空を飛ぶ夢 ダイダロスと浮田幸吉

千葉和彦

第1話

○ 岡山城下

     T『岡山城下』

     T『天明5年(1785)夏』


○ 旭川(夕)

     河原で岡山藩士たちや町人たちが夕涼みをしている。

     酒宴を開いている商人の姿もある。


○ 京橋に至る道(夕)

     薦を掛けた《物体》を乗せた大八車が、旭川に架かる京橋に差し掛か

る。

     大八車を曳いていく浮田幸吉(表具職人・数え29歳)。

     《物体》を後ろから支えている弟の弥作(数え27歳)。

弥作「なあ、兄ちゃん」

幸吉「何だい」

弥作「本気でやる気かい」

幸吉「(笑う)何を今さら」

弥作「……」

幸吉「逃げてもいいんだぜ」

弥作「(ゴクリ)兄ちゃんが飛ぶところまでは見届ける」

幸吉「その先は?」

弥作「逃げる」

幸吉「アハハハハ」


○ 河原(夕)

     商人の宴席には芸者衆が侍り、幇間が踊りを披露している。


○ 京橋べり(夕)

     幸吉と弥作は、大八車の菰をはねのける。

     出てきたのは、簡易グライダーである。

     (以下、《翼》と呼ぶ)。

     主翼と尾翼は竹枠に布と和紙を貼り、竜骨から枡形の木枠が下がってい

     る。

     運搬中は左翼と右翼は降り畳んでいたが、広げてみると全幅16尺強。

     幸吉が枡形に入って、前方二つの木枠(ぶら下がり用&操縦用)を掴む。

     ハンググライダーに似た構造になっている。

弥作「兄ちゃん、行けるか?」

幸吉「ああ、行く」

     前方、人けのない京橋に、風の音(上昇気流)

     幸吉、深呼吸して、一気に駆けだす。

幸吉「うおおおおおお」

     橋を駆け抜ける幸吉。次第にスピードが増していく。

弥作「行けえ、行けえ!」

     《翼》が上昇気流を孕む。

     幸吉の体に揚力が係る。

幸吉「おれは、おれは!」

     幸吉、橋板を蹴って、宙に踊る!

幸吉「!」

     橋板からの高度3尺程だが、《翼》は水平飛行している。

     枡形から下に伸びた幸吉の両脚がバタつく。

幸吉「(感激の色)」

     ヒュッ、と横風。

     《翼》が傾き、幸吉の姿勢が崩れる。

幸吉「うわー」

  

○ 旭川(夕)

     大きく傾いた《翼》、欄干を越えて、川の上空へ流される!

     姿勢を立て直そうと、木枠を掴み、体を傾ける幸吉。

     その必死の形相。

     だが《翼》は失速して、河原に向かって落ちてゆく――


○ 京橋(夕)

     両目を手で覆う弥作。


○ 河原(夕)

     宴席の一同の驚く顔、顔、顔。

     商人、客人たち、芸者衆、幇間。

     夕空をよぎって、急接近する黒い影。

     「鳥か?」「天狗じゃ!」「妖怪っ!」

     逃げ惑ううちに、《翼》は宴席の真ん中に突っ込んでいく。


○ 地面に突っ込む幸吉

     暗転。


○ メイン・タイトル

     『空を飛ぶ夢』


○ 幸吉、ガバッと目を醒ます

     そこは、紺碧の海を見下ろす、険しい断崖の上。

     一方に、石造りの砦がある。

幸吉「え? え、え、え」

     幸吉の着衣はそのままだが、《翼》はない?

     周囲には人けもない。

幸吉「(モノローグ)ここは……まさか……」

     一方で機械音がする。

     ふりむく幸吉。

     牛頭の怪人(身長7フィート程)が、ぎこちない動きで近づいてくる?

幸吉「ぎゃああああ」

     逃げようとする幸吉。だが、石柱の破片に躓いて転んだ! 

