第29話 あの地平線まで見えそうな美味しさ
「んー……今思いつかないから、また今度」
「がくしっ。ならめり込んでなあった。いい?って今私にそう言ってくださいよ。ああ後が怖い」
そんなしょうもない勝負も終わって、寝る準備に取り掛かる。この部屋にはベッドが一つとそのまま寝れてしまいそうなふかふかなマットとタオルケットがある。俺はマットの上で寝ようと大の字に広がっていると、圭さんがベッドの上からひょこっと顔をこちらに出してなにかもの言いたそうな目を向けてくる。
「こっちきて。風邪ひいちゃうよ」
「大丈夫ですよ。今はもう夏みたいなもんですし、ここ体痛くないんで」
「いいから」
圭さんは俺の手首あたりをもってベッドの方に引っ張ってくる。そこまで痛くないけれど、このまま断っていると寝られなさそうなので、仕方なく圭さんと一緒に布団の中に入る。
「あったかいね」
「むしろ暑苦しいのでは?圭さんに寝汗つけちゃいますよ」
「大丈夫。今夜は涼しいから」
確かにベッドに落ち着いていると、窓から入ってくる風がちょうど心地いい。布団がないとぎりぎり体を冷やしそうな風が吹いている。
「明日もゆっくりしていく?」
圭さんが俺を抱きかかえるように手を背中に回しながら聞いてくる。
「ええ、まあ。迷惑じゃなければ予定もないんで」
俺はそのまま為すすべなくすっぽりと圭さんの胸にうずまる。圭さんって感じのいい匂いが気分を落ち着かせてくれる。男子ならイチコロだな。
「おやすみ。遥」
「おやすみなさい。圭さん」
――5月2日(日) 晴れ――
「んにゃむ……んぇ」
目が覚めると、視界は暗いが、端からはほの明るい光が差し込んでいる。おそらく今はまだ圭さんの胸ドアップ。起きようとしても、なかなか手がほどけない。それでもなんとかして抜けようとしていると、足を絡められて余計動けなくなってしまう。
ピコピコン
圭さんの目覚まし時計だろうか。怖いらしい音を立てて懸命に起こそうとしている。頑張れ目覚まし時計。君に俺の自由がかかっている――――
ドギャァァァンバリバリィイーンドヴォヴォヴォッヴォオオグォオオオ!!!!
「いぎゃーーーーー!!!」
「……あ、遥。おはよう」
カチっと目覚ましを止める音とともに、圭さんのおはようが聞こえた気がする。すぐそばで鳴った激烈に鼓膜に有害な音量のヘビメタサウンドの余韻というかそれが原因の耳鳴りのせいか、若干音が聞きづらい。というかかなり聞こえない。
「な、なんなんですかぁこれぇ……」
「わたしの目覚まし時計」
「毎日こんな音量浴びてるんですか?耳壊れますよ」
「え?……別に、なんともないけど」
「どれだけ続けたらこんなに鍛えられるんだ」
だんだんと聞き取れるようになり、圭さんの絡みついた手足もほどかれ、自由になった俺はまず顔を洗ってみみがどうにもなってないか一応鏡で確認する。一方で圭さんはささっと顔を洗って朝食の準備にとりかかる。慣れた手つきで卵を割って、パンを二枚、スライスチーズを上に敷いたところにマヨネーズをかけてトースターの中に入れる。
「圭さん名に作ってるんですか?」
「天空の城のパン」
「なにそれかっこいい」
卵を黄身が固くならないように慎重に火加減を調節しつつフライパンで焼いていく。それに並行してもう一つフライパンでウインナーを炒める。じゅうじゅうと美味しそうな匂いと音が鳴る隣で、ちょうど白身もほどほどに固まりつつトロトロが維持されているところで火を止めて、見計らったかのようにチンと鳴ったトースターからパンを取り出す。そこにはトロトロに溶けたチーズにマヨネーズがいい感じに広がったパンが。
「ここが一番大事」
圭さんはパンの真ん中をスプーンの腹で少し抑えてくぼみを作る。そこにすぐさま卵を乗せる。
「できた。天空の城パン」
「お見事!」
俺は二枚のパンをお皿に乗せて食卓に運ぶ。圭さんは冷蔵庫からサラダと、先ほど焼いたウインナーをお皿に盛りつけて食卓に運んでくる。昨日の晩から思っていたけれど、圭さんはとても料理がお上手だ。まじで料理屋さん開けるんじゃないかって言うくらい美味しい。
「食べよ。遥」
「はい!もう早く食べたくて仕方ないです!」
天空の城パンなるものは、俺は初めて食す。圭さん曰く、食べ方がとても大事とのこと。
「この卵は、先に潰しておいたほうが、噛んでるときにこぼさずに済む」
「なるほど……うわぁ!」
卵の黄身がとろっとほぐれ、パンが光り輝く。この皿は天下をとれる。まさにそんな神々しさだ。おもわずそれを一口。刹那、口の中に幸せが広がる。チーズの濃厚さに後ろからマヨネーズが援護し、卵が絶妙な調和をもたらす。神業。この一言に限る。これがかの天空の城のパン……
「映画見た時から、作ってみたくて」
「これ食べた後ならなんでも40秒でできちゃいそうです」
「ふふ。よかった」
ウインナーも絶妙な焼き具合で、パンがサラダともウインナーとも合うから、これなら朝からでも何枚でも食べれちゃいそう。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」
お腹も満たされたことだし、歯を磨いてまたゆっくりだらだら圭さんと過ごそうとしていた時のことである。
ピコン、とスマホに通知が一件。あ、姉ちゃんからだ。
『助けて!!』
「圭さん。残念ながらゆっくりできそうにもありません」
「……そう。用事できた?」
「すみません。どうも姉が今ピンチらしくて……」
「わかった。じゃ、またね」
「はい。急でごめんなさい。じゃあまた!」
はあ、面倒な仕事が増えてしまった。
「俺も嫌いなんだよなぁ……ゴキブリ」
例の如く虫嫌いな姉の部屋のゴキブリを退治するために、俺は気だるくも向かうのだった。
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昨日お風呂入ってたら天井からめっちゃでかい蜘蛛が降ってきました。恨みます。
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