TS勇者

 蓮夜がどこからか突然現れた黒い影と睨み合いを行っている間。

 ただ一人で巨大な邪龍の前に神楽はただ一人で立っていた。


「……」


 彼女はほんの少し前までは正義感溢れるどこにでもいる平和な村に暮らすただ一人の少年であった。

 だが、今。

 そんな少年は女のものとなった体で、子供の頃は持ったこともなかった剣を構えて最強クラスの魔物と向き合っている。

 

 偽りの器。偽りの心。偽りの拠り所。

 何もかもが嘘っぱちで、何もかもが偽物の彼女は……だがしかし、悪辣なる天才の手によって作られ、嘘偽りない天まで届く才能を磨いた彼女は確かに明確な強者として邪龍の前に立っていた。


「……私もわかっている。今の現状がおかしいことくらい。一年も世界を旅をしたのだから。一年も蓮夜様以外と触れ合ったのだから……それでも、私はもう変われないと思う」


 ただ一人を拠り所をしていた彼女だが、一切の正義感を失ったわけではない。

 一年の旅の中で一度は萎んでいた正義感も再び持っている。洗脳で完全にその人の過去を消せるわけではないのだ。

 だが、それでも、悪役の手によって歪められてしまった勇者の正義感は一人の悲痛な犠牲の末に百人を超える者が助かれば良しとするような価値観は植え付けられてしまった。

 

 九条蓮夜は悪辣なる天才であり、人の心を知らぬ怪物であり、戯れに他を踏みにじる外道である。

 だが、しかと彼は領地を運営し、その悪辣なる研究結界で犠牲を大きく超える者たちを救う術を見つけている。

 どれだけ蓮夜という人間を貶そうとも、彼は確実に名君として歴史に名を残すでああろう。


「……あぁ」


 そんな者の下にいる神楽は熱い吐息を漏らす。


「お慕いしております……蓮夜様」


 彼の視線が今、自分にいないことを知る神楽は一人で世界に自分の言葉を刻みこむ。


「たとえ、世界が敵となったとしても私だけは貴方様の側にあると誓いましょう」


 マキナは世界を照らす光を灯す。

 すべての人の希望となるはずだった光を。


「邪悪な龍はここで殺します」


 そんな光を灯す神楽は再び愛する彼の視線が自分に向けられたことに至上の喜びを感じながら剣を構える。


『……人、人、か……贄、だ』


「長き時を生きるというのもつまらないものなのですね」


 どこか焦点のあっていない視線を浮かべている邪龍の瞳を真正面からに


『……否、敵』


 明確に敵意が、殺意が宿る神楽の瞳を虚ろな視線で見続ける邪龍は遅らせながらようやく敵の存在を知り、気づき、その瞳に力を宿す。


「えぇ、敵です。私こそが貴方を殺す者です」


 蓮夜様に見られていればどこにでも行ける気がする。

 そんなことを思う神楽は地を蹴り、空を駆ける。


「ははッ!」


 天を切り裂く勇者の力を持ってして。

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