第6.5話 ルイス、密かに憧れを抱く。
(……あの方は)
急いでいるような、何かを探しているかのような彼女をもう一度見るために、振り返る。
マリー・フェール様。高等部の方なのに、なんで
不思議に思いながら教室へ戻ろうとしたとき、廊下にハンカチが落ちているのに気づいた。
ハンカチにはイニシャルが縫われていて、手にとってみると、ふわりと薔薇の香りがした。
その香りは、先ほどあの方とすれ違ったのを想起させるようなものだった。
もう一度振り返ってみたが、その姿はもうない。
「……追いかけられるでしょうか」
一応奥の曲がり角まで行って左右を確認したが、姿は見当たらない。とはいえ、もうすぐ授業が始まるし、探しに行くほどの時間はない。
(……そうか、明日直接渡しに行けば良いんだ)
実は少し、彼女と話がしてみたかったのだ。ちょうど良い。
高等部と時間割が違うからタイミングが合うか分からないし、そもそも今日中に渡しに行くのは私の予定的に無理だ。だからといって、先生に預けておいて、もし違う人のものだったら、それはその人に申し訳ない。
私はそう思って、そっとポケットにそのハンカチをしまった。
私は実は、密かにマリー様に憧れを抱いていた。
きっかけは、私の中等部入学時───二歳離れているから、当時彼女は三年生だった。
ちょっとしたトラブルが起きて、職員室に行きたかったけれど、右も左も分からない私に、優しく声をかけてくださった。
昔から無表情で、自分で変えたくてもなかなか変えられない表情の固さに嫌な顔一つせず、話しかけてくれて。
その後、体育の授業や魔法学の実技の授業の様子を、たまに窓越しに見かけることがあったけれど。その時も貴族令嬢とは思えないほどの、凛々しさと気高さ、その魔法技術と剣術の高さに感銘を受けた。
彼女に憧れて、お父様たちに剣術を習いたい、と言って却下されたのは未だに覚えている。仕方ないから、魔法を象徴とするメチレル家らしく、魔法を鍛錬している。
一応剣術の方も頼んではいるけれど、依然として受け入れてくれる気がしない。
まあそれはともかく。
私は二年前からずっと、彼女に憧れ続けていたのだ。この話しかけるチャンス、逃すわけにはいかない。明日のお昼休み、早速教室へ行こう。と、決意した。
……決意したのは良かった、が。
「あなた、ちょっと顔が良くて魔法が出来るからって、調子に乗らないでくださる!?」
「……はあ」
「そうよ、しかも男性を誑かして!!」
「……え」
ちょっと待て、男性を誑かしてってなんだ。
いや、調子に乗ったつもりもなかったけれど、まあそれは百歩譲って、私の態度がそう思わせてしまったかもしれないから、それはいい。それはいいけど、た……誑かす?
一切そんな記憶が無い。だって、そんな誤解されるようなこともしてないはずだ。まさか記憶喪失?
「あの、男性を誑かすとは、どのようにして……?」
「なっ……あなた、私たちをどこまで馬鹿にすれば気が済むの!? その顔、態度、全部気に入らない!! 全く愛想がなくて、無表情で気味が悪いのに、他の方たちなんて『クールでお淑やか』なんて言って、馬鹿みたい!!!」
「……」
気味が悪い、という言葉にカチンときた。顔に関しても、親からの授かり物を、しかもどうこう言われても変えられないものに文句を言わないでほしい。
かと言って言い返したら余計面倒くさくなりそうだから、何も言わないでおくけれど。というか、いつまでここにいればいいんだろう。この人たちの気が済むまで? それは嫌だ、だってマリー様とお話ししたかったのに。
「……お話は以上でしょうか」
「はっ……はあ?」
「申し訳ありません。この後用事があるので、もしまだ何かあるようでしたら、後日でもよろしいでしょうか」
「…………っ!!」
目の前の彼女は顔を真っ赤にしたと思うと、水の魔法でぱしゃん、と私の顔を濡らした。あ、今日ちょっと暑かったから、冷たくて気持ちいい……。
何気なく、ふっと下を見る。少し服が濡れてしまった。顔は拭けば良いけど、服は乾くまで時間がかかる。ちょっと嫌だな、と思った。
と、そこでふと思う。何故この方は私に水をかけたのだろう。流石にこの状況からして、優しさではないと思うけれど。何故なんだ。
「あの」
「はっ……はあ? ほんと、なによあなた、顔色一つ変えないで……っ!!」
「……なぜ、貴女は」
私の顔に水をかけたのですか、と言う前に、目の前の彼女たちがざあっと青ざめる。
何かしてしまっただろうか、と思うと同時に、ぬっ、と影が差し込んだ。
────この影は、人じゃ、ない。
恐る恐る振り返る。そこには───
「いやぁぁぁぁぁっ!!!」
水をかけた彼女が、劈くような悲鳴をあげて逃げていった。それに呼応するように、目の前の怪物が唸り声を出す。
闇の魔獣。まさか、本物がここにいるとは。
なんでここにいるんだろう。早く逃げなきゃ。
そんなこと、理性では分かっているけど。
(……怖い)
恐怖が、私の心を埋め尽くしていた。
まだ立っていられるけど、足がすくんで、動けやしない。叫び声も、彼女のようにあげられやしない。
それは彼女の取り巻き二人組も同じようで、「あ……」と言ったきり、地面にへたり込んで動きそうもない。
噛み付かれたら、もしくはあの長い爪で弾かれようものなら、一瞬で死んでしまう。
(どう、すれば)
『……氷海の雫…………』
(……え?)
どこからか、声が聞こえる。
(誰、だろう)
『…………汝よ……』
その瞬間、身体が誰かに突き動かされたような気がした。それと同時に思い出す。そういえばつい最近、とっておきの魔法を練習していたのだと。
(そうだ、あれは……)
一回、練習でほぼ成功までいった。あそこまでは行かなくても、せめてこの魔物の動きを止めるぐらいは───
「……『四大神ルイアの名の下に』……」
声は震えていたけれど、それでもいい。魔法が、使えるのなら。
「……『氷海の雫、人魚の涙。汝よ、その命を捧げなさい』」
手を翳す。目の前の魔物は、一瞬にして凍りついていった。
(……成功、した)
安堵のため息が出そうになった時、後ろから戸惑ったような呟きが聞こえる。
「……なんで、その魔法が使えるの」
───聞き覚えのある声がして、思わず振り向く。
黒に近い灰色の、腰まで届いたウェーブがかった髪に、落ち着きのある深紅の瞳。綺麗な顔立ちをした彼女は、長い睫毛で縁取られたその目を大きく見開いていた。
「……貴女は……」
ああ、久しぶりに真正面から姿を見れた。
名前も知らない私を、またこうして、助けに来てくれたなんて。
私は嬉しくて、緩みそうになる頬をきゅっと引き締めた。
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