第3.5話 内気な【翡翠毒帝】

「ただいま」


「お帰りなさいませ、ミリアス様」


 まともに授業をしたのは久々だからだろうか。今日はいつもより疲れた。


 でも、毎日、欠かせない仕事がある。


 自室へ行き、作業用の服を着て、また部屋を出る。


 向かうは、外部屋。


 ◆◇◆◇


「……こんなものかしら」


 辺りを見回す。水を与えられた植物達は、太陽の光によって輝き、誰もが生き生きと空を見ている。


 植物の世話。私はそれを誰よりも好んでいるし、誰よりも長けている。


 そして、植物に囲まれてお茶をするのも……。


「……今日は何の茶葉にしよう」 


 片付けをしていると、後ろに気配を感じた。


 振り向くと、よく見た人がそこにいた。


「……おかえり、ミリィ。帰っていたのね」


「ただいま。これからお茶するんだけど、レイスもどう?」


「良いわね、そうするわ。お菓子持ってくるわね」


「ええ、よろしく」


 レイスは、ここの植物に負けないぐらい鮮やかな緑色の髪を揺らして、踵を返していった。


 レイス・リア・アンダラス。私の双子の姉で、【翡翠毒帝ヴェール・プワゾンアンペラル】の力を持っている。


 いつもより、元気なのだろうか。それとも、研究をしていたのだろうか。普段よりも顔は明るく、目は輝いていた。


 どうせなら、幸福作用のある茶葉にしましょう。


 ◆◇◆◇


「……何か良いことでもあったの?」


「分かる? 今日ね、前から欲しかった本が手に入ったのよ」


「へえ、良かったわね。何の本?」


「……小説よ」


「小説?」


 私は驚いて、顔を上げた。


 レイスは、滅多に小説を読まない。というか、あまり好きではない印象があった。いつも学術書や毒に関しての本ばかり読んでいたし、ああいう想像の話は、好んでいなかったから。


「珍しいわね。どんな本? 実話? それとも、推理小説?」


「……ええと」


 少し顔を俯かせる。詮索し過ぎただろうか。


「ごめん、嫌だったら答えなくても……」


「……物よ」


「……ごめん、もう一度」


 すると、顔を背けて、蚊の鳴くような声で


「恋愛物よ……」


 と言った。


 一瞬世界が止まったような気がした。


「えええ!? れ、恋愛っ……ちょっとレイス、あんたそういうものに一切合切興味なかったじゃない!」


「そ、そうだけど! ルナ様のお部屋に遊びにいったら、たまたま見つけて……本当に、興味本位だったの! そしたらっ……」


 そこまで言って、顔を覆う。けど、指の間から、顔が赤いことが分かる。


 ───その瞬間、辺りに甘い香りが漂った。


 私はうっかり息を大きく吸い込んでしまい、咳き込んでしまった。


「……っ、ごほっ……」


「あっ……ミリィ! ごめんなさい!」


 レイスはそう言って、窓を大きく開けた。


 外の新鮮な空気が入ってきて、体が浄化されたような気がした。


「ごめん、ごめんなさいミリィ。大丈夫?」


「大丈夫、そんなに吸った訳じゃないから」


 見上げるとレイスが心配そうな目をしている。


 私はにやりと笑って答えた。


「そんなことより、私はレイスが恋愛物に興味を持ち出したことの方が気になるわ」


 また、さっと顔を赤らめる。目をそらし、子供のように「だって……」と続けた。


「……私に声をかけてくれるような方はいないし、こんな体だから、学校に行けてないし、婚約者様もいないし……何より可愛げがないわ。だから恋愛なんて一度もしたことないもの。……憧れてはいるけれど」


 恥ずかしそうな、でもそれ以上に、悲しそうな目をして言った。私は、自分の軽率な発言を悔やんだ。


 レイスは、毒属性。【プワゾン】【ヴァン】【トネル】【ソル】は当事者の感情によって、周りの環境が左右されることから、【感情属性】とも呼ばれている。


トネル】や【ソル】なんかは、感情が高ぶっても、環境を変えるには難しいし、時間がかかるから、案外問題視されていないけれど……。


 一番危険視されているのは、【プワゾン】だ。


 感情が高ぶると、辺りに毒が漂う。今みたいに、恥ずかしがったり、あるいは喜んだり、そういったものだったら、多少咳き込んだり、頭がふわふわしたりするだけで済む。


 けれど、負の感情……特に、怒りなんかがある一定まで達すると、致死率の高い毒を辺りに漂わせてしまう。本人の意思関係なく。


 薬である程度押さえることは出来るけれど……完全には押さえきれない。やはり、薬よりも魔法が上回ってしまう。


 私は今、レイスの症状を完全に押さえることの出来る薬を作ろうとしている。


 でも、良い植物が無い。あと少し、あともう少しなのに……。


「……こんなことを話しても、意味無いわよね。治りそうもないもの」


「……レイス」


 レイスは、少し、悲しそうな顔で微笑む。


 まだ、私は、この事を話していなかった。変に期待させて、落ち込ませるのは、一番、可哀想だったから。


 でも、でも……。


「ありがとう、ミリィ。話を聞いてくれて。でも、あの小説、本当に面白いのよ。ミリィも読みたかったら言って。いつでも貸すわ」


「……うん」


「ミリィ?」


 私は顔を上げる。また、心配そうな顔をしていた。


「どうしたの? ミリィ」


「……あの」


 言おうとした。


 大丈夫、いつか絶対薬を完成させるから。


 そしたら、一緒に学校に行きましょう。


 一緒に王都へお忍びしに行きましょう……。


 でも……それっていつの話?


「……なんでもない。それより、その本、面白そうね。いつか貸してよ」


 言わなかった。


 いや───言えなかった。


 変に期待させるなんて、それこそ……彼女に、レイスに、申し訳なかったから。

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