     後ずさる幸吉。迫る牛頭の怪人。幸吉、目をつぶる。

     砦から姿を現したケーブ姿、白髪白髭の老人(60歳)が、

老人「止まれ!」

     牛頭の怪人、全身から蒸気を噴き出して静止する。

     毛皮を着込んでいるが、肌は青銅だ。

     (獣人ミノタウロスに似せて造られた機械仕掛け人形)

     体を起こした幸吉、こわごわ人形に触れてみる。

幸吉「(モノローグ)これは、からくり人形か? すると……」

     来る老人。

老人「驚かしてすまんな」

幸吉「あなたは閻魔さまではないのですな」

     *   *   *

     幸吉が閻魔大王をイメージする。

     閻魔大王は牛頭と馬頭を従えている。

     その像をテレパシーを受け取った老人は、

     三ッ頭の番犬ケルベロスを従える冥府神ハデスを思い浮かべる。

     これによって、二人の間に会話が成り立っている。

     (台詞はオール日本語)

     *   *   *

老人「(笑う)違う、違う、わしは冥府の神ではないぞ」

幸吉「(安堵)ああ、よかった」

老人「ただ、別の神々の使いではあるが……表具職人の幸吉くんだね?」

      *   *   *

     老人のイメージ――

     岡山藩の大身武士の屋敷の茶室に、書画や襖を運び入れる幸吉と弥作。  

     *   *   * 

幸吉「! あなたはいったい?」

老人「アテナイのダイダロスという。職工じゃ。クレタ島のミノス王のもとで館を作

 ったり、像を刻んだりしておった」

     *   *   *

     幸吉のイメージ――

     ミノス王とその后パシパエの前に、白馬の彫像を運びいれる壮年のダイダ 

     ロス(40歳)と息子のイカロス(16歳)。


○ 砦の内部

     入り組んだ道を行くダイダロス、幸吉、青銅ミノタウロス。

ダイダロス「だがミノス王の怒りに触れてな、この島に逃げてきたのよ」

     行く手に一棟の居館がある。


○ ダイダロス居館・表

     青銅ミノタウロスが立番している。

ダイダロスの声「(屋内から)幸吉くん、きみのことを詳しく聞かせてくれ」

 

