第9話 ─── 一方その頃、王城では。

「それでは他に、伝達事項のある者はいるか」


 ピン、と張り詰めた空気は、依然緩む気配はない。聞こえるのは、隣にいるフリードの少し大きい呼吸と、先ほどの議題の内容をまとめるために、ジェームズ父上の近衛が紙にペンを走らせる音だけだった。


「……よい。では、今回の『九つの名家』の会談は、以上を持って終了とする」


 その声と同時に、張り詰めた空気が幾分か緩んだ、ような気がした。 


 今日は『九つの名家』の各当主と、その関係者が集まる会談の日だった。終了したことにより、緊張もほぐれたのか、各々近くにいた当主仲間と話している。


「ジル、さっきのフェール家の件はどうなったんだ? 黒龍団のやつを行かせたのは把握してるんだが」


 ふと横を見ると、不安げな顔でフリードがこちらを見つめていた。鮮血のような色をした赤い瞳に似合わず、その表情は捨てられた子犬のようだった。


 ……俺の双子とは思えないほど、表情の豊かな人間だ。


「ウィスとウィルを同伴させた。あの二人なら、多少の魔物なら討伐できるだろうしな」


「そうか」


「ああ……」


「……いやいや何だよ、なんで黙るんだ」


「いや別に」


 そう、特に問題は無いはずだ。


 受けた通報によると、彼女マリー嬢が魔物の相手をしていたらしいし、魔物も第二級だったから、そんなに強敵というわけでも無い。


 だから今までの経験上、彼女が追い込まれる要素は無いはず、だ。


 無いはず、なのだが。


 (……この嫌な予感は何だ?)


「何よジル、捨てられた子犬みたいな顔して」


「フリード様も、どうかなさいましたか……?」


 ふっ、と顔を上げると、宝石のような青と黒の双眸が、こちらを捉えていた。


「……俺はそんな顔をしていたか、ルナ」


「ええ。もっと言うなら、フリードも同じような顔してたわ。双子ね、やっぱり」


「……おいジル、なんだその、まるで心外だと言いたそうな顔は」


 フリードがむっとしたような顔で俺を睨んでくるのを、リリーが穏やかに宥めた。


 ルナは俺の妻で、俺の表情変化によく気づく人間の一人だ。頭の回転が速く、頭脳明晰で、今のように基本は余裕のある人間だが、たまに揶揄うと面白い反応を見せてくれる。


 リリーはフリードの妻で、この国では珍しい黒髪黒目の容姿を持っている。普段はおっとりしていて、穏やかで照れ屋だ。普段は。


「で、何かあったの?」


「……別に。ただ、フェール家が心配なだけだ」


 俺がそう言うと、ルナは心底驚いたように、青の瞳を丸くする。


「もしかして私の旦那様は、側室にマリー様を置く気なのかしら」


「……揶揄うのはよしてくれ」


「ふふっ、冗談よ? さっきちらっと聞こたわ、魔物が侵入したんですって?」


「……でも、マリー様なら大丈夫な気もしますが……剣術は、フリード様やジル様に引けを取らないと聞いたことがあります」


「それは、確かにそうだが」


 それでも煮え切らない態度を取る俺を見て、ルナは少し考える素振りを見せた。


「……そこまで不安になる根拠は? あるの?」


「……ない」

 

「そう。……でも、そこまでジルが不安になってるのなら……もはや直感的なものじゃない? ほら、虫の知らせってやつ」

 

 その彼女の言葉に、幾分か納得がいったような気がした。


 そう思うと、何だか気にしすぎなような気がした。心配事の九割は起こらないというし、今日は少し、そういう不安になりすぎる日なのかもしれない。俺は自分を無理やり納得させた。


「でも、ジル様が不安になるのも分かります。ただでさえ最近は魔物の動きが活発になってますから」


「この前なんか、学校にも出たしなあ。……いつかここ王城に襲撃されようもんなら、溜まったもんじゃないな」


「……縁起でもないことを───」


 言うな、の言葉に重なるように、不安を煽るようなサイレンの音が響き渡った。


 そのサイレンの音に───当主たちは戸惑い、王城に住んでいる者たちは顔を青ざめさせた。


「こ、このサイレンは……」


「…………魔物です」


「え……」


 誰かの戸惑いの声に、俺はもう一度、喉から声を絞り出すようにして、応えた。


「王城に、魔物が襲撃しました」







 黒龍団によって王城の敷地内の魔物が全て討伐されたとの連絡を受けた俺は、黒龍団の訓練場に向かった。業務連絡はいつもそこで行い、今回も例に漏れず報告会をする予定だ。


 ……今回の襲撃はかなり異例の事態だった。


 というのも、そもそも、最後に王城に魔物が入ってきたのは何十年も前のことだし、その時だって、魔物の数なんてせいぜい一、二体だったと聞く。


 ところが今回は何十体も出現し、あろうことか城内にまで入ってくる始末。


 警報が鳴ったから誰も死傷者は出なかったが、少し対処が遅ければ、誰かが死んでいただろう。


 手のひらがちくりと痛む。ぱっと広げて見ると、手に力を入れすぎたのか、赤く爪痕が残っていた。


(……焦ってるんだろうな)


