第10幕 二人、興ずる
きっとシェーラの本来の姿は、この少女の姿なのだろう。
大人の姿だった時の儚げな印象はなく、ふっ切れたのか凛と強くしなやかな姿勢で彼女は立つ。
驚きはしたが、いまはその動揺で観客を冷めさせてはいけない。ハレーは強く息を吐き、自身を鼓舞する。
幸か不幸か、我が王のお陰で驚かされるのは慣れている。
「驚いていただけただろうか? 麗しきシェーラ嬢の妙技、とくとご覧にいれよう!」
ハレーは指笛を鳴らす。
天を貫く高音をしばらく響かせると、三匹の小さな翼竜が降り立った。
竜とはいっても、黄色の王スファレが召喚したような巨竜ではなく、鷹くらいの大きさの、人々が飼いならして狩りや伝書に利用する竜。
鱗ではなく柔らかな毛が生えている。青の国では馴染みのある生き物だ。
「いい子だ」
ハレーは三匹に優しく声をかける。
現れたのは、一座で飼っている翼竜たちだった。
「シェーラ嬢の特技は鮮やかな変身ももちろんだが、本来は獣使いだ。まずはご覧あれ!」
「よく来てくれた! ゆくぞ、お前たち!」
ハレーの
広場の上空を観客が見上げる中、翼竜は歌いながら優雅に旋回する。
「彼らは美しいだけじゃない。小さくも
まるで男役だ。
ハスキーな声音、竜たちを扇動する立ち振る舞いは、幼くなった外見に反して力強い。
シェーラは実のところ、この翼竜たちと会うのは初めてだ。打ち合わせで近場の動物を問われて、ハレーが答えたのがこの翼竜たち。
動じる様子などなく、むしろ彼女は楽しそうに見える。
銃のように形作った指から、黒煙が放たれ、空中でいくつもの輪となった。
しかしハレーはもう驚かない。彼女は自身の呪いさえも認め、本当の自分を思い出したのだから。
「燃えろ!」
黒煙が火の輪となる。
観客がどよめき、驚嘆の声が上がる。
「竜よ、皆を守る風となれ!」
ピュイとシェーラの指示に応え、翼竜は三匹連なり高速で回転しながら火の輪を
一匹目で炎は勢いを増し、二匹目で引きちぎられ、三匹目で消し飛ばす。最後にシェーラが、黒煙に戻った瘴気をコントロールして霧散させた。
「なんとか……なったか」
舞台に降り立つ翼竜を迎えながら、シェーラは呟く。聞こえたのはハレーだけだろう。
隣に並び、彼女の手をとる。
「見事だ」
彼女に聞こえるように囁く。
そして腕を持ち上げシェーラの演技を讃えると、会場は万雷の拍手と歓声に包まれた。
さぁ、まだ演目は始まったばかりだ。
◇
「盛大な拍手ありがとう! だが、ここにはわたくしたち一座を知る方も居ることだろう。きっと内心ではこう思っているに違いない……」
大仰な仕草で、ハレーは声高に進行する。視線を集めたと感じた瞬間、ふっと力を抜き、頭を抱え、胸を押さえ、悩まし気に演ずる。
「あの竜たちは一座のペットじゃないか、操れて当たり前だと」
そのとおり! と、乗せられたお調子者が一人でも居たなら儲けもの。
ハレーは更に頷く。
「そうだろうそうだろう。だから、今回は……そこの、立派な犬をお連れの淑女たち」
露店の側で立ち見していた三人の犬を連れた女性。ハレーは片手を上げ、呼びかける。
「その子らにご協力いただきたい」
ハレーがそう言うなり、シェーラは舞台から大きく跳躍する。瘴気を翼のように広げ、女性たちの前に降りた。
女性陣は黄色い悲鳴だが、突然のことに犬は警戒を示し吠える。
「大丈夫だ、危ないことなど何もない。お前たちの力を借りたい」
シェーラは呼びかけながら黒い瞳の力を使い、犬たちを操った。
吠えていた三匹は、尻尾を振り彼女に鼻先を擦りつけた後、整列して舞台へと向かう。
それから三匹の犬がしたことは、一座のパフォーマンスに比べたら難しいことはなかった。
リズムに合わせ揃って動き、借りたボールに乗り、箱を飛び越えさせる。
前列には子どもも多く、興奮した様子に大人たちは破顔し、終始なごやかなムードが流れた。