○ 同・居室

     ソファーに対座する幸吉とダイダロス。

     幸吉、銀杯で水を干して、語りだす。

幸吉「おれは、小さい頃から、鳥に興味がありました」


○ 幸吉の回想

     寺の境内で鳩が飛ぶのを眺める幸吉少年。

      *   *   *

     青年になった幸吉が鳥もちで鳩を捕える。

     鳩の重さを秤で量る幸吉。

     自室で鳩の翼の構造を描画する幸吉。

幸吉の声「そのうち、人間の身体に合った大きな翼を作れば、人間も空を飛べるだ

 ろうと思い立ったのです」

     家の階下で、様々な翼を試作する幸吉。

     弥作も手伝って、試作機が完成する。

     海岸沿いの傾斜地を下る試作機。

     羽ばたき式だが揚力不足だ。

     スライディングしてしまう幸吉。

幸吉の声「なかなか上手くはいきませんでしたが、ついに」

     京橋上空を《翼》で飛行する幸吉。


○ ダイダロス居室

     幸吉の顔は紅潮している。

ダイダロス「(みつめて)また、やる気なのかね?」

幸吉「ああ、やりますよ。閻魔さまに捕まらない限りは何度でも!」

ダイダロス「……」

幸吉「いや、あなたはさっき、別の神々の使いだと言ってましたね。あれは……」

ダイダロス「オリンポスの十二の神々が、きみの企てを止めてこいというのだ。い

 や、きみだけではない。空を自由に飛び回りたいという、大それた考えを抱く人間

 どもには、理を説いて、あきらめさせろ、と」

幸吉「(不興)へえ、十二の神々ね。よっぽど偉いんですね」

ダイダロス「ああ」

幸吉「八百萬(やおよろず)の神々と、どっちが偉いんですかねえ?」

ダイダロス「(真面目に)八百萬の神々も、同じ考えだと思う」

幸吉「つまり、よっぽど困ると」

ダイダロス「神さまたちが困るだけじゃない。人間たちも不幸に見舞われる」

幸吉「どんなふうな不幸ですかね」

ダイダロス「見たいかね」

幸吉「見たいですね」

  幸吉、ソファーから立ち上がって、窓辺に寄る。

  表に立番している青銅ミノタウロス。

幸吉「あいつが目の前にいきなり現われる以上の驚きが、この世にあるとは思えま

 せんがねえ」

ダイダロス「(微笑)ひとつ言ってないことがあるんだが」

幸吉「何です?」

ダイダロス「この島、シチリア島は、ローマの西南にある。ローマは知っているね」

幸吉「(平静を装う)ああ、知ってますよ。切支丹の総本山があるところでしょ

 う?」

ダイダロス「そうだ。だが、今の時代、まだキリスト教はない」

幸吉「? ないって、どういうことです? 今の時代って?」

ダイダロス「ナザレのイエスが誕生してくるのは、今から1300年先の未来だ」

幸吉「え?」

ダイダロス「幸吉くんが生まれてくるのは、さらに1700年先か」

幸吉「(蒼ざめる)じゃあ、ここは、おれがいたより3000年昔ってこと!」

ダイダロス「そうだ」

     幸吉、ダイダロスに掴みかかり、首を締め上げる!

ダイダロス「うわっ」

幸吉「おれを元の世界を戻せっ! 今すぐにだっ」

ダイダロス「わ、分かった。そうしよう」

幸吉「(手を放して)ふざけんじゃねえぞ。本当に……アレ?」

     幸吉の視界が歪む。

     ダイダロスの体がガラスのように透きとおり、

     次の瞬間、数百の破片となって砕け散る。

     居室の壁も、天井も、床も砕け散る。

     足場を失い、墜落する幸吉。

幸吉「(絶叫)うわーっ」


○ 暗黒の虚空を落ちてゆく幸吉

     その顔に絶望。

     そこに《翼》が飛来し、幸吉と並行して飛ぶ。

     木枠に捕まる幸吉。

幸吉「(嘆息)」

     ばたつかせていた脚を後方の木枠に掛けて、一見安定した飛行になる。

     ただ、通過しているのは《時間の流れ》である。

     通過する時空連続体は、ぶどうの房のように連なっている。

     そして、飛行体の歴史の断片が突出して、幸吉の目の前に現れる。

      *   *   *

     中国蜀朝の熱気球。

     後ウマイヤ朝の学者がハンググライダーで飛び立つが墜落する。

     レオナルド・ダヴィンチが飛行体の原型数種をスケッチ。

     オスマン帝国の発明家がコウモリのような人工翼でボスポラス海峡を越

     える。

     ブルボン朝フランスで、熱気球の有人飛行。次いで水素気球の有人飛行。

     走馬灯のような歴史の断片。

     その中には墜落事故などの失敗も数多く挟みこまれる。

  

○ 時間の流れ

     飛ぶ幸吉の顔に共感の色。

幸吉「(モノローグ)これだ! これが、おれのやってきたことだ!」

     すると、背後から飛んできた別の飛行体が、《翼》に追いつき、並行して

     飛ぶ。

幸吉「(モノローグ)鳥? いや、大きすぎる」

     目を凝らしてみて驚く。

     大きな《羽》一双をベルトで上体に結わえて、羽ばたいているのはダイダ

     ロス(上半身は裸)だ。

     その《羽》は大小無数の鳥の羽根を亜麻糸で結びあわせ、蝋で固めたも

     の。だから配色は滅茶苦茶だ。

     幸吉の《翼》とダイダロスの《羽》が合流する。

     (二人は通常空間ではありえない飛び方をしている)

幸吉「見ましたよ」

ダイダロス「(頷き)この3000年に、おおむね、ああいうことがあった。そし

 て、きみだ」

     ダイダロス、ぶどうの房のような時空連続体の一つに寄っていく。

     旭川の河原に損壊している《翼》。そして倒れている幸吉(顔は見せな

     い)

