第6話 仄かな善意

 例に漏れず気絶した男を担いで安全地帯に運ぼうとすると、危うく男の愉悦の犠牲になろうとしていた少女が、呆然とこちらを見つめていた。


「少し待ってて」


 そう短く言い残し、男を戦地から離れた場所に横たえて白紙を破いたのちに、ツキクサは再度少女の元に足を運ぶ。

 ぺたんと脱力して座る少女の視線の高さに合わせるために片膝をつき、微笑みを浮かべてツキクサは問いかける。


「動けるかい?」

「……あ、はいっ」


 やや時間差があって威勢のいい返事をしつつも、少女が立ち上がる気配はない。

 ツキクサが手を伸ばすと、少女は稚い顔立ちに羞恥の朱を表出させた。目に見えて照れつつも、少女は小さな手のひらを絡めて、桜色のふたつ結びにされた髪を上下に揺らしながら立ち上がる。


「ありがとうございます。おかげで助かりました」


 早くも平静を取り戻したのか、少女の言動から焦燥は消え失せていた。


「礼には及ばないよ。君は偶然僕に助けられた。それだけのことだよ」

「それでも助けられたことには変わりありません。……私の白紙は徴収しないんですか?」


 ぱっと見、ウェイトレスにしか見えない少女だった。黒と白だけで構築された裾の短い衣服に、爪先から太ももまでを覆う薄地の黒タイツ。やや踵の高いパンプス。

 どれだけ穿った見方をしても、戦闘に適しているとは言えない身なりだった。四つ折りにされた白紙が胸ポケットに入っているが、本来そこにあるべきはバインダーだろうとツキクサは思った。


「選択は常に自分ですべきだからね。この先に進むも進まないも、決めるのはその人次第だ」


 しかし、ここに来た以上は誰もがなにかしら叶えたい願いを持っている。

 この第一試練を通して、これは願いを叶える権利を巡る争奪戦なのだと、誰もが理解したはずだ。チップは自らの命。そう理解した上でも、願望を手中に収めたいと思うのか否か。


 その選択に、ツキクサは一切干渉するつもりはない。辞退し〈地下〉に行こうが、進んで命を落とそうが、ツキクサの知ったことではない。責任は選択した当人に委ねられる。


「随分と他者を尊重されているんですね」

「他人に興味がない冷たい人間とも言えるけどね」

「いいえ、あなたは優しい方ですよ」


 微笑んで少女は言った。


「あなたに救われたこの命、これからも大切にさせていただきます」


 深々と頭を下げると、少女はきょろきょろと視線を四方に巡らせ、やがて部屋の中央部から壁に向かって足を進めはじめた。

 中央部が戦地。その外は停戦地帯。それは場を冷静に俯瞰すれば誰でもわかること。ツキクサが言わずと、少女も気づいたようだ。


 恐らく少女は、第一次試練終了と同時に身を引いて、〈地下〉に行くことになるのだろう。


〈地下〉は過酷な場所だが、命を落とす可能性は虚無に等しい。ツキクサとしては、この試練を耐え抜いた参加者の大多数には辞退を選択してもらいところだが、経験上そうはならないのだろう。第二試練以降も、残留した参加者としのぎを削り合うことになる。それが恒例だ。


「さて次は……」


 上空で瞬くプルシアンブルーは「04:12」の数値を刻んでいる。


〝死〟という形での脱落者をひとりでも減らすべく、ツキクサは悲鳴に耳を研ぎ澄ませる。まだまだ某所で無意味な殺戮が繰り広げられている。

 我関せずと傍観を決め込むという選択肢は、端からツキクサの中になかった。無碍にはできなかった。身体は無意識のうちに動いていた。


 ――そして、第一試練終了のアナウンスが鳴り響いた。


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