第2幕 ハレー、怒られる

 青の国にも他国のように城下に入る前に関所は存在するが、門番が常駐しているわけではない。

 理由は二つ。

 基本的に王族は外交で旅をし続けており、特別な尋ね人は一座を探すから。

 もう一つは、全てを受け入れるという意思表示である。

 観光でも、訳ありの移民でも、企みさえも。


「この関所をくぐった時にもし悪人でも、出る時には改心して笑えるようになっている。そんな魅力的な国がいい。この世界に行き渡る青き水のように、分け隔てない恵みと友好を」


 前回帰国した時に王が言った言葉だ。

 

「みんななら、僕よりもこの意味を大事にしてくれると信じている」


 そして、次に発せられた言葉は一座に向けられたものだった。

 ハレーと生活を共にしている面々もまた、自らの境遇を言葉に重ね、気持ちを熱くしたことを憶えている。

 きっと、ダークエルのことも受け入れてくれているはずだ。


 ……そう思っていたのだが。





「あんたは、女の子の扱いがなってない!」

「そうだハレー! 飛ばされてきたと思ったら、何を聞いても放心したままで……一体何をしたらあんな風になるんだ!」

「いや待て! 責められることなど何もして……ない……のか?」

「ないわけないだろう!」


 一座。青の国が国交のために旅する集団。

 アズール王とその直系の王族。ハレーをはじめとする調査隊、そして一座全体を支える収入源である劇団で形成されている。

 ハレーが仲間たちに合流したのは、ちょうど関所の前だった。

 城下町の先には、青の国の城が見えている。


 一座の象徴でもある巨大な拠点テントが目印となり、ハレーは青の国に着いてから難なく一座に合流することができた。

 街には入る手前を拠点にして滞在することにしたようだ。


 ハレーは現在、外に出ていた仲間に声を掛けた途端に拘束され、テントの前に正座をさせられている。

 ムーンフォレストでの事のあらましを説明し終えたにも関わらず、怒りの剣幕で腕を組む中年の男女。

 一座の最年長であるダレストと、妻のビエラだ。 


「まずはわたくしの無事を喜んでくれても良いだろうに」

「あんたが無事なんてことは分かってんだよ。あの子、こっち来てすぐに気を失っちまってね、気がついてからもずーっとぼんやりさ」

「暴れたりはしなかったのか?」

「暴れるどころか、誰が話しかけても怯えちまってるくらいだよ。ていうかあんた、暴れるかも知れないのにこっちに送ったのかい?」

「それは……」


 言葉に詰まるハレーに呆れながら、ビエラは彼にテントから離れた方を示す。

 気づかわしげに彼女が向ける視線の先に、黒髪の女性が草の上に座っていた。

 ムーンフォレストの方向を見つめる姿は、風が吹けば消えそうなくらい儚い印象をハレーに与えた。


「ダレスト、ビエラ、気苦労をかけた。……もう、話はいいだろうか?」

「……説教甲斐のないやつだね」

「ビエラ、もういい。ハレーお前、あの娘をどうするんだ?」

「自分にも分からない。だが、何とかしてあげたいと……そう思わずにはいられなかったのだ」


 ハレーは立ち上がり、ダークエルの元へ向かう。

 彼女がハレーに気づいたのは、隣に立つことで彼女の上に影がかかるほど近づいた時だった。ぼんやりと仰ぎ見る視線がハレ―の瞳をとらえた瞬間、彼女の表情は一変した。


「――ッ、貴様ぁ!」


 勢いよく立ち上がるダークエルの身体から黒い霧が噴出し、姿が歪む。

 彼女が成り得なかった、男王の姿。節ばった指、ハレ―よりも大きくがっしりとした体躯、混沌とした黒く淀んだ瞳。

 ダークエルが首に向かって伸ばした手を、腕で遮る。掴まれた腕が軋み強烈な痛みがハレーに走った。


「よくも、よくも邪魔を……」


 ブツブツと繰り返される恨みの言葉。悲壮な姿にハレ―の胸は痛むが、キッと彼女を睨み返す。