ダイダロス「これから、きみは世間を騒がせた廉で、この地の領主からキツイ仕置を

 受けることになるだろう」

幸吉「(唾を飲みこむ)」

ダイダロス「だが……きみを一日前に戻すこともできる。その翼を折って、二度と飛

 ばないと約束すれば、きみは平穏な一生を過ごすことができるのだ」

幸吉「……」

ダイダロス「そうしたほうがいい!」

幸吉「嫌ですね」

ダイダロス「……なぜ?」

幸吉「空を自由に飛び回りたいというのは、大それた考え、と言いましたね……で

 も、あなたも、昔はあちこち飛び回っていたのでしょう?」

     ダイダロスの《羽》をじろじろ見まわす幸吉。

ダイダロス「まあ、そうだな……だが、息子を事故で亡くして考えが変わった」


○ ダイダロスのイメージ

     《羽》で飛ぶダイダロスとイカロス。

     先行して高く飛ぶイカロス。

     遅れたダイダロスが何か叫ぶが耳に入らない。

     イカロスの《羽》の蝋が溶け、《羽》は四散する。

     悲鳴をあげて墜落するイカロス。

     ダイダロスが飛んで追っていくが、救助には間に合わない。

     海に呑まれるイカロス。

ダイダロスの声「イカロスは、息子は慢心して高く飛び過ぎた。羽根を固めていた蝋

 が溶けて、海に呑まれた」


○ 時間の流れ

     ぶどうの房のような時空連続体の各々に、飛行体の事故の惨状が映しださ

     れる。気球の破裂、翼の空中分解、等々。

ダイダロス「だが、そののちも失敗は繰り返された。オリンポスの神々は、そのこと

 を憂いて、わしを遣わされたのだ」

幸吉「……」

ダイダロス「人間たちよ、地上にとどまれ、鳥の領分を犯すな、と……分かるな?」

幸吉「ちーーっとも、分かりませんな」

ダイダロス「……」

幸吉「あなた、職工だとおっしゃったじゃないですか。職工は、己の腕を磨くのが

 命です。それを止めて、鳥たちを見守っておれ、などと……どのツラさげて言うん

 です?」

ダイダロス「……」

幸吉「まだ何か隠しているんでしょう?」

ダイダロス「……」

幸吉「親兄弟や仲間の死よりツラい何か……それが人類の不幸……」

ダイダロス「(微苦笑)鋭いな……よし、ついてこい。これよりまだ未来へ行く」

幸吉「!」

ダイダロス「そこに人類の不幸のタネが転がっているのよ」

     ダイダロス、羽ばたいて、身をひるがえす。

     そして、《羽》のスピードを上げる。

     幸吉もついてゆく――

     T『未来へ』


○ 大砂丘

     T『米国ノースカロライナ州キティホーク近郊』

     T『1903年12月』

     その麓の滑走路に、複葉実験機ライトフライヤーが止まっている。

     強い向かい風に機首を向けている。

     操縦席に寝そべるオーヴィル・ライト。

     立ち会うその兄ウィルバー・ライト。

     T『ライト兄弟』

     T『実験機ライトフライヤー』

ウィルバー「大丈夫か?」

オーヴィル「ああ」



○ 時間の流れから

     離陸光景を見つめる《翼》の幸吉と、《羽》のダイダロス。

幸吉「こ、こんな風が強いときに、離陸するなんて。無茶だ」

ダイダロス「風が強いから浮かびあがれるとは思わないのか」

幸吉「それはそうですが、おれの翼なんか、バラバラになりますよ」

ダイダロス「うむ」

     五人の見物客も不安顔で見守る中、ライトフライヤー号がエンジンを始

     動している。

     そのエンジン音に仰天する幸吉。

幸吉「あ、あれは」

ダイダロス「内燃機関というらしい」

幸吉「……」

ダイダロス「理屈はわしにもよく分からないが、大層な機械じゃよ……」

     見つめる幸吉のまなざし。


○ 滑走路

     レールを滑走するライトフライヤー号。

     操縦席のオーヴィルのまなざし。

     ライトフライヤー号に追走のウィルバー。


○ 幸吉のイメージ

     京橋を駆けて追ってくる弥作。


○ 離陸するライトフライヤー号

     それを見るウィルバー。


○ 叫ぶ幸吉

     「行けー、行けー」


○ 飛行するライトフライヤー号

     すぐに着陸する。橇が地面に接地する。

     滞空時間12秒、飛行距離120フィート。

     ウィルバーと見物客が駆け寄る。

     ふりむいて笑顔を見せるオーヴィル。


○ 時間の流れ

     ライト兄弟の成功を見た感動を引きずっている幸吉に、

ダイダロス「飛行機は、これから一挙に世界じゅうに広まる」

     と、ぶどうの房のような時空連続体を指し示す。

      *   *   *

     英仏海峡横断飛行(単葉機ブレリオ。操縦士ルイ・ブレリオ)

