6-11
「グァアガッ……グォオオオオ!」
「広君……もうやめて、お願い!」
涙ながらに必死にそう訴えるも、目の前の敵を倒すことで頭が一杯の彼に、この声が届くはずもない。
その上、角は
「フハハハ! シネッ、シネェ!」
「グガァッ、グゴッ……!」
角からの執拗な刺突を、苦しみ藻掻きながらも必死に回避する広君。毒針は何度も彼の体を掠めた。
文字どおり角は〝夢中〟だ。狂った殺人鬼のように、高らかな笑い声を上げながら、組み敷いた広君を追い詰めている。
――チャンスは、今しかない。
傍らに放ってあった弓矢に手を伸ばす。緊張と焦りから押し寄せる圧迫感に、呼吸することすら忘れていた。弓を構え、広君に当たらないよう慎重に照準を定める。
そして矢尻の先端に祈りを込めて、放つ。
「
矢は吸い込まれるように真っ直ぐと角へ向かい、彼女の胸部へ突き刺さった。瞬間、角は甲高い悲鳴を上げて青白い光に包まれた。
でも彼女は以前の羽と同じように、封印の矢に射貫かれても最後まで諦めようとはしなかった。
「ヨクモ……! コノママ、キエルモノカッ」
角は残された力を全て解放し、地を這う毒虫たちを大量に出現させると、広君の四肢を地面に貼り付けるように固定させて、その自由を奪った。
そして彼女は鋭い針を高々と持ち上げ、私が援護射撃で更に奴の腹部を射たにも関わらず、容赦なく広君の腹部を貫いたのだ。
深々と毒針が突き刺さった皮膚の表面から、白い毛に映える鮮血が滲み出る。
「ッガァアアアア!」
「いやぁああ! 広君……ッ」
「ハハハッ、シネシネ、リクチュウ! カクハ、ヤリマシタ! イトシノ、
最後に角は何か重要と思わしき一言を残し、閃光をより一層強く放ってついに姿を消した。彼女がいた場所の足元には、例によって音の小玉が寂しそうにコロリと転がっている。
終わった、と言いたいところだけど、その余韻に浸っている暇はない。広君はヒグマ姿のまま
そういえばソプラの姿が見えないけれど、何処へ行ったのだろうか。和矢君とテナーだって未だ意識不明で、たった一人残された私はパニック寸前だ。こんな時、いつもなら高杉君たちが何とかしてくれるのに。
……落ち着け。兎に角、まずは広君を元の姿へ戻さなくては。
でも、どうやって?
「広君。もう角はいなくなったから、元の姿に戻っていいんだよ」
とりあえず私は広君に努めて優しい口調で話しかけた。ゆっくりと近づくと、彼は俯せに丸まって荒い呼吸を繰り返していた。そして私の声を聞くと緋色の瞳が冷淡な眼光を放ち、威嚇するように小さく唸る。まるで〝触るな〟とでもいうように。
「ね、広君」
その警戒を無視して彼に触れようとした直後、広君は大きく目を見開いて咆哮し、私の体をゴミでも払うかのように軽々と突き飛ばした。
「ガァアッ!」
「きゃああっ……!」
地面に叩きつけられた衝撃で肩が痛む。でもそれを上回る激痛が反対側の右腕に走った。広君に突き飛ばされた時、ヒグマの刃物のような爪に切り裂かれたようだ。
痛みに耐えながら上半身を起こすと、広君が朦朧とした目つきで乱れた呼吸のまま私の方に近づいてきていた。もはや彼は〝広君〟ではなく、完全に獰猛な〝ヒグマ〟と化してしまっているようだ。もうあの個体の中に広君の意識はないのだろうか。
これが
「ぅぐっ……。お願い広君、正気に戻って」
私の言葉が理解できない
声が届かないなら、これならどうか。
私はずっと握りしめていた弓矢を体の前に掲げた。
「
発言をすると、弓矢は元のヴァイオリンへと姿を変える。私にできることは、もうこれしかない。
ヒグマの中に眠っているであろう広君へ届くことを願って、私はいつもの曲を弾き始めた。
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番・第三楽章『ガヴォット』――私と、過去の私を繋ぐ曲。
引き裂かれた右腕が悲鳴を上げるのもお構いなく、私は唯々心を込めてその曲を演奏する。一瞬
苦痛のあまり暴走を始めた
目の前で再度、
次の一撃を食らえば、私は只では済まない。
――それでも。
〝和泉様と会うために、楽器もいっぱい練習して、メストも沢山やっつけてきたのだ。……褒めてくれるのだ?〟
あの時、私はその頑張りや苦労に何も応えられなかった。
だからせめて広君を知った今こそは、彼の全てを受け止めたい。喜びも苦しみも、全部。
「グォオオオオッ!!」
「っ……!」
全身に与えられるであろう強い痛みに、固く目を閉じ身を強ばらせて覚悟した。
でも待てど暮らせど、その痛みが体を走ることはなかった。不思議に思って恐る恐る目を開くと、
よく見ると
毒に侵され気を失っていたはずの、和矢君の指先に。
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