「ダークエル。ムーンフォレストは復活し、そなたの本懐は遂げられなかった。だが、わたくしはそのことについて謝罪はしない」

「貴様のせいで私は! 私の全てはもう意味を失くしたのだ!」


 彼女の握りしめる手には、人とは思えないほどの力が籠められていた。

 しかしハレーは表情に汗一つ浮かばぬよう、苦悶の呻き一つ漏らさぬよう奥歯を噛んだ。

 たとえ腕が砕かれようとここで目を逸らしてはいけない。あの戦いでも感じた既視感のような。それがいま、ハレ―の中でハッキリとしたものになりつつあった。


「私は王になれなかった! 母も、時間も、失ったものは一つ戻らないのに! 貴様が邪魔をして、戦いに死ぬこともできなかった! お前が……お前がぁぁぁ!!」


 再び噴出する黒き憎しみの力に呑み込まれつつあるダークエル。初めてクレタやハレーの前に現れた時のように、黒き瞳は濁り、姿も歪み、声も変質しようとしていた。


 理解している。彼女の物語の結末を奪ったのは自分だと。

 そして、憎しみをぶつけることしか知らない彼女の姿は、なのだと。


「そうだ、ダークエル。そなたの目指した先の結末を奪ったのは、わたくしだ」


 その事実から逃げ出すことはしない。

 向き合い、見定め進むと誓ったのだから。

 彼女を見ると、自分のことのように心が痛むのだから。

 

 まるで見てきたような気分だ。

 かつてハレーも自分の境遇を呪い、全てを恨み、復讐のために生きた。

 だが、憎しみに自らを焦がし歩む道には、何もない。

 

 ――だから。


「だから、ダークエルよ! そなたの新しい道を、幸せを探す約束を果たすため、わたくしは再び会いに来た」

「黙れ!」


 言葉が届いているのか、ハレーに判断はできない。

 男の姿の奥に、瘴気の乱れる度に本来の女性の姿が、ノイズのように覗く。

 首を激しく振る姿は、時が止まった子どもにすら見えた。


 ハレーの頬を一筋の雫が流れて落ち、すぐに黒い瘴気しょうきに消える。

 出会って間もない自分の想いが届くなんて、自惚れもいいところだ。

 重なって見えることなんて、彼女は知りはしないのだから。


 自分よりも適任だってきっと居る。


 だがハレーは、もやもやと瘴気とともに渦巻く迷いを、唇を噛みしめ、痛みで殺す。

 いまここに立つのは、自分なのだから。

 怨嗟えんさに囚われた者の行きつく先を、自分は知っているのだから。


 いま一歩、彼女に踏み込むのだ。


「自分自身を捨てないでくれ。明日を否定することなどないのだ。失ったものが大きくとも、目を向ける先に光があることを……」


 一筋だったハレーの雫は、いまは頬を流れ溢れる川になっていた。

 一滴では届かなかった想いは、とめどなく流れる熱き涙は、いつしか瘴気にかき消されることなくハレーを掴むダークエルの腕に落ちて伝い大地へと染み込んでいく。


「なぜ……そこまで」


 弱まる瘴気からダークエル本来の美しい黒き瞳が覗き揺れ、戸惑いを口にする。

 掴む力が弱まり腕から滑り落ちた手を、ハレーはそっと握った。


「そなたは、かつてのわたくしだ。だからここでなら、共に変わっていけると思えるのだろう。ダークエル、何度でも伝えよう。の幸せを探す手伝いをすると」


 ハレーは優しく語り、笑いかける。

 穏やかに吹いた風が、ダークエルを覆うもやをゆっくりと払っていった。

 やがて黒い瘴気は霧散し、本来の姿に戻ったダークエル。彼女は、しゃがみ込み涙を流した。


 ハレーは彼女の瞳を見つめ頷き、一座のテントの先に見える街を示す。

 街の先には、今は彼にとって愛すべき家族となった王たちの帰る城がある。


「ようこそ、青の国へ」


 まずはこの場所から、共に始めよう。







 

 




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