第3話 エデンの塔

 ルスティカーナでは、月に一度〈エデンの塔〉と呼ばれる祭儀が催される。

 国の西部に鎮座する、国内のどの建造物よりも空に近しい場所にある円柱状の白い巨塔。その頂上にたどり着いた者は、〈祝祭〉を享受し如何なる願いも叶えられる。


 以上が〈エデンの塔〉の概要だ。


 三年前に創設されてから現在に至るまでに、踏破した者はいない。

 直近の二回はツキクサが妨害しているが、それ以前はどのようにして攻略を妨げていたのだろうか。ほかの〈国政補佐官〉が、今の自分のように妨害公策を働いていたのだろうか。


〈輔弼連合〉もべガルアスも自発的に打ち明けてはくれなかった。それだけで充分だった。なにかしら不都合があるのだろう。そう注意を巡らせれば、大々的な行動を取る必要はなかった。


 参加条件は〈エボルボー〉であること。

 それ以外に必要とされる条件はなく、上記一点の必須条件さえ満たしたのならば、ルスティカーナに在住していない人でも、〈エデンの塔〉に参加することができる。


 ルスティカーナは大陸南部に位置しており、一年を通じて温暖な気候、発達した交通網など様々な好条件が手伝い、比較的足の運びやすい国となっている。

 近年では科学技術の進歩が目覚ましく、隣国からは〝科学の温床地〟などと呼ばれていたりもする。


「こちらの白紙は第一試練の際に必要となりますので、開始までなくさないよう注意してください。万一紛失した場合は、お早めに我々一同にお声がけください」

「ありがとうございます」


 特別小さくも特別大きくもない到って凡庸なサイズの白紙を、タイトなスーツを着こなした運営の女性から受け取る。


 はて、この白紙をなにに使うのか。

 祭儀の総括者はべガルアスであるが、ツキクサは試練が四つあること以外の概要は知らされていない。曰く、祭儀を参加者のひとりとして楽しんでもらいたいとのこと。そんな計らいよりも、任務を楽に遂行するための事前情報が欲しかったというのが本音だ。


 白紙を丸めてポケットに突っ込み、ざっと周囲を見渡す。


(相変わらずの盛況だな)


 参加者は軽く見積もっても千人以上いる。二千人に達しているかもしれない。


 塔の前にある広場に群がる参加者は、繁華なストリートに溶け込めそうな和やかな面持ちで、会話の応酬を繰り広げている。どこからきたんですか。どんな願いを叶えたいんですか。ツキクサの元に運ばれてくる会話のほとんどがそのようなもの。

 穏やかな空気が辺り一帯に揺蕩っていた。


(そんな風に笑う余裕があるのなら、ささやかな幸せに甘んじればいいものを)


 大多数の参加者は気づいていないのだろう。〈エデンの塔〉攻略失敗が人生の終焉、あるいは自由の喪失と同義であるということに。


〈エデンの塔〉にいる間は、とある運営の〈エボルブ〉で世界に存在した痕跡を尽く消去される。故に〈エデン塔〉の真実は世に漏洩されない。誰一人として、攻略者はいないのだから。


「まもなく入場を開始します。参加者のみなさんは塔の前に集まってください」


 アナウンスが入るなり、参加者はぞろぞろと塔に足を運びはじめる。


 大多数が武具を身に纏っていない中で、ちらほらと武器なり防具なりを身に着けた人間が見受けられる。ツキクサの感覚では、十人にひとりいるかいないかといったところか。


 武具が必要だと見込んだ時点で、その参加者は優秀だ。

 元よりこの試練の攻略者はひとりだと明言されている。つまり、対立なくして〈祝祭〉の権利を勝ち取れるはずがないのだ。当然、命の奪い合いになる。会話で穏便に事が済むなんていうのは綺麗ごとでしかない。限りある幸福を前にすれば、誰しもが獣と化す。幸福に隷属する。 

 人間である以上、それは当然のことだ。


 前方からざわめきが運ばれてくる。恐らく〈転移装置〉で人が消滅したことに対する驚きだろう。毎度恒例、いつものお約束だ。

 外周に沿って歩けば気づくのだが、この塔にはおおよそ入り口と呼べる場所が存在しない。ボタンが隠されており、それを押せば隠し扉が開かれる、という仕組みがあるわけでもない。


 ――言わばこの塔は牢獄だ。


 入ったら最後、外に出るためには、塔の頂上にある〈転移装置〉を利用するしかない。


 人波が前に前に流れていき、やがてツキクサの瞳にも〈転移装置〉が見えてくる。

直径二十メートルほどの光の柱を伸ばす真円は、足を踏み入れた参加者を数瞬の間に塔の中に――引き返せない地獄に、誘っていく。

 あっという間にツキクサにお鉢が回ってきた。


「今回で最後だ。もう少しだけがんばろう」


 癖で腰に携えた剣の柄をそっと撫でて、ツキクサは立ち昇る光に身を投じた。


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