子どもの素直な反応は、大人を取り込む効果がある。シェーラの特技が仕込みではないということを、この流れでほとんどの観客が信じてくれただろう。
「ハレー! さっき貰ったリンゴとナイフを!」
シェーラから明るい呼びかけが届いた。もしかしたら彼女の瞳は、元々こうして生き物と心を通わせるためにあったのかもしれない。
打ち合わせにない言葉と、彼女自身気づいていないかも知れない笑顔に、舞台を忘れて会話したくなるが、ハレーはぐっと堪える。
「ナイフ? シェーラ嬢はまだ何か披露して、わたくしたちを魅了してくれるのかい?」
「何を言っている? 手伝ってくれたこの子たちに礼をしたいんだ! ハレーが皮を剥いてくれるのか? ああそうだ、飼い主よ構わないか?」
シェーラは舞台そっちのけ……ではない。声を張り、観客を意識した発言をしている。ハレーの返答に大げさに肩をすくめ、笑いを誘い、飼い主にも対応する。飼い主の女性は大きく丸を腕で作って了承した。
「しかしそうだな。せっかくハレーが提案してくれたのだ。進行だけなんてもったいない。私の相棒にもナイフ投げを披露いただこう!」
「なんだって?!」
さすがに取り繕えずにハレーが声を上げると、拍手と笑いが混じり大きく広がる。
そのどれもがハレーのパフォーマンスに好意的な反応を示していた。
舞台から犬を前列の子どもの隣に待機するよう指示し、シェーラはハレーから少し離れて対峙する。
半ば呆気にとられながら、ハレーはリンゴを投げ渡す。彼女は片手でキャッチし、リンゴを突き出しこう叫んだ。
「ここに立つ
……身に覚えがない。
苦笑いを隠すこともできず、ハレーは諦めてため息混じりに肩を竦める。道化を演じていたつもりが、本当に道化にされたと言えば良いのか。
しかし彼女が向けてくる視線は、観客と同じ……それ以上の期待が籠められていた。
「ハレー! 十歩だ!」
勢いに気圧され、言われるがままに距離をとる。
簡易な舞台の、約半分。
「あと十歩!」
さらに離れる。
舞台の端と端。
力も技も何もかも半端な自分に、彼女は何を期待しているのか。先日の森の戦いにおいても、自分は戦いを回避しただけ。彼女はおろか、誰とも何とも戦ったわけではない。
ハレーは彼女の遠く離れた瞳に、真意を探す。
「ハレー! いいぞ! そこが十歩だ!」
「十歩……? まさか、キミは本気か?」
この距離でシェーラへ呟くように問いかけたところで、聞こえるわけがない。これはハレーの自問だ。
繰り返される十歩というシェーラの言葉。その真意。
ハレー予想通りならば、それは彼には不可能なことだった。手に握るナイフを構えることが出来ず、立ちつくす。
「私は、ハレーを信じている!」
シェーラはそれだけ言い放ち、頭にリンゴを乗せて彼女は腕を組み直立した。
いつの間にか、観客も静まりかえっている。
危険を
「……まったく、わたくしの知り合う若者は無茶ばかり言う」
深呼吸。
投げたナイフが当たれば良し。ただ、シェーラが見ている景色はそこじゃないのだろう。
ならば、応えねばならない。
共に歩み、幸せを見つけると言ったのは、他ならぬハレーなのだから。彼女が望んだ景色があるなら、応えることが最低限だ。
「青き彗星、まばたきすることなくご覧あれ!」
ハレーはナイフを振りかぶる。
刹那、シェーラの身体から瘴気が吹き出し、狙っていた位置よりも高い位置に頭が移動した。
ハレーが一番見慣れていた、大人の女性の姿。
このまま投擲すれば、顔にナイフが向かうだろう。
観客からの悲鳴と驚きの声が上がる。
しかし、ハレーは笑う。
「……やると思っていた」
そう口の端が上がる。
悪戯ならば、我が王に敵う者は居ない。
ただ、それだけのことだ。
集中力が高まり、観客の声が、立ち上る瘴気が、ゆっくりと感じられた。
ハレーの思考が、行動が、加速する。
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