第11幕 ハレー、成る

 ナイフを投擲しながら、ハレーは前方に身体を倒し、跳ぶ。シェーラとの距離は、歩幅なら二十歩。刃が彼女に届くまで、一秒にも満たないだろう。

 視線をシェーラから外す直前、リンゴが彼女の変身で頭から動くのが見えた。

 集中し加速した思考が、空間をゆっくり感じさせる。


 ──この跳躍を一歩と思え。


 ハレーが行うことは単純だ。

 まずは己が持つ全てを駆使して、ナイフより先にシェーラの前にたどり着くこと。

 次に刃を受け止め、彼女の頭上のリンゴを一閃すること。


 シェーラが魅せてくれた。

 彼女を呑み込みむしばんだ瘴気さえも、力に変えられるのだと。

 ならば、出来損ないと呪ったハレー自身の力にも、使い方があるのだ。


 翼竜の演目で、彼女は黒煙を炎に変えた。

 なんとかなったと言った彼女にとって、あの一連の流れにはハレーが知らない挑戦があったのだろう。


 ハレーはイメージする。

 駆けるだけでは間に合わない。

 跳躍が一歩。血で受け継いだこの力に、本来詠唱は必要ないのだ。

 

 成らねばならない。

 銀の刃の煌めきよりも速い、青き彗星に。


「──ッ!」


 切り替わる景色を知覚するよりも早く、ハレーは一瞬前まで彼が居た方を振り返る。

 霧散しかけの黒煙が視界を遮るが、光る切先をわずかに捉え、右手を突き出した。刺さっても仕方なしと思っていたが、人差し指と中指の間でなんとか掴む。


 次いで、左手を上向きにシェーラの胸元辺りに差し出すと、すとんとリンゴが落ちてきて収まった。


 一閃……と思ったが、ハレーは思い直して皮をくるくるとリンゴを回して剥き始める。ここは余裕があるように見せるのが正解だ。彼女のためじゃなく、固唾をのんで見守った皆のために。


「無茶しすぎだ……」

「ふふ、やはり出来たじゃないか」


 小声で鋭くシェーラ見ずに愚痴を投げるハレーに、彼女は悪びれることなく笑う。

 十歩程度の出来損ないと思っていた力は、イメージで引き出せる余力があったということか。

 ひとまず、シェーラの期待には応えられたようだ。


 ハレーは観客の反応を待つ。

 皆はさっきまで彼が立っていた場所と、シェーラの居る場所で起きていることを見比べた。


「なんと! 投げたナイフにも追いつくだなんて、そんなにもリンゴの皮を剥きたかったのだな」


 観客の反応をシェーラが驚いて見せ、明るいリアクションに誘導する。

 しかし残念。皆から発せられたのは、歓声ではなくだった。


「最後に苦い勉強にはなった、か?」

「……そうだな、やり過ぎたのは分かった。少し冒険が過ぎたようだ! 子どもたちも怖がらせてすまなかった!」


 戸惑いの方が勝った観客に、シェーラはバツの悪い顔で謝罪した。

 まぁ、本業ではないからよくやれた方だとハレーは労いつつ、リンゴを心待ちにしていた犬たちに切り分けて与えた。


 豪快に尻尾を振る様に、今回一番喜んだ観客はこの子たちだなと、ハレーは更に苦笑する。


「最後までご覧いただき感謝する。わたくしの仲間たちが、もっと素晴らしい時間を皆に提供することを約束しよう! 公演の日程が決まったら報せを出すから、是非またお立ち寄りいただきたい!」


 大成功とは言えなかったが、ハレーが締めの口上を述べた後に贈られた拍手は、広場を包む大きなものになった。


 そして片付けが終わり、土産をたくさん手にした二人が帰ると、騒動を知っていたビエラにこっ酷く怒られたのだった。





 あの広場での講演から、ひと月程度経とうとしていた。

 始めは名前が覚えられる気がしないと弱気だったシェーラも、今では顔と名前だけじゃなく、好物や趣味なども憶えたようだ。


「演目と繋げていったら、なんとかなったな」


 そう得意気に話すシェーラは、このひと月で振る舞いが年相応になったように思える。

 黒の王ミカエルと兄妹のような間柄だったらしい。

 アズール、クレタ、ミカエルの三人は同い年だから、ハレーにとっても妹ができたような気分になる。

 しかし、それを口に出すとシェーラは不機嫌になるから気をつけないといけない。


 今日はあの水ゼリーの露店に、シェーラの本名を告げに来ていた。


 あの日、安全対策もほどほどに独断専行をしたことをビエラに説教された後は、今後シェーラを観に来る客も居るはずだからと、彼女は一座の稽古に参加していた。

 まだ団体演技は出来ないが、団員のオフのタイミングでスポットで翼竜の演舞を披露しており、派手さもあって好評を得ている。


 そういう事情もあり、二人で休日らしい休日を過ごすのは久しぶりだ。

 もっとも、ハレーは勅命なき今はずっと休暇中なのだが……。


「意外と早かったな」


 と、店主の反応は身構えていたシェーラが拍子抜けするほど簡単なものだったが、約束通り別なものを出してくれた。


 一つは、油なんかないのになぜか湯気をのぼらせた、出来たての揚げ芋。

 もう一つは、黒く輝く宝石がついたブレスレットだった。

 シェーラは芋を怪訝な表情で受け取ったが、口にした瞬間パッと感嘆に変わる。


「この芋、ビエラが作ったものと同じ味だ」

「そりゃあ、わしが教えたからな。嬢ちゃんの腕輪は、力の流れを補助するものだ。いつまでもそんな似合わん物騒な得物えものをぶら下げてるもんじゃない」


 店主が上着で隠れた腰元を指す。

 シェーラは驚愕に目を見開き、ブレスレットを着けることを躊躇ためらう。


「何者なのだ、この店主は……」

「まぁ悪人ではないさ、心配しなくていい。親父殿、感謝する」

「また来いハリネズミ」

「その呼び方はもう勘弁してくれ」

「私も嬢ちゃんは御免だ」

「はいはい、ワシより大人になったらな」


 それから広場を離れ、街を二人で散策した。

 ゆっくりとした時間が流れ、中には声をかけてくる人もいた。


 仲が良いね。兄妹のようだね。

 その評価に、シェーラはねたように俯く。


「ハレーは、ガッカリしたか?」

「何がだ?」


 彼女の言葉に、意味を聞き返さなければいけないほど、ハレーは鈍くない。

 けれど、今はまだそれで良い。


「本当の私が、お前にとってまだ子どもで」

「どうだろうな。ただわたくしが言えるのは、シェーラの瞳はわたくしが美しいと思った、あの輝きのままだということくらいだ」

「そうか……」

「あの姿、母親を模していたのか?」

「ああ、そうだ」

「綺麗な方だったのだな……わたくしも憶えておく。だから、キミはキミのままでいい」


 喜んでいるのか、思い出して寂しがっているのか。そのどちらもだろう、彼女の瞳の光が揺れる。

 少し赤らむ頬に、本当に年相応になったとハレーは微笑んだ。


 彼女はこれからたくさんの物事を見て、たくさんの人に出会うだろう。

 失った時間を取り戻し成長する中で、自分に縛られて欲しくない。

 ハレーはそう考えていた。


 彼女が自分と見つける幸せが、兄妹ならばそれでもいい。

 家族ならば絆は消えないのだから。

 けれど、彼女が成長してまた向き合うのなら……。

 そう思う度に自嘲し、揺らがぬよう思考に蓋をする。


 だがハレーはすぐに思い違いに気づかされる。

 彼はいつだって、の人間だ。





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