第4話 それって難しいやつですよね
「……え?」
目の前の光景に、私は思わず絶句してしまった。
私の身長の二倍近くある闇の魔獣が、氷漬けになっている。ぎろりと、射抜かんばかりの視線をこちらに向けたまま。
闇の魔獣が氷漬けになっているのも、四月のはずなのにこんなに寒いのも、彼女が氷属性の魔法を使ったから。それはいい、それはいい、けど。
「……なんで、その魔法が使えるの」
ぽつりと溢した私の声に反応して、彼女は振り返った。
群青の瞳が、静かに私を捉える。濃紺の、人形のような豊かな睫毛に縁取られた目が、ゆっくりと瞬きをした。
───今日は別に、何の変哲もない日だった、はずだ。
城下街の件は、貴族であるクラスメイト(まあ私も貴族だけど)にとっても驚くべきことだったらしく、朝からその話題で持ちきりだった。お昼近い三限目前の休み時間でも、その会話がちらほら聞こえてくる。
でも正直、今の私にとって、そんなこと知ったこっちゃない。なぜなら……っ
「えっ、ハンカチ無くしちゃったの?」
「そうなの……どこ探してもなくって……お気に入りだったんだけど……」
「まあ、意外と変なところから見つかったりするわよ」
「そうであることを願いたい……」
そう、私はハンカチを無くしてしまったのだ。薔薇の絵と私の名前のイニシャルが刺繍で縫われた、あのハンカチ。デザインが本当に私好みだったのに……。
そんなことで嘆くなと言わんばかりにチャイムが鳴り響く。今の私は意気消沈してるから、授業
は受ける気になれない……。まあ、だからと言って授業サボるわけにもいかないんだけど。
三限目の授業は歴史で、先生は去年と同じだった。今日の歴史の授業は新学期になって初めてかもしれない。号令が終わると同時に、先生が早口で喋り出す。この先生は早口だから、聞き取るのが大変。
「さて、一年生の頃は、主に神話や古代を中心に勉強してきました。二年生からは中世や近世をやっていきます! 皆さんお待ちかね、『九つの名家』、『勇者フォルティメ』、たくさんの偉人がでてき……こらそこ! 寝ないの!」
……早口が故に、聞くのを諦めて寝る人が続出している。そしてもう寝る体勢に入っている人がいる。というかあの人、二年生になっても変わらない……肝が座っているわね……。
「……まあ良いでしょう。では起きている皆さん、まずは資料集125ページを開いてください。どの時代においても、『
先生がそう言うと、寝ていたあの人も慌てて起き出した。資料集を忘れたらしく、隣の人に見せてもらっている……。
『四大神』。彼らはこの世界を作った原初の神とされていて、その伝説は今でも続いている。色々異名があったりするけど、一番覚えやすいのは色で覚えること。
赤の神 マリア
黒の神 ヴィル
白の神 フレア
青の神 ルイア
彼らの髪の色がそれぞれ赤、黒、白、青だったことに由来してるらしく、それで覚える人が多数。アンダラス王国の国旗も、実はこの四色の薔薇が描かれたものだったりする。
まあ、本当はもっと長い名前だから、試験で「本名で書きなさい」とか言われたら終わる。無理に決まってるじゃない、あんな長い名前。しかも地味に覚えづらい。
とはいえ、この国にとって重要なことだから、ほぼ全国民が覚えているであろう。これが教育の洗脳……。
「はい、ではここで復習です。四大神たちが使用した、特別な魔法の名前は? はい、エルザ・アマルテミル嬢」
「はい。『神々の詠唱』です」
「そうですね。では、『神々の詠唱』の特徴は? はい、ルーナ・ファンタズマ嬢」
「はい。『神々の詠唱』の特徴は、『魔法の絶対命中』と『一撃必殺』です。また、この魔法は、今のところ使用できた者は誰一人おらず、四大神本人しか使えないものと言われています」
すらすらと何も見ずに答えたエルザとルーナに満足したのか、先生は上機嫌に口を開いた。それと同時に、黒板に板書し始める。
「はい、お二人とも素晴らしい。『神々の詠唱』にはいくつかの種類がありますから、どれが誰の詠唱か、覚えておくように。資料集に代表的なものが載ってありますからね」
資料集を手に、先生が板書を続けていく。私は『神々の詠唱』が書かれたページを開いた。
『神々の詠唱』が使えたら、どんな感じになるんだろうか。まあ、そんな人いないけど。いるとしたら、四大神の生まれ変わりくらいだ。
……四大神って、生まれ変わったりするのかな? そもそも、神様に死の概念があるのか無いのか。