      *   *   *

     代々木練兵場でグラーデ単葉機による動力飛行。操縦士日野熊蔵。

      *   *   *  

     第一次大戦。青島要塞上空でドイツ単葉機タウベを、日本海軍の複葉機

     モーリス・ファルマン二機が追尾し機銃で狙う。  

     だが、スピードの差で逃げられる。

      *   *   *

     頬を紅潮させて見ていた幸吉、

幸吉「えーい、逃がすんじゃない」    

      *   *   *

     第一次大戦。英陸軍機エアコーとドイツ陸軍機アルバトロス(赤い機

     体)の空中戦。激闘の末に墜落するエアコー。

      *   *   *

     満足げな幸吉に、

ダイダロス「いま勝ったのは、日本の敵方だぞ(皮肉)」

幸吉「(意識していなかった)いや……全力を尽くして戦うことができれば、負けて

 も悔いはないかと」

ダイダロス「(頷く)わしもかつては、そう思っていた。ミノス王の騎士たちのため

 に甲冑や武具をこさえたときなど特にな」

幸吉「……」

ダイダロス「だが、あれをどう見る?」

     時空連続体のひとつを指差すダイダロス。

     それを見つめる幸吉。


○ ゲルニカ市街(夕)

     上空にドイツ空軍の編隊。

     爆撃機が大型爆弾を落としている。破壊される民家。     

     T『1937年4月』  

     T『スペイン・ビスカヤ県』

     T『ゲルニカ』

     第二波。逃げ惑う市民たちに戦闘機が機銃掃射を加える。

     母親と子供たちが朱に染まって倒れる。

     第三波。爆撃機が焼夷弾を落とす。炎上する民家。


○ 時間の流れ

     ゲルニカの惨劇に向かって、

幸吉「(絶叫)やめろ!」

     その時空連続体は遠ざかっていく。

ダイダロス「これはまだ手始めだ。殺戮の時代が幕を開けたのよ」

幸吉「こういうことが、まだ続く、と?」

ダイダロス「ああ、続く。だから、オリンポスの神々は、わしを遣わしたのだ。飛行

 機のようなおもちゃを人間に与えるのは早すぎる、と。アテナイのダイダロス、お

 ぬしが先駆者として説得して参れ、と」

幸吉「え? だって、あなたのせいではないでしょう?」

ダイダロス「うむ。わしもそのときは反発したさ……だが、あちら、こちらの町を襲

 った悲劇を見せつけられると、わしのせいではないと言いきれなくなった……」

     ぶどうの房のような時空連続体が、幸吉とダイダロスの周囲を囲み、航空

     機による第二次大戦の過剰殺戮の光景を映し出す。

     イタリア軍によるエチオピアへの毒ガス散布。

     日本軍による重慶爆撃。

     米英軍によるハンブルグ空襲。

     ドイツ軍のV2ロケットによるロンドン空襲。

     米英軍によるドレスデン空襲。

     米軍による東京大空襲。

     広島での原爆炸裂。

     長崎での原爆炸裂。

幸吉「やめろ! やめてくれ!」

     《翼》から離れて、時空連続体に掴みかかろうとした幸吉、大きく弾か

     れて失神する。

     暗転。


○ 幸吉の視野

     目の前が霞んでいる。

声 「兄ちゃん! 兄ちゃん!」

     幸吉の肩を揺すっている男がいる。

     目の焦点が合うと――弥作だ。

弥作「兄ちゃん、おれが分かるか?」

幸吉「弥作……」


○ 河原(夕)

