第5話 間引き

 二千人近い参加者がいる中で被害を最低限に抑えるためにはなにをすべきか。

 思考を巡らすまでもない。

 とりわけ目立つ人物を手当たり次第に蹂躙していけばいい。


「な、なんなんだよお前はッ!」


 慄然とした面持ちで、額に唐草バンダナを巻いた男が身の丈ほどある槍を突き出してくる。

 洗練された所作だ。実際に目にしたことはないが、とある地方では魔物めいた異形が蔓延っていると聞く。


「くそッ! なんで当たらねぇんだよッ!」


 独学で磨かれたとは到底思えない槍術や、鈍色の目立つブレストプレートを見るに、男はそちらの方面で活躍していると見るのが妥当だろう。


「俺のッ! 槍はッ! 百発百中なんだよォォォ!」


 順当にいけば、最終試練まで到達する可能性が充分にある腕前だった。


「なのにどうしてッ! 掠めることもままなんねぇんだよッ!」


 しかし、不幸にも男は見つかってしまった。ツキクサの目についてしまった。

 ツキクサと対峙した時点で、男は敗北を喫していた。というのも、ツキクサは対峙した相手に負けたことがなかった。


「悪いが、少し眠ってもらうよ」


 刺突をいなし、男の動きを観察することしばし。小刻みに素早く槍の穂先を動かし、力強く槍を突き出して一区切り。その際に、呼吸を整えるための隙が生まれていることに気づいた。


「舐めるなッ! 眠るのはお前だァ!」


 ツキクサの言動が癇に障ったのか、その瞬間は予想よりも早く訪れた。

 胸部めがけて力強く突き出された一撃を躱し、間髪入れずに床を蹴り上げ男の懐に潜り込む。


「なッ!?」


 瞠目する男の側頭部に、弧を描くように鞘のついたままの剣で一閃。


 パンッ! と。

 おおよそ剣戟が見舞われたとは思えない乾いた音が轟いた。


「かッ……」


 目を剥いた男を担ぎ、ツキクサは乱闘する集団から幾分か離れた場所にそっと横たえる。ぱっと見、死人だ。誰も彼が気絶しているだけとは思わないだろう。胸鎧の隙間から白色が頭を出しているが、見るだけに留めて上空を見やる。

 ――「15:21」


「折り返し地点か」


 言って、ツキクサは視線を巡らし、次のターゲットに照準を絞る。


 現時点で彼の脱落させた参加者の総数は、既に五十に達しようとしていた。

 いずれも、戦闘に長けているであろう〈エボルバー〉だった。


○○○


 雷を纏う鉄槌を振るう巨漢が遠目に見えた。一糸まとわぬ猛々しい上半身には数多の古疵が浮かび上がり、右眼は眼帯で塞がれている。

 男は愉悦の表情で殺戮に及び、絶命寸前の悲鳴を聞いては笑顔の皺を深く刻んでいる。


「悲しいものだな」


 無表情のままつぶやき、ツキクサは彼を次のターゲットに定めた。


 人間誰しも支配欲を宿している。〈エボルブ〉を持つか持たないかで簡単に上下関係が成立してしまう今の社会において、人間のその特性はより顕著なものとなった。 

 強者は驕り、弱者は怯える。そんな社会構造が、いつからかこの世界において当然のものとなっている。


 鮮血を滴らせる鉄槌を担ぎ、男は呆れたように言った。


「なぁ嬢ちゃん、アンタも〈エボルバー〉なんだろ。だったら祈ってないで闘ったらどうだ。いくら祈ったところで、神様が助けにきてくれるなんて奇蹟は起きねぇよ」


 男の眼下では、小柄な少女が膝を折り、両指を絡めて祈るようにつぶやいていた。


「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」


 祈るというより、呪詛に近しい願望の羅列だった。

 少女は変わらず、一切の抵抗の意思を示すことなく、救済を願いつづける。男は、げんなりと間延びしたため息をついた。


「生に縋る弱者を嬲るのは趣味じゃねぇんだがな」


 言って、鉄槌を頭上に大きく振りかぶる。


 男は嗤っていた。愉しげな笑みだった。嗜虐のみで構築された笑みだった。


「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」


 変わらず少女は祈りつづける。

 不意に、声が止まった。


「……誰か、たすけて」


 悲哀と諦観が色濃く滲んだ願いが、少女の口から零れ出た。


 男は哄笑した。


「はははッ! いいねぇ~! さいっこうにそそるよ嬢ちゃん! 安心しなよ。すぐに俺が神様の元に送ってやるからさァ!」


 男が少女めがけて鉄槌を勢いよく振り下ろした直後、バチバチと電気が空気中で弾ける音が響いた。鉄槌を振り下ろすだけでも充分に命を奪えるだろうに、男は〈エボルブ〉を用いてより凄惨な虐殺に及ぼうとしていた。

 よくよく見れば、落下地点も頭頂部からやや外れた場所だ。端からひと息に息の根を止めるつもりはないのだろう。


 鉄槌よりも早く、虚空を切り裂く雷撃が少女に迫る。


 ――が、それは蝋燭の火が消えるように突如として消失した。


「なッ……!?」


 続けて部屋一帯を覆い尽くすほどの轟音が響き渡る。ガンっと、鉄槌がなにかと衝突した音。


「――弱者を嬲るのは趣味じゃない、か」


 鉄槌は空中で動きを止めていた。――檜皮色の鞘が進行を妨げていた。


「お、お前、いったいどこから湧きやがったッ!?」

「なぁ嬢ちゃんのあたりから、ずっと後ろで話を聞かせてもらっていたよ」


 淡々と言って、ツキクサは静かな炎を湛えた琥珀の瞳を向ける。


「嬉々として殺戮に及びながら、よくもまぁ抜け抜けと偽善者ぶったことを言えたものだな」


 男はぶるりと、まるで水を払う子犬のように巨体を小刻みに震わせた。


 本能的に危険を察知したのだろう。男は激情に身を委ね、力任せに鉄槌をツキクサに叩きつけんとする。が、


「――は?」


 鉄槌の向かう先にツキクサの姿はなかった。つい数秒前までそこにいたというのに……。


「かっ……!」


 鉄槌が地面を揺らすと同時に、男は白目を剥いて力なく倒れた。


「偽善の皮を被った悪は、純粋悪より質が悪い。お前は今一度、自分の在り方を問うべきだ」


 かくしてツキクサが姿を見せる。


 鉄槌と自身の姿が重なった刹那、ツキクサは男の死角に潜り、男の困惑と同時に攻撃態勢を整え、鉄槌が地面を震わせたと同時にうなじに強打を見舞った。

 以上が、ツキクサが数秒の間に行ったこと――の一部分である。

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