でももし、生まれ変わるんだとしたら─── 一体どんな人なのか、ちょっと話してみたさはある。
「次、移動教室だっけ?」
「あっ、そう言えばそうだね。まだ時間あるけど、もう戻ろっか」
「……確か次は化学だよね。あーあ、ミリィがいれば色々聞けたのに……」
お昼休み、私たちはお昼ご飯を食べた後、中庭でゆっくりしていた。次の授業が移動教室だから、いつもより早く教室に戻る羽目になったけど。
ちなみにミリィは、研究の方が忙しいらしくて今日はお休み。実はミリィは薬の研究をしていて、この国随一の薬物の開発者でもある。普段はそんな感じしないけど。
まあそれもあって、ミリィは理科が天才的に出来る。私たちは理科、特に化学の授業がある度に、ミリィに助けてもらっている。
ミリィがいないのは苦しいけれど、ぼやいても仕方ない。私たちはのんびりお日様の光を浴びながら中庭の道を歩いた。
───ガコンッ
何かが落ちた音がした。三人して振り返って確認するけど、何もいない。あるのは、背の低い草の上に敷き詰められた石畳の道と、中庭の物置に続く横道だけだった。
「……幻聴?」
「三人して幻聴はだいぶ不味いわよ」
「だよねえ」
まあそれ以外特に何も聞こえてこないし、と立ち去ろうとしたとき、ふと嫌な気配を感じた。もう一度後ろを振り向いたけど、やっぱり何もいない。
(……何もいないなら、この気配は、何?)
だんだん不安になって、引き返そうとした───その直後。
「いやぁぁぁぁぁっ!!!」
劈くような悲鳴と共に、中庭の物置裏から誰かが飛び出してきた。私にぶつかったけど、もはやそれどころじゃないらしく、そのまま走り去っていってしまった。
呆然とする暇もなく、悲鳴に呼応するように地面を這うような不気味な唸り声が響く。
(……なんで、だってここは学校だから、そんな、いないはずなのに)
三人で顔を見合わせて、石畳の道を走る。横道に入って、ばっと物置裏を確認した。
……ああ、見なかったことにしたい。それぐらい、最悪の事態だ。
まだ少し離れているが、走られたら数秒で追いつかれるぐらいの距離に、黒い巨体が───闇の魔獣が、いた。
闇の魔獣。上位魔物の中でも特に脅威的な存在で、下手したら街が一つ滅ぶレベルの魔物。大型の狼のような見た目。闇の魔力を纏った、禍々しい魔物。
前世で何度か相手にしたことがあるけど、それはあくまで前世の話。今世も通用するとは限らない。何より、本気で戦わないと死ぬレベルだし、本気で戦っても死んでしまうレベルだ。
どうするべきか思考を巡らせているとき、ふと闇の魔獣の他にも何かがいることに───闇の魔獣のすぐ目の前、足元に生徒がいることに気がついた。しかも、三人も。
「なっ、なんであの子たちあんな闇の魔獣の近くに……!」
「分からない、でもすぐに向かわなきゃ……って、待って、マリー!!」
エルザの制止の声が響いたけど、もはやそんなの聞いていられなかった。闇の魔獣が噛み付くか攻撃しようものなら、あの三人はまとめて天国行きだ。天国に行けるかどうかは別として。
どっちにしろ、まずはあの三人を
高さが私の身長の二倍近くあるけど、それでもこの個体はまだ小さい。死ぬ気で頑張れば私でも足止めできないことはない……っ!
(お願い、間に合って、お願い!!!)
あと数歩、攻撃が届く範囲内まで来たとき、私は転移魔法で剣を構えた。
「……『四大神ルイアの名の下に』……」
闇の魔獣に向かって攻撃する直前、透き通るような声が耳に入った。
(───え)
私の目の前にいる、群青の艶やかな髪の子が、魔獣に向かって手を翳す。
「……『氷海の雫、人魚の涙。汝よ、その命を捧げなさい』」
透き通った、凍てつくような魔法が広がる。目の前の魔獣は、一瞬にして凍りついていった。
「……え?」
思わず、声が漏れ出る。四月のはずなのに、冬のように息が白かった。
「……なんで、その魔法が使えるの」
(だって、その魔法は『神々の詠唱』なんじゃないの?)
王族ですら使えないというのに、その魔法を使えるだけの能力を持った人間がいるのだろうか。
いるとしたら、その人は、もしかしたら───
そんな戸惑いを知ってか知らずか、私の声に反応して、彼女が振り返る。
群青の瞳が、私を捉えた。
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