     体を起こしかける幸吉。

幸吉「あちち……(肩を押さえる)」

弥作「大丈夫か?」

幸吉「あちこち、痛めたようだ。ふしぶしが痛い」

弥作「それくらいで済んでよかったよ」

     近くに損壊している《翼》。無惨な姿をさらしている。

幸吉「……」

     夕涼みの藩士や町人たちは、幸吉兄弟をこわごわ遠巻きにしている。

     そこに町奉行所の同心三名に率いられた捕り方(二十名ほど)が駆けつ

     ける。

     六尺棒や刺股を構えた捕り手たちの前で、十手を構えている同心たち。

同心A「町奉行所の者だ! 神妙に致せ!」

同心B「表具職人・桜屋幸吉とその弟・弥作だなっ」

同心C「世間を騒がす不届き者! 神妙に縛につけ!」

     捕り手たちをまじまじと見つめた幸吉。

     やがて弥作に手伝わせて姿勢を改め、正座して手をつく。

幸吉「それがしは、おのが技量を確かめるため、あのような細工をこさえて飛んでみ

 たまででござる。ただ橋の上を飛ぶつもりが、風にあおられて、この河原に落ちて

 しまいました」

同心たち「……」

幸吉「夕涼みに来ている皆様には、元より含むところはござらぬ。しかし、わが不

 調法により驚かしてしまったのは事実」

弥作「兄ちゃん……」

幸吉「ただ、これなる弟は、それがしの書き置きを見て、慌てて駆けつけてまいっ

 たもの、それがしの企てには関わってはおりませぬ……」

弥作「……(嘘だ!)」

幸吉「それがし一人をご吟味くださいますよう、お願い申し上げます」

同心A「(察して)うむ、そなたの申し条、いかにも神妙である。町奉行所で、より

 詳しく申し述べよ!」

幸吉「はっ(と立つ)」

     捕り方は六尺棒や刺股を引っ込める。

     幸吉、おぼつかない足取りで同心たちの方へ向かう。

     その後ろ姿がストップして――

字幕「幸吉は、家財没収の上、岡山城下から所払いという追放刑に処せられた。

 弟・弥作は急度お叱りという微罪で済んだ」


○ 駿府

     駿河城の城下町である。

     T『駿府』


○ 備前屋・店先

     客に織物を勧めている手代。

字幕「幸吉は、数年後、駿府に移って、木綿商店・備前屋を開業、かなり繁昌した。

 その店を養子に譲ったのちは、備考斎(びんこうさい)を名乗って隠居したが…」


○ 同・土蔵の中

     明かり取りの小窓から陽光が射している。

     入ってくる壮年の幸吉(数え51歳)。

     改良した《翼》が完成間近である。

     作業を始めようとすると、一方の薄暗がりに、ローブ姿の老人がいる。

     23年前と同じ姿のダイダロスである。

幸吉「……(懐かしい)」

ダイダロス「久しぶりだな」

幸吉「おれを罰するつもりですか? 断っておきますが、おれはオリンポスの神々の

 言葉に従います、と約束した覚えはありませんよ!」

ダイダロス「(頷く)たしかにそうだな。だがオリンポスの神々が、自分たちの言葉

 を聞き入れなかった者を、一方的に罰するのはよくあることだ」

幸吉「……」

ダイダロス「だが……その前に聞いておきたいことがある」

幸吉「なんでしょう?」

ダイダロス「きみは、この23年、翼は一度もいじらなかった。それがいきなり、こ

 れだ……」

幸吉「はい」

ダイダロス「どういう心境の変化があったのかな?」

幸吉「養子が一人前になって、店を任せられるようになったから、ではいけません

 か?」

ダイダロス「(首をふる)だめだめ、そんな見え透いた嘘を誰が信じるものか」

幸吉「(笑う)そうでした……じゃあ、本当のことを話しましょう」

     その場に胡坐をかく幸吉。

     ダイダロスも胡坐をかく。

幸吉「実は思い当たったのですよ。世の国々が飛行機づくりに血道をあげても、いく

 さにならずにすむ方策に」

ダイダロス「? そんな方策があるのか?」

幸吉「あります。いくさがああした悲惨なものになるのは、飛行機に爆弾や機関銃が

 使われるようになったせいじゃないですか」

ダイダロス「(考えて)そうだな……」

幸吉「じゃあ、飛行機づくりを早めたら、どういうことになります? 爆弾や機関銃

 の発達より、はるかに早く、飛行機が発達を遂げ、月の世界まで行けるようになっ

 たとしたら?」

ダイダロス「……」


○ ダイダロスのイメージ

     ICBMが飛来して、地上でメガトン級水爆が炸裂する。

      *   *   *

     打ち上げられた多段式ロケットの先端が、無人探査機ボイジャーになっ

     て、外宇宙を目指す。


○ 元の土蔵

ダイダロス「(心中の葛藤)……」

