記憶
紫苑がいなくなったことでただ一人となった食堂の中で。
僕がまず先に行うのは記憶の整理である。
頭痛はなくなったが、それでも別の人間……いや、それも僕だ。紛れようもない僕であり、ただ一つだ。
あぁぁぁ、別の人生を歩んでいるもう一人の僕の記憶や価値観も一気に流れ込んできているから本当にややこしい。
「……ふぅー」
二つが混ざって混乱する記憶を一つ一つ整理していく。
向こうの僕は『とらっく』とかいう鉄の塊に惹かれて死んでいる……ならば向こうのを過去としよう。向こうで生まれたときから死したとき……こっちで生まれてから今に至るまでを一連の流れとして……。
己の人生を一つの動画かのように編集していきながら己の記憶を整理していく。
「こんなもんか」
これが本当に別の人間だったら問題だったが、向こうの僕もこっちの僕も、共に僕であり、差異はない。
記憶の整理も価値観のすり合わせもすぐに終わった。
特には変わらない……向こうの人権意識はかなり高く、道徳教育も盛んに行われているが、己の根底にある残虐性。傲慢な貴族としての在り方は何ら変わっていないように思える。
まぁ、気にすることでもないか。僕は僕だ。
「すっごいな、向こう」
科学知識。
高度に発展した文明を見たことによって得られる様々な知識。それらがもたらしてくれるものが大きく、何よりも歴史が素晴らしい。
世界のあり方を、流れを俯瞰的かつ客観的にただ事実だけが述べられる向こうの歴史書はなんと良いことか。
これはこの世界で僕が生きていく中でも大きく役立ってくれるであろう。
「……ゲームねぇ」
だが、その中でも最も有能なのはこの世界に関する記憶だ。
ゲームとして、向こうの世界で生きた僕が好んでプレイしたゲームの記憶。
何故か、この世界を舞台としてゲームの記憶こそが数多の記憶の中で最も重要であろう。
その記憶の中で僕は悪役として登場し、主人公である勇者に殺されていた……あれは、先程感じた僕の、己の首を斬られる感覚はただの事実であるということだ。
これより未来で起こるただの未来。
「〜〜ッ!!!」
僕は体を震わせる。
あれが、現実だと?
「……なるものか。僕はこの世界に冠する頂点が一人だぞ?あのような下賤な、下の人間に殺されるなどあってはならぬッ!あまつさえ、あまつさえ、あまつさえ!恐怖した!?今、このとき、僕がぁ!?あのような者に!!!あぁ……!この事実でさえも不愉快だァッ!!!」
僕は己の拳を机へと叩きつけ、大理石で出来た巨大な机を完全に叩き割る。
「はぁ……はぁ……はぁ……あの、ような……者にぃ!」
僕が負けるなどありえない。
だが、僕は負けるのであろう。
記憶の中にあるあの者は明確な強者であった……才ある僕が努力したとて勝てるかどうかもわからないだろう。
このまま、座して待つことなど許されないだろう。
「……忌々しい」
僕は吐き捨てる。
「失礼します」
そのようなタイミングで食堂の扉が開かれて紫苑に率いられる一団が入ってくる。
「来たか」
僕は視線を上げ、黒装束に身を包む仮面の者たち五名へと視線を向ける。
彼らは仇が剣。
九条家に仕える裏の人間であり、どのような命令であっても何ら疑問を示さずに行動し続ける一つの歯車である。
「命令だ。中院の領にある村だ。華生村を探せ……そこを焼き討ちする。見つけたタイミングで報告しろ。僕も行く」
仇の剣は多忙であり、今動けるのはたった五名。
だが、それでも十分であろう。
「「「「「……」」」」」
僕の言葉に仇の剣の面々が無言で頷き、そのまま姿を消して何処かへと消える。
しかと任務を達成するために行動を始めたのだろう。数日も待てばしかと役目を果たすであろう。
「紫苑。ここを片付けておけ。僕は一人で部屋に戻る」
「承知致しました」
僕は紫苑へと一方的な命令を下してその隣を通り抜ける。
「……僕は現実も分からぬ愚か者ではない」
廊下を。
ゲームの背景としても出ていた廊下を一人歩く僕は独り言を漏らす。
「飲んでやろう……認めてやろう。僕は貴様に負けた。未だ見たこともない貴様に僕は負けたのだ……だが、勝負に勝つのは僕だ」
僕はたまたま市場で見つけた珍妙の品のことを思いながら、怨念の言葉を吐くのだった。
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