」
「おっと、殴りたいかい? なら殴ればいいさ。もっとも、その時点で君は試練に参加する資格を失うんだけどね。……あ、既に負けてるから関係ないか」
ふっと冷めた笑みを漏らすと、カリナは射殺さんばかりの尖った視線をミラルカにぶつけた。
「ならてめぇも道連れだ!」
「待てよ嬢ちゃん」
背中に担いだ戦斧に手をかけ身を乗り出したカリナを、レンの落ちついた声色が制する。
「なんだよ、負け犬は黙ってろとでも言いてぇのか?」
「んなこと言ってねぇだろ。……お前さんはまだ負けてねぇよ」
言って、ツキクサに視線を向けてくる。レンがなにを言いたいのかは言葉にされずともわかる。切実さに満ちた瞳に、ツキクサは頷きを返した。
そのときだった。
――ボタンをタップする音が響いた。
「は?」
レンがボタンをタップした音だった。ところが、当の本人は状況が理解できないとでも言うように、しきりに瞬きを繰り返して困惑を露わにしている。
「僕以外の三人で結託し、僕を陥れよう。君はそう考えたのだろうレン」
頬杖をつき、悠然たる面持ちでミラルカは言った。
「ひどいなぁ。一度は僕の考えに共感しながら裏切ろうなんてさ」
ミラルカが手持ち無沙汰にある片手を持ち上げると、それに連動するようにレンの片手がボタンから離れた。不自然な形で宙に留まる自身の手を眺めて、レンはぽつりと漏らす。
「……違和感はあったさ。勝利が確定していない段階で腹黒い胸の内を明かす。聡明なおめぇさんらしくない失態だとは思ったが……なるほど、俺の憶測が誤ってたってワケか」
「ご名答」
すっと、ミラルカは手を素早く振り下ろす。その動きに引っ張られるように、持ち上がっていたレンの手が、叩きつけられるようにしてボタンと衝突した。
鈍い残響――三度目のタップ。
「くそがっ!」
苦悶に顔を歪めたレンが、吐き捨てるように言った。
四人の中央部で瞬く数値は94。
敗者が確定するまでに残されたタップ数は――6。
ツキクサの番が巡ってくる。
「手荒な真似はしたくないんだ。潔く3タップしてくれないかな?」
断ったところで、彼の〈エボルブ〉で無理やりにタップさせられるのは目に見えている。意に反した行動を取り、彼の神経を逆撫でるのは愚行と言えよう。
「……」
レンを見やる。
頼んだ、とでも言いたげな神妙な顔をしていた。
カリナを見やる。
慄いた面持ちだが、かすかにツキクサに期待しているようにも見えた。
ミラルカを見やる。
望んだ通りの選択をツキクサがしてくれると信じて疑わない表情だった。
ツキクサは意識的に微笑を携えた。
「わかった。僕も痛いのは嫌いなんでね」
喜びに絶望に失意に。ツキクサに向けられる視線が、三者三様の感情を帯びた。
指示された通りに3タップする。――97。
タイムリミット寸前の爆弾さながらの状態にあるカウンター。自分が2タップし、カリナが1タップすることで第二試練は幕を閉じる。それは、ミラルカの中で既に確定している未来なのだろう。鷹揚な挙措が、彼の安堵を物語っていた。
「ふぅ、脳足らずがいてくれて助かった」
――98。
「ありがとうカリナ。弱者の君がいてくれたから、強者の僕は疲弊せずに済んだんだよ」
――99。
「よかったね。無能なりに存在意義を示せて」
にっこりと相好を崩し、尚もミラルカはカリナに毒を吐く。レンは舌打ちし、カリナの目には薄っすらと涙が滲み――そんなカリナを、ツキクサは無言で見つめていた。
「……ちくしょう。オレは……オレの夢は、こんな下種に…………」
カリナの泣き言に、高笑いを返すミラルカ。
「なんとでも言うがいいさ。君の敗北という結果は揺らがないからね」
――この瞬間を待っていた。
「落ちろ」
ボソッとつぶやいた直後、きしりと右眼が痛んだ。〈エボルブ〉の代償だ。
「え――」
ミラルカには、感情が昂ると両腕を広げる癖があった。
正面にいるレンが話し相手である場合を除き、斜向かいにいるツキクサとカリナに語りかけるときには、かなりの頻度で腕の影がボタンに――ボタンの上に腕が伸ばされる。
その場面をツキクサは何度も目にしていた。だからミラルカが勝利を確信し、もっとも悦に浸ったそのタイミングで計画を実行に移そうと雌伏していた。
「な、なんだよ、これ……」
荒ぶる感情を腹の底に沈めて、微笑を湛えながら肯定に徹して、警戒するに値しない同類に近しい存在だと思わせて――
「う、腕が急に重たく……」
――吐き気がする。こんな外道と自分が同じ括りにされるなんて。
絶望が最高潮に達するのはいつか――安堵が不安に喰い尽くされた瞬間である。
だからこの瞬間を待っていた。彼には思いつく限りで最大の制裁を下したかった。
「だはッ」
突如として「十倍の質量になった」腕を支え切れるはずもなく、ミラルカの右腕はどしんと、まるで特大サイズの文鎮が置かれたような音を立てて三度目のボタンタップをした。
カウントが100に達し、場違いに明るい爽やかなアナウンスが入った。
「第二試練終了です。ツキクサ、カリナ、レン。以上三名を、第二試練の合格者とします」
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