6-3
「そんなの、和泉様ばっかりズルいのだッ!」
飲み物を七人分購入した私と高杉君が河川敷まで戻ると、陸中君の荒々しい声が響いた。陸中君は一心不乱に河川敷を駆け上がると、私たちに気づいて大粒の涙を浮かべた真っ赤な顔で私を睨んだのだ。
「お前なんて、和泉様じゃ――」
「ソプラ、広を連れ戻すんだ。早く!」
思いがけず硬直してしまった私たちに、今度は陸前君の叫び声が届いた。すると彼らの後ろで作業していた少年二人のうち一人が小さく頷き、驚く早さで駆けたかと思うと次第にその姿を赤毛の秋田犬に変貌させていったので目を疑った。友達だと思っていたあの子は、人ではなかったのだ。
「そうか。あれはお前の
「っ……!」
高杉君の問いかけも空しく、陸中君は再度私をキツく睨みつけると、追いかけてきた秋田犬から逃れるように河川敷の外へ飛び出していってしまった。そして彼の追跡を続ける犬と共に、二人の姿は次第に見えなくなっていく。
人に睨まれるだけでもショックなのに、あんなに小さい子に憎まれるなんて。心臓が痛いくらいに締め付けられた。
きっと唯一の存在として頼ってきた相手が、自分のことを覚えていないと知って失望したのだろう。
「すみません、和泉さん! 貴女には何の非もないのに、あんな無礼な態度を」
荒井君たちのところまで戻ると、陸前君が土下座でもしそうな勢いで頭を下げて謝った。驚いた私は慌てて彼の上体を起こす。
「やめて陸前君、睨まれても当然だよ。私は二人のこと何も覚えてないんだから」
「どうやら説得は珍しく失敗のようだな、安芸」
私の隣で高杉君がそう言いながら、荒井君に買ってきたコーヒーを放り投げる。それを受け取った荒井君は不服そうに眉間に皺を寄せると「悪かったね」と呟いた。どうやら荒井君は、本当に彼らを説得するために私を追い払っただけのようだ。疑った私が馬鹿だった。
「それより俺たちも陸中を追わなくて大丈夫か? 追いかけてったのはアイツの能力の犬だろうけど」
「はい、ソプラは広の相棒です。こっちはテナーといいます。とりあえずソプラが傍にいると思いますので、ご心配には及びません」
陸前君がもう一頭の虎毛の秋田犬を撫でながら答えると、テナーと呼ばれた犬は気持ちよさそうな表情を浮かべて「ワン」と吠えた。二人の友達だと思っていたこの子たちは、陸中君の
陸中君の能力は特殊で、武器ではなく〝動物〟を操るのだと陸前君は説明した。ソプラとテナーは私たちでいう楽器のような存在であり、陸中君は相棒である二頭を時に人の姿に変えて共に活動しているのだそう。それに彼はあらゆる動物たちの力を借りることもできるらしい。
関心しながら聞いていると、彼らを知っているはずの高杉君と荒井君も、私と同じような表情をしていた。荒井君曰く「僕たちはお互いのことを全て把握しているわけではない」とのことだ。
「そうだ。和泉も日向も、二人のことは下の名前で呼んであげてよ」
折角買ってきたのだからと、荒井君が私たちに飲みものを口にするよう促しながらそう言った。
前世でいう首領名が姓になっている二人は、下の名前で呼ばれることを望んだ。皆、生まれてから大体名前で呼ばれて育つものだから、そちらの方が慣れているのだろう。
ならばと荒井君は二人の〝和泉
「僕たちは前世で君に〝親友なんだから〟って言われて付けてなかったけどね」
「そうだったんだ……」
だから三人は初めから親しみを持って呼んでいてくれたのだ。そうでなければ私のように「工藤さん」だったかもしれない。
何もかもが前世での出来事が布石となって続いているのに、記憶のない私がここにいていいのだろうか。懐かしそうに前世の話をする彼らは楽しそうなのに、私は「そうなんだ」としか思うことができない。
まだこれからも仲間は増えるというのに、今頃こんな不安になってどうするのか。
頑張ると決めたはずなのに。
「では僕はそろそろ広を探しに行きます、一人になって頭も冷えたでしょう。和泉さんのこと、もう一度僕からも話してみます」
「うん、頼んだよ」
和矢君は私たちに別れを告げると、テナーに広君の匂いを追跡させて彼を探しに向かった。小さな背中を見送り、荒井君は自分の腕時計を確認する。時刻はもうすぐ昼12時になろうとしていた。荒井君もバイトの時間が迫っていることだろう。
一旦帰ろうかと話し合う二人の傍で、私は座ったまま俯き、蓋を開けたレモンティーのペットボトルを呆然と見つめていた。
「和泉?」
私の異変に気づいたのか、荒井君が私を呼んだ。
このどうしようもない不安を彼らに投げても仕方がないと分かっているけど、そうせずにはいられない。
「私は……、前世の私みたいになれるのかな」
そう呟いた瞬間、二人が息を飲んだのが伝わった。そして二人分の足音がしたかと思うと、一人が駆け足で近づいてきて腰を落とし、そっと私の手を握る。顔を上げて視界に飛び込んだのは、切ない顔をした荒井君だった。
「なる必要はないよ、和泉。だって君は君じゃないか」
「でも広君たちのように皆、前世の私を頼ってくるのでしょう? 二人や和田君だって、そうだったんじゃないの?」
〝お前なんて、和泉様じゃ――〟
あの時の広君の表情が脳裏を過ぎる。お前なんて和泉じゃないと、皆が心の中ではそう言っている気がして怖い。
「それは否定しない、実際君に会うまでは僕たちの中にいるのは前世の和泉だから。でも僕が守ると誓ったのは、いま僕の目の前にいる和泉だ。前世の君じゃない」
彼は私の目尻に溜まった雫を拭って優しく微笑む。
どうして荒井君は、欲しいと思う言葉をくれるのだろう。
「皆も君を知れば、ちゃんと分かってくれるさ。だから和泉は、和泉らしく振る舞えばいいんだよ」
打ち震える胸を押さえるのに必死で、私は知る由もなかった。
その背後で、ひっそりと拳を握る人物の存在を――。
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