 自分のことなのに、まるで他人事のように思う。止まってしまった足をまた動かした。


「殿下! 緊急事態です!」


 誰かの焦ったような声が後方からした。振り向くと、黒龍団の団員がいた。


「どうした」


「使用人寮周辺に、闇の魔獣が現れたとの報告が!」


「……なに?」


 闇の魔獣。その単語を聞いて、胸がざわざわと音を立てた。


 出会ったら最後、ほぼ死を免れない魔物。


 ───かつて、俺の師範の命を奪った、あの憎き魔物……。

 

 一瞬、憎悪が心を支配しかけ───その自分自身の異変に気づき、慌てて感情を押し込めた。冷静になれ。今は感情に流されてはいけない。


「報告感謝する。俺はその闇の魔獣を対処しに行く。訓練場にカミリアがいるから、その事を伝えてくれ」


「はい、承知いたしました!」


 俺は使用人寮に向かおうと、来た道を引き返し───その途中で、ある違和感に気がついた。


 後ろを振り向く。先の団員の姿はもうない。すぐに訓練場に向かってくれたのだろう。しかしある疑問によって、俺の心にさざ波が立った。


 (……あんな団員、いたか?)


 一瞬、そんな疑問が頭に思い浮かんだが───だからと言って確認しに行かない選択肢は無い。何より、魔獣が城内に襲撃しようものなら、それこそ誰かが死ぬかもしれない。……かつての師範のように。


 止めよう。とにかく、行かなければ。俺は走り出した。


 窓からちらりと見えた曇天が、また心にさざ波を立てさせた。







 しん、と周囲の空気は静まり返っている。まるで廃村のようだ。剣を手に持ち、警戒しながら歩みを進めた。


 曇天は、今にも泣き出しそうな顔つきをしている。


 ───あの日。師範が殺された日は、しとしとと静かな雨が降っていた。


 いやに静かで、雨と血の臭いと、死臭が鼻についた。───いや、亡くなった直後だったから、そこまで死臭はしなかったような気がする。


 とにかく、嫌いだ。雨と、この誰もいない、不気味な静けさは。雨が降りませんように、とどこか子ども染みた願いをした。


「殿下、せめて私に声をおかけください」


 平淡な声が聞こえる。だが、その声には紛れもない心配と安堵の念が入り混じっていた。


「ティアか」


「状況は把握しております。闇の魔獣がいるとの報告を受けました」


「ああ。だが、今はいないらしい。引き返したか、別の場所に移動したか。別の場所に移動したとしたら、ここから一番近いのは……」


 ドスン、と嫌な音がした。


「……どうやら、まだうろちょろしてたみたいだな」 


「そのようですね」


 ───身長は……不運にも、俺の三倍近くはあるだろう。よくこれで、大騒ぎになっていないものだ。不幸中の幸いは、まだ死者が出ていないことと、使用人寮が破壊されていないことだ。


「ジル!!!」


 また背後から、焦ったような声がした。振り向かなくても誰か分かるし、今振り向いたら隙を取られて攻撃される可能性はある。目は逸らせない。


「おいまじかよ、よりにもよってでけえ個体じゃないか」


「……血の臭いはしませんから、今のところは被害者はいないようですね」


 フリードとリリーが険しい顔をしながら魔獣を睨む。特にリリーは、普段の穏やかな姿とは一変して、武人のように鋭い目つきをしていた。


 リリーは『九つの名家』の一つ、力を象徴とするパーリィ家の出身で、武術に優れている。黒龍団の特別講師として雇われており、俺もフリードも、なんならそこらの兵士なんかも単身で薙ぎ倒すぐらいには、強い。


 きっと、彼女も魔物から他の人間を守ろうと戦ったのだろう。服はドレスから軍服に変わり、その軍服はところどころ汚れていた。


「フリード、いけるか」


「いけるも何も、やるしかないだろ。今、城に残ってる人間で魔獣と張り合えるのなんて、俺たちぐらいしかいないだろ」


 フリードは剣を構えた。リリーは鋭い目つきのまま指を鳴らし、ティアは短剣を取り出す。


 各々、やる気は十分と見える。俺はもう一度、闇の魔獣と視線を交わした。


 毛に隠れた赤紫の目が、ひどくぎらついていた。

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