6-4

 安芸のお陰で少し元気になった和泉を見送り、俺たちはその場に立ち尽くした。何ともいえない空気が俺と安芸の間に流れている。


「……で、は和矢と広にできたのか」


 沈黙を破りそう問いかけると、安芸は「あぁ」と短い返事をした。


「広が逆上したのは寧ろそっちだよ。あの子も相当苦労しているみたいだし」

「そうか……。だが流石に和泉アイツは疑ってたぞ、このまま隠し通せると思うか?」

「悪いけどそのつもりだね。今日の彼女の様子を見て、改めて言うべきじゃないと思ったよ。僕にとって何より大切なのは和泉の〝心〟だ」


 安芸はそう啖呵を切ると踵を返した。バイトの時間が迫っているから、シェアハウスには戻らずこのまま向かう気なのだろう。

 だがヤツはその前に俺を真っ直ぐな眼差しで見上げた。コイツのこの視線はどうも苦手だ。


「本当は日向だって、彼女に手を差し伸べたかったんじゃないの? ……ま、僕は絶対に譲らないけど」

「るせぇな、そんなつもりはねぇって言ってるだろうが」


 ふーん、とだけ呟いて、安芸はさっさと行ってしまった。

 なんなんだよアイツは。俺にはその気はねぇって最初から言ってんだから、好きにすりゃいいのに。


〝皆も君を知れば、ちゃんと分かってくれるさ。だから和泉は、和泉らしく振る舞えばいいんだよ〟


 あぁ。お前の言うとおり、和泉は和泉に違いない。

 俺だって今の和泉を認めてやりたいし、力になりたいとも思っている。さっきだって本当は、安芸より早く駆け出すつもりだった。


 でも、できなかった。

 現実を見ている安芸と違って、俺の中ではまだあの声がしてるんだ。


<日向っ>


 ――俺を呼ぶのはまだ、なんだよ。



◇ 


 翌日、私は槇尾川の河川敷にいた。

 朝から清々しいほどの空気を存分に鼻から取り込み、スパンコールを散りばめたような川の水面を眺めて、ヴァイオリンを構える。


 演奏するのは言わずもがな、十八番であるバッハのガヴォット。反響するものがないので音の殆どは空へと吸収されていくけれど、全ての意識を指先と耳に集中させて感覚を研ぎ澄ませ、純粋な気持ちを音の1つ1つに乗せていった。


 この曲を弾いていると初心を思い出す。

 ヴァイオリンを始めて一番最初に覚えた曲だから。


 習いたいと両親にせがんだのは三歳の時だ。何かの音楽番組で、有名なヴァイオリニストが情熱的に演奏する姿を見て、幼い私は一瞬で心を奪われた。始めてからは取り憑かれたように毎日練習に明け暮れて、両親を心配させたものだ。しかも最初のうちは黒板を引っ掻いたような音でしかないから、二人には酷な日々だったと思う。

 練習曲以外で〝曲〟としてガヴォットが弾けるようになった時の感動を、私は今でも覚えている。勿論、最初から滑らかな演奏ができたわけではなく、呆れるほど拙い出来だったけれど、とにかくとても嬉しかった。


 だからこそ気持ちを新たにリセットしたい時や、何かに新しく挑戦したい時は、決まってガヴォットを弾くのだ。

 まさかこれが前世の自分との記憶を繋ぐ鍵になるとは、思いもしなかったけど。


 演奏を終えた時、背後から一人分の拍手が聞こえてきた。振り返ると思ったとおりの姿がそこにあり、狙いが的中した私はホッと胸を撫で下ろした。

 この場所を選んだのは他でもない、彼らに会うためなのだから。


「素晴らしかったです、和泉さん。現世の貴女のヴァイオリン、感動しました」

「ありがとう和矢君。広君も、おはよう」


 爽やかな笑顔を振りまく和矢君とは正反対に、その後ろで広君が不機嫌そうな顔で私を見る。ボンゴを担いでいることから彼らは今日もここで演奏会を行うようで、その更に後ろでは人の姿のソプラとテナーがバスドラムを運んでいた。


「……僕、やっぱり帰るのだ」


 広君はそう言うなり折角来た道を引き返そうとした。やはり私のことはまだ許してくれていないみたいだ。

 そんな彼を和矢君は瞬時に肩を引いて止めた。


「ひーろ。そうゆう態度取らないって昨日約束しただろう? それに楽しみにしてくれてるお客さんだっているんだよ、広がいなかったら成り立たないじゃないか」


 和矢君に窘められた広君は涙目で嫌々と地団駄を踏んだ。言われている内容は理解できるのだけれど、私に対する抵抗心がどうしても拭えないのだろう。でももう私は広君から目を背けようとはしなかった。


 昨日、荒井君に〝和泉は和泉らしく〟と言ってもらって、私らしさは何だろうと色々考えた。結果、自分らしさはまだよく分からないけれど、とりあえずこのまま広君に嫌われっぱなしだけは嫌だという結論に達した。

 高杉君たちがそうであるように、これはブリッランテの生まれ変わりであるが故に結ばれたご縁なのだ。他の誰でもない、私だからこその出会いを無下にしたくない。


 ならば広君の信頼を得るにはどうしたら良いのか。

 答えは簡単、自分から歩み寄ればいい。私は、私として広君との新しい絆を作るべきだ。


 音楽家ならではの、やり方で。


「あの……良かったら私も演奏会に混ぜてくれないかな。勿論、二人の邪魔は絶対にしないから」


 そう。私はまず、音楽で広君とコミュニケーションを取ろうと考えた。

 ところが私の提案に強く興味を示したのは、予想外に和矢君の方だった。


「それはいいですね! 西洋のヴァイオリン、南米のマリンバ、多様性のピアノ……異なる音色が調和し、それぞれの特徴を活かして1つの作品を形成する。これこそ音楽の醍醐味ですから! やろうよ広ッ!」

「か、和矢。落ち着くのだ」


 まるで中学生とは思えない哲学的なことを述べた和矢君に対し、広君はすっかり圧倒されてしまっていた。でもその熱弁のお陰か、広君は渋い顔を浮かべながらも了解してくれたのだ。


 三重奏の曲目は勿論、剣の舞。伴奏は変わらず和矢君が担当し、広君のマリンバをメインとした主旋律を私が間を縫うように参加する形となった。

 自分から飛び入ったけれど、ヴァイオリンでこの曲を弾くのは結構大変だ。同じ音符や半音の音階が細かく連なっている上にテンポがかなり速い。しかも二人はパフォーマンスとして通常よりも超高速で演奏しているから難易度も上がっている。


 それでも演奏技術なら自信のある私は、必死に食らいついた。

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