幸吉「(それには気づかず)いくさが起こるのは、そのほとんどが土地争いか食糧争

 い。とりわけ、飢饉のときの食糧争いは悲惨です。ならば、先んじて所領を増やす

 ことです。飛行機ができれば、密林の奧にまで足を踏み入れて、そこに田畑を開く

 こともできるのですよ!」

ダイダロス「(声がうわずる)その新天地を巡って争いが起きたら、一体どうす

 る?」

幸吉「(一瞬詰まるが)それは、そのときのことと覚悟するしかないでしょうね」

ダイダロス「(見つめる)」

幸吉「(見つめ返して)何もしないよりは、まず一歩を踏み出すこと。そうは思いま

 せんか?」

ダイダロス「……」


○ ダイダロスのイメージ

     クレタ島の海岸に立つ壮年のダイダロスと息子のイカロス少年。

イカロス「この島から、あの暴君から逃げ出しましょうよ」

ダイダロス「しかし……」

イカロス「ためらうことはないです! ぼくも飛べるんですよ。何度も練習をしま

 したからね!」

ダイダロス「……イカロス、行くか?」

イカロス「行きましょう!」

      *   *   *

     《羽》で飛ぶダイダロスとイカロス。

     先行するイカロス。飛ぶのを楽しんでいるふう。

     イカロスの《羽》から、二、三枚の羽根が落ちる。

ダイダロス「(驚愕)い、いかん」

イカロス「(気づかずに飛ぶ)」

ダイダロス「イカロス、降りろ! 降りるんだー」

     イカロスの《羽》の蝋が溶け、《羽》は四散する。

     悲鳴をあげて墜落するイカロス。海に呑まれる。


○ 元の土蔵

幸吉「ともかく、おれはやってみます。おれの一歩が、人間の未来の礎になれば、悔

 いはないです」

ダイダロス「そうか……(笑む)」

     ダイダロスの姿が光に包まれて、消える。

幸吉「(緊張が解けて嘆息)」


○ 空

     《羽》で飛んでゆくダイダロス。

     突然、黒雲が空を覆う。

ダイダロス「(蒼ざめる)」

     落雷があり、ダイダロスの《羽》の一部が焦げた。

ダイダロス「お待ちください! ゼウスさま」

     黒雲の中から大神ゼウスの声がする。

ゼウスの声「ダイダロスよ。なぜ、あの男の行ないを見逃そうとするのだ」

ダイダロス「彼だけではありません。わたしが警告を発した者のほとんどが、飛行機

 の世界に舞い戻っております」

ゼウスの声「おまえの戒め方が悪いのだろう」

ダイダロス「違います。飛行機の恐さは、みな身に沁みております」

ゼウスの声「では、なぜだ」

ダイダロス「彼らはみな職人、技術者であるからでしょう。みな自負心が強く、飛行

 機の危険は己の才覚で乗り越えることができる、と考えております」

ゼウスの声「ふむ……」


○ 土蔵の中

     《翼》をいじっていた幸吉、陽光の翳りに「?」となる。


○ 空

     黒雲に向かって声を励ますダイダロス。

ダイダロス「わたしも職人、彼らの気持ちはよく分かります。彼らに賭けてみたいの

 です」

     間。

ゼウスの声「分かった。その職人たちの自負に免じて、猶予を与えよう」

ダイダロス「(安堵)」

ゼウスの声「だが、ダイダロス、おまえは許さん……わしの使いの役を己の料簡ひと

 つで矯めたからな」

ダイダロス「(覚悟して)はい……」


○ 土蔵の表

     出てきた幸吉、南方の洋上に掛かっている黒雲を見る。

     雷光が走る。

     黒雲は消えていく。

幸吉「……?」


○ 安倍川の河原

     T『安倍川』

     T『文化4年(1807)夏』

     《翼》を背負った幸吉が土手にいる。

     《翼》は引き綱に結わえられ、その綱を職人たちが曳く恰好になってい

     る。

     幸吉の家人たちが見守る。

     職人たちが引き綱を曳いて走り出す。

     幸吉も走る。

     気流に乗った《翼》は浮かびあがる。

     職人たちは綱を放す。

     上昇気流に乗った《翼》は宙に舞った。

     壮年の幸吉の顔が紅潮している。


○ 空

     《翼》は安部川の下流に向かう。

     仰ぐ幸吉、眩しげに目を細める。

     太陽に向かって、《翼》は飛んでいく。


                 完 

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空を飛ぶ夢 ダイダロスと浮田幸吉 千葉和彦 @habuki_tozaki

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